夜八時。食事を終えた私は、SPTの制服に身を包み、ひとり縁側に座りながら夜風に当たっていた。
今日の晩御飯は本格的なスパイスカレー。スパイスは焔が自らブレンドしたらしく、なんとも言えない絶妙な味わいで、財前さえも思わず舌を巻くほどだった。ルーカレーしか経験のない私にとって、スパイスカレーはちょっぴり大人の味わい。程よい辛味と旨みが見事にマッチしていて、私も、そしてもちろんヤトも、昨日と同様におかわりをした。
今は焔の家に居候させてもらっている私。申し訳ないから「ご飯を作ります!」と意気込んだばかりなのだけど、正直、あのスパイスカレーを食べてしまうと、一気にハードルが上がった気がしてならない。
焔さんの家、か…。
ふと、私の
──ミレニアにとっちゃあ、人狼族の生き血は喉から手が出るほど欲しいはずだ。SPTなんて入ったら、ミレニアに姿を晒すようなもんだろ。そんな危険を冒してでも入るなんて正気の
実はずっと気になっていた。焔の家は都内のクラブの地下にある。秘密基地みたいにひっそりと暮らしているのだ。彼はSPTの幹部だからこういう形で住んでいると話していたけど、本当はミレニアから血を狙われているから隠れて生活しているのではないだろうか?
それに、彼は名前を「焔」と名乗るようになったのは十年前だと話していた。ミレニアが人狼族の村を襲撃したのも十年前。焔がその生き残りなら、やはり身を隠すために名前を変えたのか…。
だけど…。
私は深く息を吐きながら、夜空を見上げる。
身を隠すために偽名を使うなら、普通は苗字もあるんじゃないだろうか。それなのに彼は「焔」とだけ名乗っている。あだ名のような名前は目立つし、彼はSPTの幹部。かえってミレニアに存在が知られて危険なんじゃ…。
…あだ名?
そういえば、前に焔さんに名前のことを聞いた時──。
──これは、まあ…。あだ名のようなものだ。訳あって、SPTでは十年前からこの名前で通させてもらっている──
…って言ってたっけ。
っということは、「焔」というのは「あだ名」で、敢えてそう名乗っている…?
財前が言うには、ミレニアは十年前に人狼族の本家「
私は空を見上げたまま深く息を吐き、そのまま仰向けに寝そべった。
だめだ。何が何やら、わからないことが多過ぎる…。
私も私で、おばあちゃんから聞かされたという「磁場エネルギー」の場所を思い出さなきゃいけないんだけど、焔のことも気になって仕方がない。今は色々頼ってしまってるけど、もうちょっと知ることができたらきっと少しは力になれる。なんとなく、そんな気がする。
瞬間。焔の顔が頭をよぎり、胸がときめく。
私は邪念を振り払うかのように、頭をブンブンと振って再び空を見つめた。
「…焔さんに色々聞きたいけど、ついこの前、名前の話をはぐらかされたばかりだしなあ」
小声でそう呟き、頭を掻いた時、少し冷たい夜風が私の体を包む。顔を叩かれるような風圧。私は思わず軽く目を閉じ、風が止んでからゆっくりと開けた。砂埃が目に入り、私は両手で目をこする。
目から離した人差し指が、ほんのり涙で湿る。
目か…。財前から預かった目薬は、晩御飯の後花丸に渡した。どう言って渡そうか散々迷った挙句、こう伝えたのだ。
「SPTの研究者が作った秘伝の目薬、良かったら点してみませんか?凄く効くって評判なんですよ!」
今思い返すとどうして「秘伝のタレ」みたいな言い回しをしてしまったのか恥ずかしくなるが、私の言葉を受け、花丸は目を輝かせていた。とりあえず「市販の目薬」だと勘付かれなければそれでいい。
ちょっとでも効いたら良いけど…。
私は仰向けの状態で、さらに首を思いきり後ろに向ける。すると、視線の先に焔と財前が喧嘩をした大広間が見えた。照明は点いたままで壁には大量の刀が飾られている。が、一本だけ床に落ちていた。何かの拍子で壁から落ちてしまったのだろう。
私はむくりと立ち上がり、大広間に落ちていた刀の鞘をゆっくり手に取る。ずっしりと重たく、冷たい。そのまま柄に手をかけ、刀を抜いて私は驚いた。模造品かと思ったが、紛れもなく本物の真剣だ。刃は大広間の照明を反射し、鋭利な光を放っている。私は片手で軽く刀を振り上げ、下ろした。切っ先が不安定にグラグラと揺れる。
片手じゃダメだ。重たくて、安定しないな…。
私は鞘を腰に軽く括りつけて、両手でしっかりと柄を握りしめる。この時、私はある衝動に駆られた。実は親友のひなたが、一瞬で抜刀して斬撃する技「居合」をしていて、少しだけ「型」を教わったことがあったのだ。
私は廊下をチラッと見る。人の気配はない。ちょっとだけなら…。私は抜いた刀を納刀し、姿勢を正して前を見つめる。
呼吸を整えて、ゆっくり目を閉じて。
刀の鍔に左手をかけて、右足を踏み出して。
確かこの後は右手で柄を持って──。
次の瞬間、私は大きく息を吸い、目を開けて抜刀した。刀が空気を切り裂く。キラキラと小さな埃が軌道に沿って宙を舞った。一瞬、胸が高鳴るのを感じながら、感情の赴くままに私は刀を振り上げ、下ろす。キンッという金属に似た音が微かに響く。
一歩、二歩。足を踏み込みながら、私は次々と「型」を繰り出す。
水平、横一文字。剣先を斜め右上へ。
気づくと私は「技」に夢中になっていた。