『個人的に会うのは、これて終わりにします』
頭の中で、凪の言葉が何回もリフレインしている。
今、達也は、自宅のベッドの上に寝転がっているが、どうやってここまで帰ってきたのか、よく覚えていなかった。ただ、手に、黄色い付箋紙を握りしめているので、ポストの所には、今日も付箋紙が貼られているのは間違いない。
広げてみたら、『淫乱』『セクハラ』『人間のクズ』『ゴミ』『死ね』と書かれているのが見えた。
毎度、幼稚な事この上ないが、今日は、落ち込んでしまった。
「なんで……、もう……会わないんだ……」
それに、あの封筒は何なのだろう。
解らないが、凪の表情を曇らせていたのは、この『別れ話』とあの封筒のような気がした。
(なんなんだよ……)
気が付くと、カフェだった。見知らぬカフェで、遠くの席に凪が居る。隣には、遠田や、それに見知らぬ人たちもいた。
達也は、凪の近くまで行き「凪」と声を掛ける。
凪の表情が曇った。顔色が、悪い。チラッと達也を見たが、その表情は、怯えているようにも見えた。
「また、あなたですか」
凪と達也の間に、遠田が立ち塞がる。
「なんだよ、遠田。……そこを退けって。俺は、凪に用事があるんだよ」
「だから、迷惑して居るって言ったでしょう? ……これ以上やったら、ストーカーって訴えますよ!」
遠田が達也の腕を引っ張って、カフェの外へ連れ出す。
「ちょっっ!」
「……あなたの分のお会計も、僕がしておきます。瀬守さん、そろそろ、目を覚ましてください」
遠田が、溜め息混じりに呟く。
「目を覚ますって……」
「だって、考えても見てくださいよ。あなた、マチアプで出会っただけの人でしょ? それなのに、偶然、同じ会社に入ってきたからって、ずっとつきまとって……肉体関係も持ったんでしょ? ……そういうの、出るところに出たら、あなたもまずいんじゃないですか? 凪は、あなたにストーキングされて、迷惑していましたよ?
とにかく、もう、凪には関わらないでください。
そちらの会社を、辞めさせて正解でした」
達也は、言葉を失っていた。
(俺が……ストーカー……?)
周りの人の声が、急に聞こえはじめた。今まで、周りに人など居なかったと思っていたが、実際、カフェは満席だったし、今のやりとりを、多くの人が見ていた。
『あの人、あの子にストーキングしてたんだって』
『男同士で?』
『……肉体関係も持ってたって』
『強要されたの?』
『……だとしたら、かなりの淫乱じゃね?』
『若い子に、上の立場から関係を強要するヤツは、全員クズだよな』
『確かに』
『死んだら良いのに』
視線。笑い声。あちこちから、達也に向けられるそれらを振り切るようにして、走り出そうとするが、上手く走れない。脚がもつれる。
目が覚めたとき。全身がぐっしょりと汗に濡れていた。肌に張り付いたシャツが、気持ち悪い。
さっき、凪は、変な夢を見せるチーズのことを話していた。
(チーズのせい……)
だとは思ったが、なんとなく、やましさがある。達也は、たしかに、凪に対してやましい思いがあった。
今、仕事でも、プライベートでも、なんとなく凪を頼っている部分がある。それは、達也の甘えの部分だろう。だが、それは、本当に、『上司』として正しかったのだろうか。
(……関係は持ってたけど……)
関係を、強要はしていない―――はずだ、と今までを振り返る。だが、よく解らなくってしまった。
(近場で……職場で、恋愛とか、ごちゃごちゃするのは、嫌だって、自分で言ってたじゃないか)
それであれば、凪の『もう会わない』というのは、願ってもないことではないのか?
達也の望みの通りだろう。
「そ……そうだ、よな……うん。近場で、ごちゃごちゃするのは嫌だし……また、神崎さんみたいな……ああいうことになったら嫌だし……」
そう、言い聞かせるように呟いたが、その一方で、今日は、食事の後、家に誘うつもりがあったことは、否定出来なかった。
(身体の相性は、良いんだよ……)
だからと言って、ずるずると続けて良い『関係』ではないはずだ。
凪のほうから、こういうことはもうしない、と宣言して貰って、好都合だったではないか……。
(そうだ……。元々、凪がつきまとって来るのは、迷惑だったし……、いろいろあって、誘いに乗っていたけど……そういうのも、しない方が良かったわけだし……)
目の前が、ぐるぐると回っている。
チーズのせいかもしれないと思いつつ、達也は、目を閉じた。目を閉じても、頭の中が、ぐらぐらと揺れていた。