目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報

第129話 尾行


(あんな事件があった後だから仕方がないけど……)

 最近、凪と達也の様子がおかしいことを、池田は不審に思っていた。


 今まで、凪と達也というのは、何をしなくても自然に一緒に居るような関係だった。ベタベタしているというわけではないが―――どちらともなく一緒にいる関係というのが適切だろうか?


 けれど、最近―――正確には、あの、ORTUS社の一件以後、達也と凪の間が、なにかおかしい。そして達也も、凪も、なんとなく、元気がないというか、落ち込んで居るような感じがあった。


(達也さんは、興水さんとかが面倒見るから良いとして……)


 問題は凪だった。凪は、まだ、入社一年も経っていない。優秀で、大きな仕事にも参加しているから、皆が見落としがちなのだが、まだ、社会人としての経験は、浅い。今までの凪の常識から外れたようなことが起きた場合、凪だけでは背負い切ることが出来ないかもしれない。


 そうなったら、優秀な凪は、この会社ではなく他の会社へ、すんなりと移っていくことだろう。凪ならば、おそらく、引く手数多あまただ。


(なーんか、あったような気がするんだよなあ……)


 池田も、いくつかの理由は考えていた。まずは、『ORTUS社と、まだ、やりとりをしていることに対して、凪が会社に不満を持っていた場合』。


 職位に依って、アクセス出来る情報に差がある。これは、凪も歯がゆい思いをしているかも知れない。常識的に、もはや関わりを持たないと決めていた会社と、やりとりをしているのは、不信感が募るだろう。


 そして、もう一つは、『新しいプロジェクトから凪が外されている』ことについて不満を持っていた場合。結果として、ORTUS社との新しい事業は、達也と興水の二人で担当することになったので、凪は外れている形になる。それは、あの二人が手を上げて、それを会社が了承したに過ぎなかったが……不満に思っている可能性もある。


(達也さんもに相談するのが普通なんだろうけど……)


 その達也が、問題の中心に居るかも知れないと思って、池田は、達也に相談する前に、凪にに話を聞いてみようと思った。そこで、不満を吸い上げられるならば、それで良い。


 凪は最近、大体定時で上がる。

 そこを捕まえて、話を聞けば良い。


 定時になって、凪が帰る。そのあとを追って、池田も仕事を切り上げた。凪は、電車出通勤して居るはずだった。だから駅へ向かうのだと思っていたのだが、凪が向かったのは、駅ではなかった。


 駅とは正反対の、雑居ビルの地下。『純喫茶』の看板が掛かったレトロな店へ入って行く。


(あ、仕事帰りにカフェにいく系か……)


 カフェで寛いでいるところで声を掛けるのは、どう考えても迷惑だが、それが一番話しやすいだろうと思って、池田も喫茶店へ入って行こうとすると、別の方向から見知った人が喫茶店へ入っていくのが見えた。


(あれ、鍋会の時に突っかかってきた人だ……遠田って言ったかな)

 なぜか、ねちねちと絡んできた人だ。ただ、凪とは知り合いだったようなのを思い出した。


(あ、もしかして……)

 二人は待ち合わせをして居た……とか?


 好奇心を出すのは、良くないことだとは思いつつ、池田は、店へと入って行く。


 カランコロン、とドアについたベルが鳴る。地下だというのに、広々とした空間が広がっていて、池田は驚く。しかも、映像で見た『昭和』の雰囲気をそのまま残したレトロな空間が広がっていて、ちょっとした、異世界感があって目がくらむ。


 席はまばらに人が埋まっていて、白シャツに黒いベスト、黒いスラックス姿のウェイターが「いらっしゃいませ、お好きなところへ」と案内してくれたので、店内をざっと見回す。


 席はテーブル席と、ボックス型になった席があった。完全に閉ざされているわけではないが、その『コ』の字型に区切られた席に、凪と遠田が居るのが解ったので、その後ろの席に移動する。


(凪のやつ、遠田と一緒だったのか……)


 二人に見つからないように気を付けながら、池田は聞き耳を立てる。ウェイターがメニューとアツアツのおしぼり、そして水をもってきてくれた。池田は、メニューを熟読する振りをしながら、聞き耳を立てる。


「……もう、あの人とは縁を切ったんだろ」

 遠田の声が聞こえてきた。


「ああそうだけど」

 凪の声は、会社で聞くよりも、もっと低くて陰鬱な声だった。


「それで良いんだよ。……それでさ、この間の話……、ちゃんと、考えてくれた?」

 遠田が、凪に聞く。凪は、答えないで、水を飲んだようだった。


「……注文、しない?」

「ああ……そうだね」


 二人は、コーヒーを注文した。銘柄で指定していたので、よく解らない。池田は、特にこだわりを持ってコーヒーを飲むタイプではなかったからだ。


 池田は、とりあえず『本日のコーヒー』を注文する。これは、作り置きのものを出してくるようで、すぐに提供された。純喫茶というだけあって、美しいコーヒーカップは、揃いのソーサーと一緒に出されて、ソーサーの端には、ちょこんと焼き菓子が一つ載っている。


 凪と遠田は、無言だった。正確には、遠田が話しかけるが凪が素っ気なくて、会話になることを拒んでいるようだった。遠田は、多分、面白くなさそうな顔をしているのだろうと想像すると、少し、面白くなった。


