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【第二一一節/不備】

 煌都エルシャには、ラヴェンナのように要塞として特化した機能も無ければ、パルミラのような準備や士気も無かった。ただ破滅的な現状を告げる情報だけが次々と舞い込んできた。


 アラルト方面の村落は全滅であり、城内には何とか逃げ延びてきた難民たちが犇めいていた。人数を数えた役人は恐怖した。文書に記録されている名前の八割に、黒字で線を引くことになったからである。


 もっとも、ウルク方面に至ってはより深刻な被害が生じている。仮にこの災禍が終わった後でも、彼らが元居た場所に戻って村を再興するのは不可能であろう。


 大祭司たちがこの状況を重んじなかったわけではない。彼らの世界観からすれば、エルシャは人間の文明を維持する聖都の一つである。守護するのは当然だった。



 だが、肝心の武器が揃えられなかった。



 交易の中継点となっていたウルクが爆心地と化した今、エルシャには物資や武器を揃えるための販路がそもそも残されていなかったのである。残るは西方のテサロニカのみだが、そちらとの街道もすでに瘴土に浸食されており交通は不可能である。


 加えて長く続いた平和から、防衛戦に用いる投石機等も少なくない数が未整備のままになっていた。他の武器も同様である。酷い例では、不正を働いた業者が粗悪な備品を納入していた事実まで発覚したほどだ。


 都外巡察隊や街道警備隊、あるいは守火手といった精鋭はともかく、一般の部隊には十分に装備がいきわたっていなかった。貧民出身者ばかりで構成された部隊などは、そもそも槍すら配られず、仕方なく中古品を持ち出してくる始末である。


 どうしても盾が見つからず、鍋の蓋を携えて参陣している兵士などは、まさにエルシャの準備不足の象徴と言えるだろう。


 加えて兵糧にも問題があった。各地からの難民を受け入れ続けた結果、エルシャの食料価格は暴騰。貧民の一部は満足にパンさえ買えない有様だった。


 食料の不足は安心を損ない、逆に不和と敵意をもたらした。難民相手の暴行事件が多発したため、戦闘が迫る中でも軍の一部を治安維持に割く必要が生じたのだ。


 食料不足などはほんの一例に過ぎず、実際にはより多くの衝突が生じた。彼らを留まらせるための土地はもとより、飲料水、衣服、衛生等、気を配らなければならないものは山ほどある。そしてその全てに対応するだけの時間も余裕も、エルシャには残されていなかった。


 そもそも城壁そのものに欠陥があった。


 先祖伝来の城壁は確かに厚く高く、正門等は到底突破不可能に思える。


 しかしエルシャ東部を占める貧民街は、城壁の切れ目となっている。旧世紀の混乱の際に失われたとされるそこは、貧者への福祉を軽んじるあまり、数百年経っても放置されたままだったのだ。


 その間大きな動乱も無く、闇渡りが忍び込んでも貧民が被害を被るだけなので、誰も危機感を抱くことがなかった。当の貧民たちにしても、煌都の一角に住めるだけ良しとして、誰も非難してこなかった。


 ウルクからの夜魔の進軍を聞いて、大祭司たちは慌てて城壁の増築を行ったが、時間不足から到底話にならないお粗末な物しか造れなかったのである。


 何より、兵士たちの士気が最大の問題点だった。彼らにとってもエルシャは失うことの出来ない生存圏であるが、押し寄せる夜魔の軍勢の威容は、実戦慣れしていないエルシャ兵にとってあまりに圧倒的過ぎた。


 継火手への畏敬や、騎士階級に対する畏怖は当然あるにしても、正真正銘の怪物に対する恐怖の方がより大きかった。



 そんな脆い兵士たちに守られた、脆い城壁が崩れ落ちるのは、当然の帰結と言えるだろう。



 新造の東部城壁はあっさりと崩壊した。


 救えないことに、最大戦力である継火手はほとんど配置されていなかった。誰も陥落すると分かっている場所に行きたいとは思わなかったのだ。


 見切りの早い者は、そもそもこの防衛戦に参加すらしていない。すでにエルシャを脱出して、テサロニカに向かった家族もあるという。


 継火手がそんな有様なのだから、一般兵たちが士気を維持することなど出来ようはずもない。


 城壁の一角が破られたという報告は、上層部を震撼させた。あわや潰走、そのまま全軍崩壊に繋がりかねない大事件である。



 だが、城壁が崩れても、東の部隊が崩壊したという報告は入らなかった。



 他の継火手や守火手が駆けつけない中、ユディトが増援と共に到着したからだ。

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