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第四章 対ミレニア編

第43話 同心

 竹刀袋を手に持ち、急ぎ足で中庭に向かうと、すでに組員たちは一糸乱れぬ戦闘態勢を整えていた。中庭には百人近い組員がずらりと並んでいる。対するミレニアの使徒は、およそ五十人。しかし、数の優勢に安心はできない、相手は人狼族の血を入れられた戦闘要員。厳しい戦いを見据えてか、組員たちの表情は険しかった。すると、財前が一歩前に歩み出る。鋭い目つきで全員を見渡し、重々しく口を開いた。


「こんな日が来ると思っていたぜ…。去年の一件で味を占めたミレニアが、またこの紅牙組を狙うんじゃねえか、とな。今こそ、万が一に備えて用意しておいた『雷閃刀らいせんとう』の力を見せつける時だ」


 シンと静まり返った中庭には、風の音と揺れる木々の葉が擦れ合う音だけが、夜の静寂を支配していた。そんな不気味な夜の音を、財前は次の一声で豪快にかき消した。


「いいか!ミレニアの使徒には人狼族の血が入れられている!絶対に一人で戦うな!作戦通り、三人一組、最低でも二人一組だ。負傷したら大広間まで撤退!どうしても劣勢になったその時は、屋敷を爆破してここを離れる!とにかく、一人たりとも攫わせるんじゃねえぞ!」


 言葉の後「オー!」という力強い掛け声が上がり、場が活気に包まれる。するとヤトが私の肩にふわりと乗り、感心したようにこう言った。


「財前、やる時はやるね」

「どういうこと?」

「去年襲撃されてから作戦を練ってたんだよ。また襲われても仲間を守れるように。それに、対ミレニア用に武器も用意していたみたいだね」


 武器…。そういえば、去年ミレニアに襲撃された時、普通の刀ではまったく太刀打ちできなかったって言ってたっけ。 

 「雷閃刀らいせんとう」か…。一体どんな刀なんだろう。


 そんな思いを巡らせながら財前を見つめると、その表情はこれまで彼が見せてきた表情とは比べ物にならないほど、真剣さを帯びていた。


「A班とB班は玄関前で待機、C班は大広間で負傷者の手当てだ!D班とE班は屋敷の外周を警戒、侵入者を見逃すな!少しでも怪しい動きがあればすぐに報告しろ。ミレニアの好きにさせんじゃねえぞ!以上、配置につけ!」


 財前の言葉が終わると、男たちはすぐさまその場を去る。財前は向かって中庭後方にいた私たち…、というよりも焔を見ながらこちらに歩み寄る。だが、そんな財前の前に立ちはだかる者がいた。花丸だ。


「ざ、財前さん!ぼ、僕は何をすれば…!?」


 花丸からしてみたら、「ミレニア」も「襲撃」も深刻な意味で初めて聞くに等しい言葉だったはず。それでも恩がある紅牙組に貢献したいのか、足と唇を震わせながら財前に問いかけていた。だが、財前はそんな花丸を冷たく一瞥する。


「てめーにゃ無理だ。臆病者はいらねえ。どけ」


 財前は花丸を押しのけ、こちらへ向かおうとする。だが、花丸はすぐに追いすがり、両手で財前の左肘をグイっと掴む。驚いた表情で振り返る財前。


「じゃあせめて負傷者の手当を…。C班に合流させてください!」


 財前は一瞬驚いた様子を見せたが、すぐに目を伏せた。思わぬ花丸の言葉に、戸惑っているのだろう。だが、すぐに厳しい視線を花丸に戻し、低い声で言い放つ。


「さっきも言ったが、臆病者はいらねえ」


 財前は自らの左手の甲に刻まれた切り傷を、まざまざと花丸に見せつけた。傷を見た途端、花丸はギョッと青ざめる。


「この左手も十分に診れねえ。震えるしか脳がねえ役立たずは邪魔なんだよ。さっさとここから失せやがれ!」


 吐き捨てるように花丸に告げた後、財前は振り返らず歩き続ける。冷たい夜風が、一瞬強く中庭を通り抜ける。風で乱れた髪を抑えながら、私はその場に立ち尽くす花丸を見つめていた。風のせいで顔が髪で隠れて表情は伺えないが、体を震わせながら拳を強く握りしめている。その姿は、研修医としての自分、そして、今の自分を重ねているかのように見えた。


 ──違うよ、花丸さん。財前さんは、花丸さんを逃がしたいんだよ。


 私は心の中でそっと呟いた。次の瞬間、財前と目が合った。瞳には覚悟を決めたような鋭い光がある。この人は紅牙組の若頭として、やるべきことを果たそうとしているのだ。財前は焔に歩み寄り、こう告げる。


