ディザールがクローズから魔人の力を注入され、死の山の研究所で就寝した翌日、記憶の水晶は視点を過去のシルフィへと移す。
シルフィはイグノーラの街中を青ざめた顔で走り回り、道行く男性に声を掛け続けていた。
「すいません。ディザールを見かけませんでしたか? 昨日から姿が見当たらないんです」
「昨日、日中に兵士を連れて街の外へ行くのは見かけたが、それっきりだねぇ。力になれなくてすまんね」
顔に浮かぶ疲労感と声の擦れ具合から察するにシルフィは相当頑張ってディザールを探していたようだ。いくら探してもディザールはイグノーラ近辺にはいないから傍から見ていて胸が苦しくなってくる。
ディザール失踪の噂は瞬く間に街中へ広がり、ディザールを慕っている有志はシルフィに協力して捜索しているようだ。だが、コルピ王は相変わらず五英雄のことが嫌いなようで、ディザール捜索の指示を一切出していなかった。
結果だけを見ればディザールは人里にいないから捜索コストを払わずに済んだわけだが。それでもコルピ王のあからさまなやり方は見ていて腹立たしい。
そして、記憶の水晶は再び死の山にいるディザールとクローズを映し出す。
2人は昼頃に研究所から出て、死の山の尾根に立っていた。クローズはディザールの手首を掴むと「ふむふむ」と何かに納得した様子で呟き、言葉の意味を語る。
「直に触れて確かめてみたが、どうやら魔人化2日目にして中々の適応率をみせているようだね。これなら10日も経たないうちに魔人化が完成しそうだ。そうなれば純魔人族であるディアボロスとは比較にならないレベルの力を手にすることが出来るだろうね」
「それは楽しみだな。ところで1つ気になったんだが、クローズはディアボロスと知り合いなのか? 奴の戦力分析も出来ているようだが。それにディアボロスは『仲間がほぼいない』と言っていたが、言い換えれば少数の仲間がいるとも捉える事が出来る。だから気になっていたんだ」
「ディアボロスとは少しだけ関わっていたよ。とはいえ彼みたいな魔人族至上主義とは気が合わなくてね。私が彼にしてあげた事は五英雄のことを教えてあげたぐらいかな。逆にディアボロスからは少量の血液や細胞などを頂いて研究に役立たせてもらったよ。ディザールに注入した魔人の細胞もディアボロスから頂いたものが入っているよ」
どうやらクローズと魔人族がしっかり協力関係を結んでいるわけでは無さそうだ。もし、魔人族が全員クローズに力を貸していたら、その時点で人類側に勝ち目はないだろうからホッと一安心だ。
とはいえ将来的にはザキールがアスタロト側に付いているから油断は出来そうにない。アスタロトの息子であり、俺の兄弟でもあるザキールがどのような経緯で生まれたのか分からないが、何が何でもこれ以上、魔人の敵を作らないようにしなければ。
それから2人は新しく手に入れた力を試すかのように模擬戦闘を始めた。
クローズはディザールに『人間状態と魔人状態を細かく入れ替えながら戦ってくれ』と指示を出し、2人は激しくぶつかり合った。
ディザールは魔人族の力を取り組んでいるおかげで人間状態でも基礎能力が大きくアップしているようだ。クローズは攻撃を受ける度に成長を実感して笑顔を浮かべている。
ディザールが魔人状態となり全力でぶつかった際には死の山が噴火してしまうのでないかと思う程の空気振動が周囲に響き渡り、近くにいた魔獣達は血相を変えて逃げ出している。
まるでリヴァイアサンが2体に増えて戦っているかのような別次元の超火力戦闘は5分以上続く。周囲の景色はあっという間に崩壊してしまっていた。
先にバテて降参したのはディザールの方だったが、クローズも相当苦戦していたようで暫く息切れが止まらなかった。
「ハァハァ……まだ完全体ではないのにここまで強いなんて……。流石は私が見込んだだけの事はある。完全に魔人の力が馴染めば、私はもう勝てないだろうな」
もし、10日後にディザールが裏切って襲い掛かったら負けてしまう状況だというのにクローズはとても嬉しそうだ。それだけ研究が上手くいったことが嬉しいのだろうか? それともディザールを信用していて心の底から友達だと思っているからだろうか?
ディザールの口から友達だと認める発言は1度も聞いていないが、模擬戦闘をしている時の彼は本当に楽しそうだった。ディザールが少しずつ人間を捨てているようで見ていて辛くなってくる。
戦闘後、半壊した尾根に横並びで寝っ転がった2人は空を見つめていた。
ディザールは空に手を突き出し、拳をグッと握りしめ、しみじみと魔人の力について語る。
「これが僕の新しい力か。この力と魔人の羽があれば何だってできるし、何処にだって行けそうだな」
「フッ、嬉しそうだね、ディザール。君はこの力を最初にどう奮うつもりだい? グラドを倒して自分が最強だと認めさせるかい? それとも世直しの為にカーラン家の人間を殺すのかい?」
「僕の中に醜い憎しみや殺意があることは認めよう。だが、僕にだって善の心はあるんだ。カーラン家の人間を倒す事はあっても殺しはしないさ」
「ふーん、それもグラドの影響ってやつなのかな? まぁ今のディザールなら人は殺さないだろうね。だって、まだ殺意のトリガーを引いていないのだから」
「……まるで将来的には僕が人を殺しているような言い方だな。相変わらず腹の立つ奴だ。まぁいい、僕は今日の訓練はここまでにして向こうで休んでくる。1人にさせてくれ」
ディザールは疲れ切った顔で舌打ちをすると、クローズの前から姿を消した。
これだけ揺さぶりをかけられている姿を見ると、アスタロトと敵対関係である俺ですらディザールの現状が不憫になってくる。
俺達はアスタロトを止めなければいけないが、それ以上にクローズを最優先で止めなければいけないのではないだろうか? それほどまでにクローズは危険な存在だ、奴がいる限りいくらでも悪人を生み出し兼ねない。
クローズとディザールの間に流れる険悪な空気は解消されないまま、この日は解散となり、記憶の水晶は早送りで翌日以降の光景を映していた。