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第126話 スティルトン


『個人的に会うのは、これて終わりにします』


 頭の中で、凪の言葉が何回もリフレインしている。


 今、達也は、自宅のベッドの上に寝転がっているが、どうやってここまで帰ってきたのか、よく覚えていなかった。ただ、手に、黄色い付箋紙を握りしめているので、ポストの所には、今日も付箋紙が貼られているのは間違いない。


 広げてみたら、『淫乱』『セクハラ』『人間のクズ』『ゴミ』『死ね』と書かれているのが見えた。


 毎度、幼稚な事この上ないが、今日は、落ち込んでしまった。


「なんで……、もう……会わないんだ……」

 それに、あの封筒は何なのだろう。


 解らないが、凪の表情を曇らせていたのは、この『別れ話』とあの封筒のような気がした。

(なんなんだよ……)





 気が付くと、カフェだった。見知らぬカフェで、遠くの席に凪が居る。隣には、遠田や、それに見知らぬ人たちもいた。


 達也は、凪の近くまで行き「凪」と声を掛ける。

 凪の表情が曇った。顔色が、悪い。チラッと達也を見たが、その表情は、怯えているようにも見えた。


「また、あなたですか」

 凪と達也の間に、遠田が立ち塞がる。


「なんだよ、遠田。……そこを退けって。俺は、凪に用事があるんだよ」

「だから、迷惑して居るって言ったでしょう? ……これ以上やったら、ストーカーって訴えますよ!」


 遠田が達也の腕を引っ張って、カフェの外へ連れ出す。


「ちょっっ!」

「……あなたの分のお会計も、僕がしておきます。瀬守さん、そろそろ、目を覚ましてください」

 遠田が、溜め息混じりに呟く。


「目を覚ますって……」


「だって、考えても見てくださいよ。あなた、マチアプで出会っただけの人でしょ? それなのに、偶然、同じ会社に入ってきたからって、ずっとつきまとって……肉体関係も持ったんでしょ? ……そういうの、出るところに出たら、あなたもまずいんじゃないですか? 凪は、あなたにストーキングされて、迷惑していましたよ?

 とにかく、もう、凪には関わらないでください。

 そちらの会社を、辞めさせて正解でした」

 達也は、言葉を失っていた。


(俺が……ストーカー……?)

 周りの人の声が、急に聞こえはじめた。今まで、周りに人など居なかったと思っていたが、実際、カフェは満席だったし、今のやりとりを、多くの人が見ていた。


『あの人、あの子にストーキングしてたんだって』

『男同士で?』

『……肉体関係も持ってたって』

『強要されたの?』

『……だとしたら、かなりの淫乱じゃね?』

『若い子に、上の立場から関係を強要するヤツは、全員クズだよな』

『確かに』

『死んだら良いのに』


 視線。笑い声。あちこちから、達也に向けられるそれらを振り切るようにして、走り出そうとするが、上手く走れない。脚がもつれる。





 目が覚めたとき。全身がぐっしょりと汗に濡れていた。肌に張り付いたシャツが、気持ち悪い。

 さっき、凪は、変な夢を見せるチーズのことを話していた。


(チーズのせい……)

 だとは思ったが、なんとなく、やましさがある。達也は、たしかに、凪に対してやましい思いがあった。


 今、仕事でも、プライベートでも、なんとなく凪を頼っている部分がある。それは、達也の甘えの部分だろう。だが、それは、本当に、『上司』として正しかったのだろうか。


(……関係は持ってたけど……)

 関係を、強要はしていない―――はずだ、と今までを振り返る。だが、よく解らなくってしまった。


(近場で……職場で、恋愛とか、ごちゃごちゃするのは、嫌だって、自分で言ってたじゃないか)


 それであれば、凪の『もう会わない』というのは、願ってもないことではないのか?

 達也の望みの通りだろう。


「そ……そうだ、よな……うん。近場で、ごちゃごちゃするのは嫌だし……また、神崎さんみたいな……ああいうことになったら嫌だし……」


 そう、言い聞かせるように呟いたが、その一方で、今日は、食事の後、家に誘うつもりがあったことは、否定出来なかった。


(身体の相性は、良いんだよ……)

 だからと言って、ずるずると続けて良い『関係』ではないはずだ。


 凪のほうから、こういうことはもうしない、と宣言して貰って、好都合だったではないか……。


(そうだ……。元々、凪がつきまとって来るのは、迷惑だったし……、いろいろあって、誘いに乗っていたけど……そういうのも、しない方が良かったわけだし……)

 目の前が、ぐるぐると回っている。


 チーズのせいかもしれないと思いつつ、達也は、目を閉じた。目を閉じても、頭の中が、ぐらぐらと揺れていた。



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