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第16話 稽古

 地下のトレーニングルームは、映画やドラマで見る最先端のジムのようだった。中は広々としていて設備が一通り揃っている。ランニングマシン、バーベル、ボクシング用のサンドバッグにバランスボールまである。  

 奥には射撃訓練ができるエリアもあり、その横の棚には、さまざまな拳銃や刀らしきものまで収納されている。


 私が呆気に取られていると、焔は棚の前にかけられていた木刀を手に取り、ポンっと私に投げ渡す。そして挑発するように口元を緩め、私を見据えた。


「関東大会優勝、だったか。さて、私から一本取れるかな?」


 木刀を手に、呆然とする私。だが、彼は余裕の表情を崩さず、こう言葉を続けた。


「一本勝負だ。いつでもどうぞ」


 「かかってこい」と言わんばかりのその表情に、私はゴクリと唾を飲みこんだ。突然の展開に戸惑いながらも、木刀を構える。使い慣れている竹刀よりも、この木刀はずっしりと重たい。


「凪!負けるなあ~」


 ハッとして横を見やると、五メートルほど離れた場所で、ヤトが大きく羽を広げながらエールを送っていた。私は焔を真っすぐ見つめ、深く深呼吸をしながら集中力を高める。


 すると、焔も一層鋭い目つきをこちらに向けた。私はじりじりと間合いを縮めていく。すると、突然焔が大きく一歩を踏み出してきた。その圧倒的な気迫に、私は思わず大きく後ずさりをする。


「凪?どうしたんだよ!?攻めろ攻めろお~」


 背後からヤトの声が響く中、私は戸惑っていた。焔が一歩こちらへ近づいたその瞬間、胸の奥で警鐘けいしょうが鳴る。ほんの僅かでも近づいたら斬られるそんな予感がしたのだ。焔は「自己流」と称していたが、彼の構えには隙がない。


「どうした?来ないと一本取れないぞ」


 焔が低く、冷静に言う。私は再び木刀を構え直し、じりじりと間合いを詰めていく。だが、鋭い目つきが、再び私を威圧する。簡単には近づけない。間合いを詰めようと少し近づくたびに、再び斬りつけられるという恐怖が全身を襲う。気が付くと、額からスーッと汗が一筋、流れ落ちた。


らちが明かないな。来ないなら、こちらから行くぞ」


 焔が大きく一歩、さらに二歩と踏み込んで来る。圧倒的な気迫に押され、私は反射的に後退してしまう。だが、焔はそれを逃さず、一気に駆け出してくる。焔は右手に持った木刀を、空気を切り裂くように振り下ろす。私は両手に全身の力を込めて何とか木刀を受け止める。が、力が強く、押し負けて膝をついてしまった。


「もう降参か?」


 この発言に、私は少しカチンと来た。舐められてたまるか。両手に力を込め、重心を体の前に移動させながら、木刀を押し返す。焔が一瞬、後ずさりをしたタイミングで、私は木刀を振り、さらに前へ出る。


 「チャンス!」と私は心で叫び、木刀を振り下ろす。が、いとも簡単にかわされてしまう。捕えたと思ったけど、甘かった。


 焔はさらに一歩後ずさりをし、構えが崩れて首元ががら空きになっている。ついに見つけた、隙だ!ここを突けば──。


 そう思って私は相手の喉元を突く「突き」の姿勢をとる。だが、木刀の先を向けたところで、一瞬躊躇ためらってしまった。

 だめだ。突きの攻撃は──。


 次の瞬間、木刀が私の手を離れ、宙を舞った。少しの間を置いて、木刀がゴトンと床に落ちる低い音が響く。

 私は、反射的に落ちた木刀の方を一瞬見る。すると、ビュッと風を切るような音が聞こえた。視線を前に戻した時、ギョッとした。焔が木刀の先を、私の顔前スレスレに突きつけていたのだ。


「勝負あり、だ」


 焔の冷静な声が響く。私は息を大きく吐いて、ペタンと座り込んだ。途端に全身から汗が噴き出る。単なる疲れじゃない。気迫で押し負けたからだろうか。この人は、これまでに出会ったことがないほどの、得体の知れない「凄み」を感じる。その正体はわからないけれど。


「君はさっき、二度も隙を見せた」


 焔の言葉に、私はギクリとする。そんな私の心を見透かすように、彼は淡々と言葉を続けた。


「一度目はさっき木刀が手から離れた時。自分の木刀に気を取られて、私から目を逸らした。二度目は突きの攻撃を躊躇ちゅうちょした時だ」

「凪!どうして躊躇ちゅうちょしたんだよ!勝てるチャンスだったのに!」


 ヤトが悔しそうに声を上げる。


「…突きの攻撃は危ないから高校の大会では禁止されてて。だから、つい反射的に…」

「だが、もしこれが実戦だったら君は負けていた。怪我じゃ済まないだろうな」


 ズバリ言われて、私は何も言い返せず口をつぐんだ。確かに、実戦なら確実に負けている。


「明日もそうだが、実戦では心を強く持て。相手の気迫に負けて隙を見せるなよ」


 私はがくりとうなだれながら、ゆっくりと頷いた。


「とはいえ、残念だ。関東大会優勝と聞いて、少しは期待していたんだが」


 うぐ…。


 挑発的な言葉を言う焔。顔を上げると、彼は余裕の笑みを浮かべていた。私の胸に、一気に悔しさが湧き上がる。


「次は、勝ちます!絶対!」


 語尾強めにそう言う私。

 すると、焔はゆっくりと歩を進め、柔らかく微笑んだ。そしてそのまま、私の頭を撫でるように「ポンポン」と触れた。


「よし」


 ……え?


 予想外の展開に、私は思わずドキリとして顔を伏せる。


 えーと、えーっと…。


 ドキドキする気持ちを抑えつつ、私は別の話題を探して早口で言葉を続けた。


「あの!そういえば焔さんは、どうして私が関東大会で優勝した時の新聞記事持っていたんですか?」

「ああ、これか?」


 焔は懐から新聞記事を出す。載っている写真には、賞状を掲げながら誇らしげに微笑む私が写っていた。


「君が載っているとヤトから聞いて、コンビニで買ってきた。凄いな、新聞記事で紹介されるなんて。全国でも注目されているんじゃないか?」


 けなされた後の褒め言葉。「いやいや、それほどでもないです」と、私は頭を掻きながらあからさまに照れる。


「だが、勉強はもうちょっと頑張らないとな。特に生物。毎回赤点だろ」


 うぐ……!


 鋭い指摘に、私の顔は再びピシっと瞬時に引きつる。


「……そういえば、なぜそのことを…」

「ヤトが君の情報を詳しく調べてくれていてな。念のため、まとめておいてもらって正解だった。今日の会議であんなに役立つとは」


 そうヤトに微笑みかける焔。私がうなだれながらヤトを見ると、誇らしげに微笑んでいた。


 ヤト、調べすぎ…。


 だが、焔は特に気にする素振りを見せず、木刀を持って再び広い場所へと歩を進める。そして、ゆっくりと私に向き直った。


「さて。次は勝つんだったよな?凪」


 そう言うなり、焔は静かに木刀を構える。私は息を吐き、木刀を強く握りしめた。


 ──もちろん、次こそは。


 私は心の中でそう呟き、木刀の先を焔へと向けた。


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