立ち飲み居酒屋から、二人で電車に揺られて、一緒に帰宅する。
向かいのマンションにいる、というのは、帰りが遅いときにはなんとなく心強さがあった。
誰かに狙われやすい……ということはないのだが、男でも、夜道の一人歩きは、それなりに怖い。
「達也は……、日本酒のほうが好き?」
最寄り駅から並んで歩いて帰る途中、興水がぼそっと呟くように聞く。
「え? なんで?」
「……立ち飲み屋は、結構美味しそうに飲んでたから」
「あー……」
原因があるとすると、もつ鍋屋では、凪のことが気になって仕方がなかったというのがあるだろう。だから、飲んでいても、飲みのほうに集中出来なかった。
「多分、今日だしてもらった日本酒が、好みだったからじゃないかな」
ここで、凪の名前を出すと、また、興水は気を悪くするだろう。だから、適当にはぐらかした。
「そっか」
「うん」
「……俺は―――達也と一緒だったら、どんな酒でも、美味しいと思うな」
「……どんな酒でも……」
「そうそう。……マムシ酒とかでも」
「俺は、それは飲みたくないよ?」
「ははは、俺も飲みたくないよ」
興水は、多分、酔っている。足取りは、少々、おぼつかない。
「お前、酔ってるな……、大丈夫かよ」
「うん、大丈夫。………とりあえずさ、俺は、お前が無事だったのが嬉しいし、ありがたいと思ってる。これは本当なんだ」
「凪と、お前が助けてくれたんだろ。それは、すごく、感謝してる。俺も―――あの人に、好き勝手されるのは、凄く嫌だと思ってたから」
「うん。……お前は、今まで、嫌な思いばかりしてたんだしさ……」
ふらふらと危なっかしい足取りで歩いていた興水が、ぴたり、と脚を止めた。
「興水?」
「お前は、もう、恋愛面で、嫌な思いをしないよ。だから、ちゃんと、幸せになれ」
「……興水……」
興水は、真剣な眼差しをしていた。達也は、胸が、痛くなる。興水は、本心から、心の底から、この言葉を言っているのだ。
「……俺もまだ、立候補してるから……」
「それは……」
「ムリはしないけど、気にはしておいて。俺は、ストーカー気質があるけど、あの人みたいなことにはならないと思うから」
「まあ、お前とか、凪とかは、俺に気を遣いすぎてると思うし……」
達也は小さく呟いて、歩き出す。なんとなく、いたたまれない雰囲気になったからだ。
「……とりあえず、今の所は、俺は、達也が幸せになってくれる方向だったら、なんでも良いよ。ベストは俺と付き合ってくれることだけど」
興水が、くすっとわらう。
なんとなく、心の奥の柔らかいところを、優しく撫でられたような心地になった。くすぐったい。けれど、それは、嫌なくすぐったさではなかった。
(困ったことに……興水って、気は合うし、一緒に居て楽しいし……、嫌いじゃないんだよな)
それが、フィジカルな欲求に向かうことがないだけで、友人としてならば、最良なのだ。
だが、それは、興水には告げないことにした。
そのまま、殆ど無言でマンションまで歩いて行く。道路を挟んだ向かい。
「じゃあ、今日は、ありがと」
「うん、こっちこそ。じゃあ、お休み」
挨拶をして、自分のマンションへ向かう。マンションのエントランスの所には、集合で郵便ポストが設置してあるが、達也の部屋の郵便ポストに、貼り紙がしてあった。
『淫乱』『消えろ』『ゴミ』『死ね』……
付箋紙にマジックペンのようなもので書き殴ってある。それが、べたべたと重ねて貼られて居る。達也が思い出したのは、京都の安井金比羅宮にある、形代がぺたぺたと貼られた縁切り縁結び石だった。幾重にも紙が貼られているのだ。
どうしようかと思って一瞬思案した達也だったが、少し冷静になって考えてみた。
「まあ、現状を保存、写真をとっておく……がベストだな」
スマートフォンをとりだして、写真を撮る。
(これって、ストーカー、の仕業なのかな……)
ゴミ漁りから始まって、郵便ポストへの嫌がらせとくれば、次は何だろうか?
わりとオーソドックスな嫌がらせなので、それほど気持ち的に落ち込むようなものはなかったが……。
「普通に考えて、ちょっと、幼稚だよなあ……」
『淫乱』『消えろ』『ゴミ』『死ね』というのは、わりと、こういう時に書かれる文言だろう。借金取りならば『金を払え』とか『泥棒』とか、そういう文言が並ぶに違いない。
ここに書かれた言葉で気になったのは『淫乱』だ。
(わりと、関係ない言葉は書かれていないから……)
犯人は、達也が、あちこちの男と関係していたのを知る人物ということになる。
(なんで今更……)
最近は、凪としか夜を過ごしていない。だから、最近の話ではないのだ。この『淫乱』という言葉は。
「しかし……男相手に『淫乱』は凄いよなあ……」
なんとなく、人に見られたくない言葉だった。達也自身も、色々な男と関係を持っていた過去はあるが……、それを、他人に晒したいかと言われれば、そうではない。
(神崎さんとのことを、知った人……)
それも、考えられる。
だが、考えても、相手に心当たりはなかった。