「頼む、焔。協力してくれ」

「当然だ。任せろ」


 焔の力強い言葉を受け、財前は安堵の表情を浮かべる。


「私も、君に頼みがある」


 一転、財前の顔が曇る。私が焔を見た途端、彼は驚きのひと言を言い放った。


「凪を逃がしたい。逃げ道は?」

「え?」


 私は困惑したまま焔を見る。財前も焔の発言に驚いた様子だ。


「あ?凪もSPTだろうが」

「すまないが、詳しい話をしている時間はない。頼む。敵が来る前に彼女を安全なところへ」


 財前は戸惑いながらも少し考え、おもむろに口を開く。


「…裏庭の塀に犬が通れるくらいの穴がある。穴は雑草で目立たねえし、バレずに逃げられるはずだ。けどよ…」


 様子を伺うように財前がこちらを見る。私は胸がざわつくのを抑えられず、考えがまとまる前に焔に詰め寄っていた。


「い、嫌です!私だってSPTなのに」


 腕を組みながら、焔は視線だけ私に向ける。


「焔さんは戦うんですよね?そりゃあちょっと怖いけど、私だって…!」


 私が言い終わる前に、焔は私の手を引き、中庭の奥へと歩き出した。財前に聞かれたくないのだろう。空気を読んだのか、財前はその場に立ったままこちらを見つめている。


「ダメだ」

「だけど…」

「聞け。君の存在がミレニアにバレたら、真っ先に君が狙われる。それに、いきなり命懸けの実戦は無理だ」


 私は視線を落として、深く息を吐いた。危険なのはわかっている。でも、さっきは褒めてくれたのに。やっぱり信頼されていないのだろうか。そんな思いで胸がギュッと締め付けられる。だが、焔はそんな私の心情を察したのか、静かに言葉を続けた。


「勘違いするな、凪。こっちを見ろ。私はただ逃げろと言っているのではない」


 私は顔を上げ彼を見る。彼はいつも通りの冷静な眼差しを私に向けていた。


「君の任務は花丸の護衛だ。一緒にSPT本部へ向かえ。ヤトが道案内をする。しばらく逃げたら電車に乗るんだ。警察には行くな。ミレニアの使徒が潜んでいるかもしれないからな」


 呆然と焔を見つめたまま、私はその言葉を反芻した。任務…?


「どうだ?できるか?」

「は、はい!」


 私は背筋を伸ばしながら答える。

 焔は懐からネックレスのようなものを出し、私の首にかける。触れると、それは懐中時計のような丸い形をしていた。


「…これは?」

「発信機付きの時計だ。これで君の位置がわかる。敵に遭遇したら、迷わず内蔵されているスイッチを押せ。すぐに向かう」


 私はネックレスをギュッと握りしめる。


「それから、敵に出くわしても、私の刀は抜くな」


 私は手に持った竹刀袋を握りしめた。この中には、自分の竹刀と横浜に来る前、焔から借りた刀が入っている。


「万が一の時は、必ず使い慣れている竹刀を選べ。いいな?」

「…はい!」

「よし」


 すると、焔は無言で私の肩に乗ったヤトを両手でそっと抱きあげた。不意なことでヤトは少し驚きの表情を浮かべるものの、すぐに焔に身を委ねる。彼らは互いの額をそっと合わせ、目を閉じた。心を通わせるかのように静かに呼吸を整える焔とヤト。その様子を見て、私は祈りに近いものを感じた。誰も立ち入ることができない、彼らだけの神聖な時間がそこにあるような気がして、言葉にできない愛おしさが込み上げてくる。

 数秒後、焔とヤトはゆっくりと額を離し、目を開ける。鋭い眼光を交わしながら、焔が力強くヤトにこう告げた。


「凪を頼んだぞ。ヤト」

「うん!」


 その言葉を合図に、私たちは再び財前の元へと向かう。


「…話は済んだか?」

「ああ」

「行くぞ。時間がねえ」


 私は短く頷き、花丸を見る。まだ呆然と立ち尽くしたままだ。私は急いで駆け寄り、花丸の腕を掴んで強く引く。


「え、ええ?何?どうしたの?」

「一緒に東京へ行くんです。ここは危険ですから」


 戸惑いの色を浮かべる花丸。だが、今は細かく説明をしている時間はない。私は半ば強引に花丸の腕を掴んだまま歩き出す。


「裏庭までは俺が連れて行く。焔、お前は…」

「玄関だろう。わかっている」


 次の瞬間、焔は迷いなく玄関に向かって走り出す。その時、私の心に一抹の不安がよぎり、思わず声を上げる。


「焔さん!」


 振り返った焔の銀髪を、闇夜の月が照らす。私は、風に声が搔き消されぬよう、声を張り上げた。


「あの…気を付けて!」


 焔は静かに頷き、すぐに闇の中へと溶け込んでいった。「襲撃」という非日常が恐ろしいのだろうか。胸騒ぎがする。


「凪!ボサッとすんな!」


 財前の鋭い声が、私を現実に引き戻す。そうだ。気を抜いている場合じゃない。


「凪ちゃん…」

「大丈夫です。行きましょう!」


 きっと大丈夫。


 私はそう自分に言い聞かせながら、財前の元へ駆け出した。


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