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第120話 短刀


 ORTUS社の一件があったあとも、達也は元気そうに凪には見えた。


 毎日、全力で仕事に挑み、興水とも親しく二人で仕事をしていたりするのを見ると、先日までは、腹が立っていたはずだが、今、凪の気持ちは、酷く、フラットだった。名前の通りの、凪のような状態だ。


 神崎の一件で、凪は、遠田に助けを求めた。あまり褒められた手段ではないが、達也のスマートフォンに、位置情報を取得するアプリを仕込んで―――結果、それが役に立った。それは良かった。今は、そのアプリも達也のスマートフォンからはアンインストールしてある。


 達也を無事に取り戻すことが出来たことも、本当に良かった。


 だが……。


 凪は、遠田に言われた言葉が、胸に突き刺さっていた。

 今回の件では、達也に内緒で、遠田とやりとりをしていた。なので、遠田には、今回の神崎との一件について、大まかの事情を話していた。そうでなければ、遠田は、協力してくれなかっただろう。




 数週間前だった。遠田に呼び出されて、一緒に酒を飲むことにした。

 遠田が指定してきたのは、雰囲気の良い店だ。いわゆる『デート使い』するような店だった。


 凪のほうも、遠田には、アプリを作って貰いたかったので、誘いを無碍に断ることが出来なかった。

 桃のカプレーゼを食べ終え、白ワインを一口飲んでから、遠田は呟いたのだった。


「凪がこんなにお願いしているから、勿論、凪に協力するけど……」

 そう言って、遠田は笑った。


「その神崎って言う人と、同じことを、凪もするんじゃない?」

 凪は、スッと体温が下がるような感覚を覚えた。心臓の、鼓動が早い。嫌な、汗が出てきた。


 確かに、他社から出ていた内定を蹴ってまで、達也を追いかけていったのは、凪だった。


 出会ったとき―――。


 まだ大学生だった。マッチングで出会って、何故か『運命』だと思ってしまった。それが何故なのか、説明は出来ない。あの時の達也は、二度は会わないということを、言っていた。けれど、凪は、どうしても、達也が良かった。


 ストーカーじみていただろう。

 達也のほうは、きっと、そんなことは露ほどにも思っては居ない。


「俺は……神崎さんみたいなことはしないよ……」

 そう、遠田の言葉を否定するが、心から否定しきることが出来たわけではなかった。


「そうかな? 僕から見たら……、神崎って言う人も、凪も―――なんて言うのかな、思い込みが激しくて、瀬守さんの意志より自分のコトを優先してるでしょ?」

「そんなことは……っ!」


「そう? だって……なら、なんで、このアプリ、瀬守さんには内緒なの?」

「それは……」

 思わず、凪は、口ごもった。


 位置情報を取得して、ログを記録しておくアプリ。仕組み自体は、それほど大変なものではない。既存のサービスを組み合わせれば、作ることが出来てしまう。これを、パッケージソフトとして売る場合は、見た目や操作性を向上させるなど、やることがあるが、ここでは、そんなものは必要なかった。だから、それほど、作成するのに大変なアプリという訳ではない。


 そして、位置情報を共有したい―――と達也に申し出ることも、今のタイミングであれば、可能だったはずだ。


「わざわざ、隠すことなのかな……と思って。だから、僕は、凪が心配なんだよ。僕と付き合ってる頃、凪は、そんな感じじゃなかったでしょ? 普通だったよ。なのに……瀬守さんと付き合うようになってから、凪は、おかしくなったよ」


 おかしくなった―――。


 それは、なんとなく、解る。神崎が、達也に夢中になったように―――達也は、人を引き寄せる、妙な引力を持っている。


(俺も、それに当てられただけ……?)

 だとしたら、凪も、神崎のように、達也を独り占めしたくて、その為に、何でもやりそうだった。


「……瀬守さんから、少し離れたほうが良いんじゃない? 少なくとも、今、神崎って言う人の件が片付いたら、少し、冷静になってみたほうが良いよ。……僕から見たら、凪は、ちょっと変だから」


 遠田とは―――。

 付き合っていたのか、付き合っていなかったのか、微妙な所だった。


 大学で気があって、よく一緒にいた。ゼミは一緒だったし、同じ会社を受験して、同じく、研究職で採用されることが出来たのは、嬉しかった。ずっと、そうやって行くのだろうとは思っていた。


 お互い、性嗜好が同性だったというのも、割と早いうちに知って、何度か、関係も持った。『恋人』というほど甘い関係ではなかったが、『友人』よりは、もっと、親密だった。


 遠田は、『付き合っていた』と言うのだろう。凪は、『別に付き合っているつもりはなかった』と思っている。そういう差がある。その温度差に、遠田は、苛立っているのだろう。


「変、かな?」

「変だよ。……内定出てる会社を蹴って、実家とも絶縁して、マッチングで会った男を捜して、追いかけていって、その会社に就職して……これが、変じゃなかったら、何が変なんだよ。

 凪のお母さん、心配してたよ。今でも、今の会社、辞めて、うちの会社に入ったら、実家にも戻れると思うよ? それが、凪が、本当に進むべき道だったんじゃないの?」


 遠田は、カバンから白い封筒を取り出して、凪の前に置いた。


「なにこれ」

「推薦状。……うちのゼミの教授と、僕と、僕の上司。―――これを提出して、中途採用で入って来て欲しい。研究職になって、皆の役に立つものを作りたいっていうの……凪の夢だったんじゃないの?」


 なんとなく、封筒を受け取ってしまった凪は、おとぎ話の『人魚姫』を思い出していた。

 だとすると、この封筒は、短刀ダガーに他ならなかった。



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