「ヤト!?」
少年を見て、思わず声を上げた。歳は十歳前後だろうか。黒装束に身を包み、背に携えている
「へへへ。そうだよ!ビックリした?」
ヤト…!?本当に…?
私は驚きのあまり、口を開けたまま呆然としてしまう。
「ヤ、ヤト、人間だったの!?」
ヤトは笑いながら答える。
「ううん。俺はカラスだよ。まだ半人前の
私は言葉にできない気持ちをグッと押さえてヤトを見つめた。もちろん驚きも大きいけど、例えるなら「感激」が一番近い。喋れて、魔法も使えて、人間にもなれるなんて。こんな光景を目の当たりにできるなんて。
「かっこいい?」
ヤトが照れくさそうに、私に尋ねる。
「え?」
「凪をビックリさせたくて、ずっと黙ってたんだ!」
そういえば、横浜に来る前日、焔さんの家でヤトが「格好いい秘密がある」って話してたっけ。
…つまり、これがその秘密だったのか!!
「すっごく…すっごくかっこいいよ!ヤト!」
私は目を輝かせて答える。すると、ヤトは
「…ただね、ちょっと言いにくいんだけど…」
突然困り顔のヤト。私と花丸は目を見合わせて首を傾げる。
「さ、さすがに二人を抱えて飛ぶのは…」
言い終わる前に、ヤトがバランスを崩して大きく右に旋回する。
「おわあああ!」
花丸が思わず声を上げる。ヤトは旋回しながら急降下していた。下を見ると、ミレニアの使徒たちが、私たちが落ちるのを今かとばかりに待ち構えていた。
「お、重いいぃ~」
ヤトが苦痛に満ちた声を漏らす。どうやらもう限界らしい。このままだと、あと一分も持たないだろう。その時、私は花丸がまだ石を握っているのを見た。さっき敵に投げようと、掴んだままだったのだろう。
「花丸さん!その石、敵に投げて!」
「え?で、でも…」
実はやけくそで言っているわけではない。さっきの花丸、かなり距離が離れていたにも関わらず、見事に石を命中させていた。
つまり、この人は相当球技に強い!…多分。
「大丈夫!花丸さんならできます!」
「お願い!花丸!」
私たちの声を受けて、花丸も覚悟を決めたようだった。深く息を吸いながら狙いを定め、思い切り石を投げる。石は見事に敵の頭をかすめ、スピードを維持したまま、後ろの敵の顔面にも直撃した。つまり敵二人に石が当たったのだ。
まさに一石二鳥とはこのこと…!
「凄い!花丸さん!」
「そ、そう?」
花丸は少し照れたような表情を見せる。だが、
「も、もうダメ~~」
「大丈夫!私に任せて!」
私は自分からヤトの腕を解き放つ。
「な、凪!?」
「下で待ってる!」
私はヤトの手を離れ、竹刀を携えて真っ逆さまに落ちていく。敵も私に気づき、刃物を構え直すが、遅い!落下の勢いを味方につけた私は、声を張り上げながら竹刀を一気に振り下ろした。バンっという音が雨の中に響き渡り、敵はその場に倒れ込む。息を整えて倒れた敵の顔を見ると、塚田ではないが、これで三人倒した…。やった…。
先ほどから強く降り注ぐ雨。かすかにヤトの声が聞こえた気がして空を見上げると、花丸を抱えたヤトが、フラフラと降下してくるところだった。私は急いで両手を広げて叫ぶ。
「ヤト!こっち!」
次の瞬間、飛んできたヤトと花丸を、私は力いっぱい抱きしめていた。
「凪!凄い!かっこいい!」
「凄いよ!凪ちゃん!」
「ヤトも!花丸さんも!」
私たちは抱き合いながら、溢れる喜びを分かち合った。私はふと周囲を見渡す。ここは、さっき塚田に襲われた場所だ。どうやらヤトは空を大きく
「凪!早く逃げよう!」
そうだ。今のうちに逃げないと。激しく打ち付ける雨の中、必死で地面を見渡した。今いる裏庭はぬかるんだ泥や石で足場が悪く、雨がカーテンのように降り注いで、数メートル先も見えない状況だった。私はしゃがみ込み、手探りで穴を探す。確かこの辺の草むらの奥だったような…。
その時、背後から「ばちゃっ」という水の音が聞こえた。振り返ると、花丸が腰を抜かしている。
「花──?」
呼びかけようとした途端、私は絶句した。目の前に、またしても塚田をはじめとしたミレニアの使徒が立ちはだかっていたのだ。人数は三人。いい加減キリがない。
私は花丸に駆け寄り、竹刀を構える。すぐにヤトも異変を察知して私の横に駆け寄った。だが、敵はすでに四つん這いになり、獣のような姿勢でこちらに飛びかかろうとしている。正直、私は体力の限界だった。長期戦は無理だ。一気に片をつけるしかない。
「ヤト。さっきの竹刀に力を込める呪文、もう一度できる?あれで一気に…」
言いながらヤトを見て、異変に気づく。ヤトの顔は青白く、体が小刻みに震えている。すると、ヤトはゆっくりと膝をつき、そのまま倒れそうになった。
「ヤト!?」
私は
「ごめん、凪。
すると、敵が一斉に私たちに一歩踏み出す。私はキッと前を鋭く睨み、竹刀を構える。
近づかないで。絶対に!
敵は一瞬ひるみ、足を止める。三人同時に倒すにはどうすればいい?せめて時間差で攻めてきてくれたらなんとかなるかもしれないが、期待はできない。
一か八か、このまま真正面から迎え撃つしかない!
覚悟を決めた私の耳元で、ヤトが静かに囁きながら、そっと私の手を握る。
「凪、聞いて。塚田の飛石を見て」
突然の声に驚きつつも、私は塚田の首元を見る。そこには、黒く光る飛石があった。
「色、黒いでしょ?だけどね、力が込められた飛石は赤くなるんだ。黒いってことは、力を使い果たした証拠。つまり、あいつはもう瞬間移動できない。凪を追うこともね」
ヤトの言葉に、不安が胸をよぎる。
「ここから離れたら、絶対に引き返しちゃだめだよ。しばらくの間、俺が敵を引き留めるから」
ヤト…?
「大丈夫。凪ならできるよ」
戸惑う私をよそに、ヤトは最後の力を振り絞るかのように、目を閉じて詠唱を始めた。祈るような、悲し気な声が耳元でそっと響く。
──
闇夜を彩る漆黒の翼よ
盟約の証として我が意に従え
闇の風を呼び 速やかに
遠方へと導く翼となれ
──
詠唱を聞きながら、私はとてつもない不安に襲われる。
まさか今、ヤトがしようとしていることは──。
次の瞬間、ヤトが空に向かって大きく口笛を吹いた。すると、空からけたたましい音とともに黒い波のような塊が一斉に私たちへ押しよせ、私と花丸を攫っていく。これはカラスの群れだ。カラスたちが大きな塊となって、私たちを背に乗せ一斉に空へ羽ばたいていく。
ヤトに触れていた手はいつの間にか離れ、私は思わず手を伸ばす。だが、一メートル、二メートル…。ヤトとの距離が少しずつ、そして確実に離れていく。
ヤトは再び赤い光を体に纏い、寂しげに微笑んだ後、力強く叫んだ。
「逃げるんだ!凪!」
ヤトの意図を理解した私は思い切り叫ぶ。だが、そんな無力な私の声は、カラスたちが羽ばたく音、
それから数秒後、焦りと恐怖を抱いた私の目に映ったのは、敵が一斉にヤトに襲い掛かる光景だった。