刀を振り始めてどのくらいそうしていただろう。振り向きざま、斜め上をめがけて刀を抜刀した時、数メートル先で私を見る焔の姿が目に入った。
私は一気に我に戻り、目を大きく見開く。
「ほ、焔さん!?」
「…驚いた。凪は剣道だけじゃなく、居合もするのか」
私は慌てて刀を納刀し、手を顔の前でパタパタとさせる。
「いえ、親友から少し型を教わっただけなんです。見よう見まねです」
私は思いきり顔を伏せ、慌てて刀を壁に掛けた。我を忘れて没頭してしまった。そしてそれを見られた。汗を拭いながら何とも言えない恥ずかしさが一気に込み上げてくる。いつから見られていたんだろう。
「見よう見まねにしては、隙がない。大したものだ」
思わぬ褒め言葉に私はドキッとする。ゆっくりと焔の方を見ると、本当に感心した様子で微笑んでいた。恥ずかしさから一転、別の気持ちが込み上げる。強い人に褒められると、素直に嬉しい。
「そ、そうですか…?」
私はへへへっと笑いながら頭を掻く。ここ数日は竹刀も振れていなかったし、こんな形で刀を振れるのが嬉しくて、つい夢中になってしまった。ただ、紅牙組の刀を勝手に使ってしまったのは良くないけど。
私は姿勢を正し、刀に向かって一礼をする。焔の方に振り返ると、彼は思いがけず心配そうな表情を浮かべていた。
「肘は?もう平気か?」
「あっ」と思い、ふと右肘に目をやる。以前負った怪我で包帯を巻いているものの、今は痛みもなく、動かしにくさもない。私は肘を軽く回しながら、笑顔で答えた。
「もうバッチリです」
微笑む焔。それが何だか嬉しくて、私たちは顔を見合わせて笑った。
「焔さん、今日のカレー凄くおいしかったです」
「ああ、そうか?」
「どこで覚えたんですか?」
「本を読んだんだ。あの家は君も知っての通り、外出するのにも一苦労、というか外に出るだけで十五分はかかるからな。外食が面倒で自炊するようになった」
「本だけであんなに作れるなんて凄いですね。お店の料理みたいで本当においしかったです。また食べたいねってヤトとも話してたんですよ」
「あんなもので良ければ、いくらでも作ってやる」
優しい言葉に頷きながら、私は視線を斜め下に落とす。もしかしたら気になることを聞けるチャンスかも。
──焔さん!
あの家は、ミレニアから隠れるために住んでるんですか──?
だが、心の声は言葉にならず、焔の目をじっと見つめることしかできなかった。五秒ほど経った後、固まる私を見ていた焔が軽く首を傾げながら口を開く。
「どうした?言いたいことがあるなら言え」
「え、えっと…」
私は顔を伏せる。
だめだ。なんか聞けないや。
結局、この後言葉にできたのは、家の話とは違う別の「気になること」だった。
「あの、昼間の財前さんとの喧嘩…」
私は焔をチラッと見る。口を開いたのはいいが、一気に恥ずかしさで顔が赤くなる。
「財前さんの喧嘩の誘いに乗ったのって、私が賭けの対象にされたから、ですか…?」
聞き終わるころ、私の心臓は激しく鼓動していた。聞いてしまった。個人的にもの凄く気になっていたことを。照れながら焔を見ると、彼は真っすぐ私を見据えていた。
「…ああ」
──きゅん…。
私の視界が一気に霞む。心臓の鼓動は止まらず、軽い貧血を起こしていた。
「すまなかったな。君の気持ちを考えれば、あの場で財前を問い詰めれば良かったんだろうが、つい挑発に乗ってしまった」
申し訳なさそうな表情を浮かべる焔。私は激しく首を振り、彼を見る。焔は少し不思議そうな眼差しで私の様子を伺っていた。きっと彼からしてみれば、こんなことは大した問題ではなく、もし他の女の人が財前から同じことをされても、同じように行動するだろう。
でも、それでも…。
「あ、あの!」
つい大声を出す私。焔は少し驚いたのか、少し目を見開いていた。
「財前さんと喧嘩した時の焔さん。その…」
「ん?」
「かっかっかっ…」
「か?」
──恰好良かったです。
喉元まで出かかった言葉は、彼に伝わることはなかった。というのも、口に出す前に、翼を羽ばたかせたヤトが、血相を変えて大広間に飛び込んできたからだ。
「た…大変だ!焔!凪!」
私と焔は同時にヤトに視線を向ける。ヤトは余程慌てているのか、いつも以上に上下に乱高下し、羽ばたくたびに体がぎこちなく揺れている。大きく見開かれた目には動揺が浮かび、焦りで飛ぶたびに黒い羽が辺りに抜け落ちていた。
「ヤ、ヤト!」
「どうした?」
そう尋ねるもヤトは興奮し、うまく言葉を繋げることができない。
「みっみっみっ…」
「み?」
「ミレニアだ!ミレニアの使徒が、襲撃しに来たんだよ!!」
「ええええぇ!?」
衝撃的な言葉に、思わず慌てる私。
「落ち着け。どこにいる?人数は?」
「門の前だよ!五十人くらい!今、財前がみんなを中庭に招集してる!焔と凪にも来て欲しいって!」
一瞬にして私は不安に包まれる。襲撃なんて、まさかこのタイミングで…。
「まずはSPTに連絡だ。だが、ここは横浜…応援は期待できそうもないな」
「ど、どうすれば…?」
「心配するな」
焔が優しく私の頭に手を置き、そっと撫でる。彼は静かな、それでいて力強い声でこう言った。
「こんな時のために、私がいる」