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【第百六三節/剣匠と騎士 上】

 難民団、あるいは第二次救征軍代表カナンによる報告会は、元々到着の翌日に開かれる予定だった。それが一日ずれ込んだため、サラベルジュ学院での講義が実現した。


 マリオンが体調不良を訴えたために生じた不測の事態だったが、これ自体はカナンにとって追い風となった。


 パルミラでの地盤をほとんど確保していない彼女にとって、知名度を向上させられるこの機会は非常に重要なものだった。講義そのものの好評もあり、カナンも確かな手応えを感じていた。


 だが、何もかもが上手く行くはずもない。翌日の報告会は、カナンにとってまさしく冷や水を浴びせられるような体験となった。


 バシリカ城内の議事堂に召喚されたカナンは、演壇の上で、自分をぐるりと取り囲む煌都の高官たちと相対していた。


 彼女がこれまでの旅で過ごしてきた経緯はもちろんのこと、難民団の存在がもたらした影響、それを裏付ける具体的な数字……全て日報で伝えていたことではあるが、カナンは持ち前の弁舌をもってそれらを理路整然と並べてみせる。


 だが、反応はひどく冷めたものだった。十の煌都の代表たちは、それぞれ関心を持っているかのような態度で聴いているものの、それは表面的なものに過ぎなかった。


 報告会を包んでいる異様な空気は、傍聴席に座っているハルドゥスやコレットにも容易に感じられた。議事堂を見下ろす天井桟敷からは、かえって彼女の孤立ぶりをはっきり形として認めることが出来た。


「苦戦してますね、カナン様……」


 コレットは呟きながらも、筆の動きは少しも鈍らなかった。師の教えにならって、目の前で起きている歴史の一部を記述することに意識を集中させている。


 だから、彼女の呟きもカナンに対する心配故ではなかった。将棋の盤上で女王と騎士に狙われた王を見るような、あるいは下界を睥睨する神のような、超越的な態度だ。歴史の記述において私情の介入は許されない。コレットは元々冷徹な少女ではないが、ハルドゥスに学んでからは、限られた局面においてこのような態度がとれるようになった。


 そして、それが磨かれたのは、間違いなくこの数日間カナンと共に過ごしたからだ。


「彼女のことが心配かね?」


 ハルドゥスは同じように筆を動かしながらも、尋ねてみる。即座に「いいえ」という答えが返ってきた。


「心配とか、心配じゃないとか……そんなことより、私はあの人が本当に正しいかどうかの方が気になります」


「ほう。正しい、ときたか」


「正しさが相対的なものであることは分かっています。でも、こうやって煌都の世論に波風を立てることって、本当に良いことなのかな、って……」


 カナンと行動を共にし、その人となりを知った今となっては、彼女が善人だと断ずることに何の迷いもない。


 しかし、カナンが善人であることと、彼女の行っていることが正しいかどうかは、また別の問題だ。


 歴史の中で起きた事件を判定し評価できるのは、後世の人間にのみ与えられた特権だ。その時は善政に見えたことが、後々になってことごとく裏目に出ることがある。また、大罪人として処断された人間が、時をおいて聖人として扱われることもある。


 かつて煌都のとある賢人が「歴史こそ神の裁きつかさ」と語ったとされるが、これは歴史家ならば誰でも知っている格言だ。


 その格言に則るならば、カナンもまた、裁かれる側の人間となるだろう。もし、今自分の書いている記録を後世の人々が読んだならば、その時彼らは、継火手カナンにどのような判決を下すのだろう?


 コレットにとっては、現世の正義や悪、幸福や不幸よりも、後世の人々から見える景色の方が、はるかに気がかりだった。




◇◇◇




 報告会の一部始終を見ていたのは、ハルドゥスやコレットだけではなかった。


 オーディスは議事堂の柱の陰に立ちながら、周囲の様子全てを眺めていた。各煌都の代表たちの表情や仕草、反応を見逃さないよう、目を光らせている。


 実際のところ、煌都代表たちの無感動な反応は、カナンもオーディスも予測していたことだった。演壇の上に立たされたカナンが内心どう感じているかは分からないが、理性の上では、この状況を冷静に受け止めていることだろう。オーディスは、カナンがこの程度のことでへこたれるほど、弱い女性だとは思っていない。


 だが、この状況が好ましくないこともまた事実だ。


 第二次救征軍について、パルミラを出発する際に描いていた絵図とは、若干様子が違ってきている。ラヴェンナに到達するまでにいくらか困難や問題は生じると覚悟していたが、最終的には各煌都代表より『消極的な賛成』を得られると踏んでいたのである。


 何故なら、彼らには救征軍以外に選択肢が無かったからだ。難民を迫害すれば、第二のサウルを生みかねない。かといって優遇するだけの余力は煌都にはない。天火の下で暮らさせるなどもってのほかだ。


 そうなると、必然的にどこか別の場所へと追い払う必要がある。それも、闇渡りたちが納得出来る形で。


 そんな煌都の思惑を読んだからこそ、ここまで難民たちを連れてくることが出来た。


 だが、ここにきてそれが崩されようとしている。煌都側が賛成せず、静観の立場に立ったという事実は、オーディスに一つの過程をもたらした。



(代案、か……)



 救征軍に続く、第二の救済案。誰かがそれを考案し、煌都の代表の間に流したのだ。しかも、一考する余地があるほどの完成度を持っているとみて間違いない。


 誰がやったか……それについては、考えるまでもない。エルシャのユディト以外にいないだろう。この際動機を考えることは無意味だと、オーディスは割り切っている。彼女はカナン諸共救征軍を潰そうとしている。この時期に対案を出すなど、やられる側からすれば妨害以外の何物でもない。


 問題は、その中身がどのようなものであるか、だ。それが分からなければ対策の立てようもないし、巻き返しの契機も得られない。最悪、その代案を全ての煌都が受け入れたら、自分やカナンが何をやったところで徒労に終わってしまう。


「さて、どうしたものかな」


 そう呟きながらも、オーディスは無意識のうちに、懐にしまった手紙に指を掛けていた。

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