「……それで、考えてくれた?」

 遠田は、もう一度聞いた。コーヒーを飲んでいるのだろう。凪は、しばらく、無言だった。


「ありがたい話だけど、断るよ」

「なんで?!」


 遠田が声を荒らげる。「もう、凪が、あんな会社に居る必要なんてないだろ!!!」

「静かにしなよ」


 あらぶってたち上がった池田に対して、凪は、静かだった。


「何が不満なの!? 今の会社が、本当に凪が入るべき会社だっていうの? あの人に惑わされて、それで入った会社でしょ!?」

「別にそれだけじゃないよ。それに、惑わされた訳じゃない」


「なんで!? ずっと、うちの会社に入りたいって、そう言ってたのに! 僕だって……」

「遠田の会社にはたしかに憧れはあったけど……なんとなく、嫌になっただけ。今の会社は、今の会社で、俺は気に入っているから……」


「騙されてるだけでしょ。目を覚ましてよ! あんな会社、凪にはふさわしくないよっ!」

 店内の視線が、二人に集中している。池田は、このやりとりを聞いていて、腹立たしくなってきた。確かに、前の鍋会の時も、遠田は、同じような感じで、池田たちの会社を見下してきたのだった。


 これ以上黙っていられなくて、池田はたち上がった。

「喫茶店なんですから、静かにしてくれませんかね」


 池田の登場に、凪は目を丸くしていた。

「池田さん……」


「あー……、凪の会社の人ですか。この間の鍋の時にもいましたよね。鍋が好きなだけで皆で仲良しこよししている人たちでしたよね?」


 完全に、池田を見下しながら、遠田は言う。わざわざ、こういう言い方をしなくても良いだろうに、と池田は感じたが、本人は、気が付いていないだろう。


「なんか、可哀想な人ですね、アンタ。……自分の価値観で、他の人を見下すのが楽しいなら勝手ですけど、うちの会社とか、うちの後輩を侮辱されるのはたまらないんでね……。これ以上やるなら、本当に、アンタの会社に連絡しますけど」


「やれるもんならやってみろよっ!」

 遠田が突っかかってきたので、池田はため息をついて、店内の人に頭を下げた。


「ちょっと済みません、おくつろぎの時間をお邪魔してしまって……。この人は、俺が連れて行きますんで」

 三人分の代金として、五千円をテーブルの上に置いて、凪と遠田の二人の腕を引っ張って、池田は外へ出た。


 純喫茶を出て、地上へ戻るなり、遠田が「なに勝手なことをしてんだよ!」と騒ぎ始めた。


「お前さあ……、何が気に入らないか解らないけど……ちょっと、ハタから見たら、アタオカにしか見えないよ? アタオカはわかる? 頭おかしい人って意味だからね?」


「はぁっ!? なんで、僕がっ……っ!! 僕は何も悪くないだろっ! 全部、凪が悪いし、凪をそそのかした、あの、瀬守が悪いんだよっ! 全部っ!!!」


 遠田は地団太を踏んで叫んでいる。まるで、子供だ―――と呆れた池田だったが、なんとなく、危なっかしくて、目が離せない。


「遠田さん、ちょっと落ちついて。そんな、吹き上がってたら、何も話出来ないでしょ。……とりあえず、もう、うちの凪には、つきまとわないでね。これは、うちの! 佐倉企画の! 社員で、俺の後輩なんだから」


 遠田がギリギリと歯がみしながら池田を睨んでくる。


「許さないから」

 小さく、遠田が呟く。


「えっ?」

「……絶対に、凪は返して貰う。凪は、昔の夢を実現させたほうが良いんだよ。僕と一緒の会社に入って、僕と一緒に世の中の人に役に立つような研究をして……」


「うちの会社だって、それなりに小さく誰かの役には立ってるけどなあ。そういう、小さい積み重ねが大事なんじゃないの?」


「うるさいうるさいっ!! とにかく、僕は諦めないからね!!!」

 言いたいことだけを叫んで、遠田は去って行く。池田は、傍らの凪を見ると、ずん、と暗く沈んでいるようだった。


「なんか、あいつ、迷惑だな」

 凪は無言だった。まあ、仕方がないとは思いつつ、池田は「じゃ、俺はここで」と去ろうとしたが、「ちょっと、待ってください」と凪に止められた。


「どうした?」

 凪に問うと、凪は、俯いたまま「済みません、ありがとうございます。助けて頂いて助かりました」と呟いた。


「あのさ、コレって、……この間の神崎さんみたいな案件だったりする?」

 どう聞いて良いか解らなかったので、池田はそう聞いた。すると、凪は小さく吹き出してから、「神崎さんの件が、どこまでの範囲を言うのか解らないですけど……」と前置きした。


「遠田は、大学時代の知り合いで、一緒の会社に入ろうって約束してたんです。実際、俺も遠田も、一緒に合格しました。けど……俺は、達也さんに会って、こっちが良いって思ったんです。理屈で説明出来る感じじゃないんです。ただ、あの時、俺が感じて、あの時俺が信じたものを……もうちょっと信じていきたいと思っていて」


「うんうん。俺は、お前ならどこに行ってもやれると思うけど……、達也さんと一緒に居るときのお前って、一番、リラックスして仕事出来てる感じがするよ。だから、達也さんと、相性が良いんじゃないかなって思う」


「俺も、そう思ってます」

「……おそらく、あいつからスカウト受けてるんだろうと思うんだけど……、もし、本気で蹴ったり、あいつをなんとかしたいっていうなら、俺が力になるからな。達也さんだけに良いかっこさせないから、ちょっと期待して頼ってくれよ」


 池田の言葉を聞いた凪が、笑った。泣きそうな顔だと池田は思ったが、口には出さなかった。

「そうします」



この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?