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第124話 『いつもの』凪


 おにぎり屋・グッデイとの仕事は、『広告と企画全般で一年間』という契約をもらった。連続してもそれぞれ単発の仕事が多い、達也の会社では、珍しい契約形態となった。


 その分、やることも多岐にわたるかもしれないと、多少心配していたが、興水などは気楽なもので、


「困ったら、チーム寄せ鍋召集すれば良いだけだよ!」


 とからからと笑っている。こういう、肝の太さが、管理職になるゆえんなのだなと、達也は心から興水を尊敬した。


 気が付けば週末になっていて、一週間はあっという間だった。あと二三日日付が欲しい……一週間が十日くらいなら良いのに……と思ったのは初めてのことだった。学生時代の達也が聞いたら、『ドン引き』するだろうとは思っている。


(ま、仕事が楽しいし……いうほどブラックではないからな……)

 金曜日まで必死で走って、ヘトヘトではあったが、気分は悪くない。『やらされて』いたら辟易するだろうが、自分でやりたくてやっている仕事が多いので、疲弊しないのだろう。


 週末。金曜日。

 今日は、久しぶりに凪と一緒に飲みに行く予定だった。


 あれから―――つまり、神崎との事件から、一月近く経過しているが、凪の様子は、相変わらずだった。話しかければ、普通にしている。仕事は、淡々とこなしている。けれど、それ以外、自発的に達也の所に来ることはない。周りとも、会話をしていないようだった。


 それは、興水や藤高、朝比奈に池田という、チーム寄せ鍋のメンバー達も、みんな気になっているようだった。


(凪は……、聞いても、ちゃんと言わないだろうな)

 自己解決してしまう性格だとは思っている。ただ、それが、良い方向に向かっているのならば良いのだが、そうとは限らない場合があるだろう。


 そう言うときは、周りの人間と、会話するのが一番なのだ。それは、間違いない。

(俺くらいには、ちょっと頼ってくれても良いと思うんだけど……)


 凪は、様々な場面で、達也を助けてくれた。今回の、神崎の件でも、そうだった。凪が、達也の居場所を突き止めてくれなければ―――、神崎に国外まで拉致されていた可能性も、ない訳ではない。


(そうなったら、俺、密入国者だよなあ……)

 そのあたりを『なんとかする』方法が、神崎には在ったのだとすると、つくづく、神崎から離れることが出来て良かったと胸をなで下ろしている。


 現在、十六時。

 店の予約は、十九時だった。


 凪は、デスクであちこちに電話を掛けているようだった。凪の今日の仕事の予定としては、次の仕事の為の打ち合わせのアポ取りなどが多いようだった。凪の上司としては、何の仕事をするか、把握はしている。


 達也のほうは、グッデイに提出する資料の準備と、ORTUS社とのイベント直前に来たタカシマフーズの件で、企画をやりとりする必要があった。


 タカシマフーズは、食品商材を扱う会社だったが、タカシマフーズの緑山社長の娘、玲奈が就職して、本格的に跡取りとしての修行を始めたのだろう。


 それで、彼女の企画で、イベントをやるということだった。


 タカシマフーズは、主に海産物系の加工食品、冷凍食品がメインで、今までの顧客層は、飲食店などの業者だったが、小売りも視野に入れているらしい。確かに、業務用レベルの食品ならば、少しお金を出しても手に入れたいという消費者もいるかもしれない。


 玲奈から送られてきた企画書は、中々面白い試みが書かれていて、それは、イベントスペースを使った『試食会』というものだった。


 実際に体験して貰えれば良さが解るというのは、自信の現れだろう。それと価格が折り合えば、購買に繋がる。確かに、良い気がしたが、ブラッシュアップは必要だった。


 目指す顧客層や、価格帯というのを視野に入れなければならいし、今まで業務用だった会社が、いきなり小売りに参入できるかと言われると、多分、スーパーなどでは空いているスペースがない。今まで付き合いがあった業者の、そこを押しのけなければならない。


 それをおもうと、前途の厳しさには眩暈がする。


「試食会……」

 ふと、達也は、思いついた。タカシマフーズの試食会で、グッデイのおにぎりも試食を展示出来ないだろうか……?


 ここが、コラボレーション出来る道はないか。

 思いついたアイディアを忘れないようにメモして、達也は、タカシマフーズの製品ラインナップをざっと見やった。冷凍物、加工食品。この中で、おにぎりに出来るものがあれば……。


 目玉商品を作ることが出来るのではないか……?

 PCに食い入るようにして資料を読んでいた達也の肩が、ぽん、と叩かれた。


「えっ?」

 見上げると、凪だった。


「あっ、凪……」

「……そろそろ行かないと、予約の時間ですけど」

 凪は、くすくすと笑っている。それに、達也は、ホッとした。


(ああ……『いつもの』凪だ……)

 そのことに、酷く、安堵していた。ここのところ、凪の、こういう表情を、見ていなかったような気がしたからだ。


「あ、悪い……」

「電車まで、あと十分ですから」


「解った」

 とりあえず、資料は保存して、大急ぎで帰り支度を始める。それを静かに、凪が見守っている。


「おっ、今日はもう上がりか?」

 藤高に声を掛けられて「はい。今日は、飲みに行くんですよ」と凪を指さした。


「そっか。じゃあ、気を付けて」

「はい。あっ、……あと、ちょっと明日、土曜ですけど在宅で仕事したいです」


「まあ良いが……ほどほどにしろよ」

 藤高の言葉に「はーい」と間延びした返事を返していると、凪が、ぼんやりとPCを見ていることに気が付いた。


 心ここにあらず、というような、顔をしていた。



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