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第122話 思わぬ再会


 凪に『飲みに行かないか』と誘ったのは、もしかしたら、初めてだったかも知れないと思いつつ、達也は、仕事の支度を進めていた。


 今日は、例のおにぎり屋・グッデイの打ち合わせがセッティングされている。


 場所は、ORTUS社の支店の会議室と言うことで、榊原も同席すると書かれていた。


 ORTUS社の支社は、おにぎり屋のある駅と同じ駅だが、降り口が逆だった。ORTUS社は、東口。おにぎり屋・グッデイは西口だ。西口のほうは、住宅街になっている。近くに会社などは多いが、駅をこえてこなければならないという、圧倒的な弱さがあった。駅は、東西の連絡通路で結ばれてはいるが、気分的に駅を越えると『遠く』感じるものだった。


「今日の所は、まずヒアリングとかだろ?」

 達也は興水に確認する。「ああ、その予定だ。まだ、正式発注まで行ってないからな。一応、着手許可は出ているが……」


 発注前に作業をするのは、済み発注になる。のちのち、監査などが入った場合、問題になるのでそのあたりは、注意していた。


「……資料と言っても、ヒアリングに必要なものを纏めただけの簡単なものだから……別に、大丈夫だと思う」

「そうだな。じゃあ、行くか」


 ORTUS社の支社に行くというのは、多少気が重かったが、(あの人は、もう俺の人生に関係ない)と心に決めて、出発する。


 電車に乗って、ぼんやり車窓から流れる風景を眺めていると、手が汗ばんできたが、(これは営業で緊張しているから)と言い聞かせる。


「達也、本当に大丈夫か?」

 興水が心配そうに聞く。


「えっ? ああ、うん、大丈夫だよ」

「顔色は、悪いぞ」


「……まあ、ちょっとね、緊張しているから」

「緊張は、大事だよ、どんな相手でもね……今回は、まず顔合わせを兼ねてヒアリングがメインだから……、先方と、うまくやりとりが出来るとありがたいな」


「そうだね」

 やりとりが出来たかどうか……で、大分、仕事の質が変わる。会話をしないと、相手の望むものを引き出すことが出来ないというのは、良くある話だった。


『お任せします』と言って話を進めたのに、提出したものをみて『なんか違う』と言われるのは、本当にどの業種でも良くあることだ。そのギャップを、できるだけ埋めたい。


「達也、今日PCもってきてるんだ」

「えっ? ああ、イメージのすり合わせ、早いうちに出来たほうが良いからさ」


「たしかに」

 今は、インターネットで検索すれば、いくらでもイメージの参考になるような画像が出てくる。そのものを作れと言われると困るが、そのテイストに近いもの、でさらに顧客に合うモノを提示していくというのが出来るので、イメージをできるだけ早く顧客に提示するのは、良いことだった。


「ちょっと、力入りすぎてるから、少し、肩の力は抜いていこうな」

「おうっ!」


「……先方は、榊原さんと、グッデイの代表の人のお二人だそうだよ」

「緊張する」

 初めて会う人には、いつだって緊張するものだ。


「……まあ、お前が何かトチったら、俺がいるんだから、何でもフォローは出来るから、安心しろ」

 ぽんっと肩を叩かれた。その、大きな手の存在感に、達也は安堵する。


「……ありがと」

「まだ、終わってないのに礼を言うなよ」


 興水が笑うのを聞いて「確かに」と達也は肯く。緊張は、どこかへ飛んで行ってしまったようだった。






 ORTUS社の支社は、知らなければ、通り過ぎてしまうような、雑居ビルの四階にあった。茶色い煉瓦造りの雑居ビルは、かなり年期が入っていそうな建物だったので、丸の内の綺麗なオフィスとはあまりにもかけ離れていて、達也は、住所を二度見した。


「地方オフィスに主力事業があるなら、自社ビルを建てると思うけど……ここは、そんなに大きな事業所ではないから、賃貸のオフィスなんだろうね」

 とは興水の言葉だ。


 エレベーターもない建物で、四階まで歩いて行くと、少し息が切れて体力の衰えを痛感することになった。


 オフィスの入り口には『ORTUS』のロゴが掲げられている。呼び鈴などはなかったのでドアをあけて、「こんにちは、佐倉企画のものです!」と呼びかける。入り口には受付らしき場所はなく、すぐにオフィスが広がっている。机が五個集まった島が、四つ。二十席ほどあった。座っている人はまばらだったが、皆、机の上に、資料がどん、と積み上がっている。昭和感のあるオフィスだ。


 それに、会議室らしきスペースがいくつか。備品などを入れたキャビネットや、書類をいれた本棚などもあった。


「あっ、こっちこっち!」

 会議室からひょっこりと顔を出したのは、榊原だった。


「榊原さん、こんにちは。先日はお世話になりました」

 興水は挨拶をしてから、会議室へ向かう。達也も、それに続いた。


 会議室は、手狭だった。机が入っているものの、六人も入れば窮屈なくらいだろう。

 興水と達也が会議室に入ると、スッと榊原が立った。


「先日は、大変ご迷惑をおかけしました。また、興水さんと瀬守さんに対応して頂けて、嬉しいですよ。今は……ORTUSを離れた身分なので、OBみたいなものです。それと……こっちが、グッデイの代表で松園直樹くん。ちょうど、お二人とは、同世代じゃないかな」


 傍らにいたのは、グッデイでワンオペをやっていた人だった。


(代表がワンオペって大丈夫かな……)

 とは思いつつ、達也は挨拶をする。


「佐倉企画の瀬守です」

 興水が挨拶するのを待っていた達也だったが、一向に興水は挨拶しなかった。

 ちらりと松園をみやると、松園も、興水を見たまま、固まっている。


「えっ? これ、どういう感じ?」

 榊原が首を捻っている。その声で、やっと硬直から解かれたらしく、興水が、小さく、呟いた。


「幼馴染み、なんです……」

「ええ。幼稚園から高校まで一緒でした……」

 二人は、思わぬ再会に、声をなくしていた。



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