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第50話 斬影

 一瞬の出来事だった。焔に抱きかかえられたまま、私は目の前の塚田を見つめていた。焔の一太刀は塚田の肩から腰までを切り裂き、体から噴き出した赤い血しぶきは雨と混ざり、地面へと滴る。塚田は仰け反るように倒れ、動かなくなった。焔は倒れた塚田を鋭く睨みながら、私に声をかける。


「無事か、凪!」

「ほ…」


 焔さん──。


 声を聞いた途端、張り詰めていた心の糸が切れた。私は彼の腕の中で目を閉じ、手を震わせながら胸元を掴む。怖かった。今度こそ、もう終わりかと。だが、そんな安堵に浸ってばかりもいられない。私はすぐに焔の腕から離れ、口を開く。


「どうしてここが?渡された発信機付きのネックレス、落としちゃったのに…」

「発信機がこの場所から動かなかったから、何かあったのかと──」


 塚田から目を離し、こちらに向き直った焔が私の顔を見るなり言葉を止め、頬に触れてきた。突然のことで思わず呆然と目を見開く私。彼の視線は、私の頬や肩、腕に向けられていた。必死で気付かなかったが、さっきの塚田との戦いで、斬り付けられたところから血が滲んでいるようだ。


「…無茶をする」

「平気です!それより、ヤトが…」


 私は制服のふところを開け、ぐったりとしたヤトを抱きかかえる。焔は一瞬焦りの表情を浮かべ、静かにヤトに触れる。彼は大急ぎで制服のそでを破り、ヤトの傷口を優しく覆うように縛った。


「凪、花丸はどうした?」

「敵に襲われて、ヤトが私たちを外に逃がしてくれたんです!だけど私はヤトが心配で戻ってきて…。花丸さんはこの先にいます」


 私は裏庭の向こうを指さす。


「ごめんなさい。護衛しろって言われてたのに。だけど…」


 私が思わず視線を伏せると、焔がヤトに添えていた右手をそっと私の頬に添え、まっすぐ目を見つめる。


「よく頑張った。花丸も外に逃げたならとりあえず安心だ。こちらに向かっているSPTの応援に、花丸も保護してもらえるよう頼もう」


 焔はヤトの応急処置を終えると、大急ぎでスマホを取り出してメッセージを送る。


「凪もヤトも急いで手当てだ。大広間へ行くぞ」


 そうだ。確か、大広間で怪我人の手当てをしているはず。

 そう思った瞬間、焔は両手で私とヤトを抱きかかえようとする。突然のことに、思わず小さな声を漏らしたが、その後すぐに、焔の動きがピタリと止まった。


 焔さん?


 不思議に思って彼の視線を追うと、その先にはあの塚田が立っていた。よろめきながらも、鋭い眼光をこちらに向けている。

 思わず背筋が寒くなる。それと同時に、小さな違和感がよぎる。他の敵はある程度の攻撃で倒れたのに、塚田だけは一向に向かってくる。私の攻撃はともかく、さっきの焔の攻撃は致命傷だったはず。それを受けても立ち上がるなんて、絶対に何かおかしい。


 塚田は突如とつじょ、叫び声に似た雄叫びを上げる。途端にその体は禍々しい灰色の光に包まれ、鋭く尖った爪がさらに伸びる。


「ここまで『陰の気』を引き出すとはな。ちょうどいい。格の違いを教えてやる」


 焔は私の頭を撫でながらこう告げた。


「凪、今から少しだけ辛いぞ」


 何を言っているのかわからず、私はただ焔を呆然と見上げる。


「すぐ終わる」


 そう静かに言い残し、焔は塚田に向き直る。


 辛い…?


 その答えを理解するまで、数秒もかからなかった。焔の体から威圧感のある「気」が一気にほとばしり、容赦のない圧迫感が空間を震わせる。空気がビリビリと歪み、私は反射的に耳を塞ぎ、顔を伏せた。


 怖い。一秒もここには居たくない。


 そう思わずにいられないほどの狂気。

 これが、本物の人狼族の気…。全身を恐怖が襲い、体中が震える。


 恐怖に耐えながら焔を見つめると、その銀髪は逆立ち、体中を灰色のオーラが包み込んでいる。体温が上がっているのか、オーラは熱を持っているように感じられる。焔の眼光はより鋭く、爪は伸び、瞳孔どうこうはまるで獣のように縦に裂けていた。人間の姿を保ってはいるものの、目の前にいるのは獲物を狙う狼そのものだった。


 焔は「気」を放ちながら、ゆっくりと抜刀した。体から迸る気は、みるみるうちに刀をおおい、まるで禍々まがまがしい力を与えるかのように見える。


 焔は、刀を顔面の右横に添える。上段の突きを狙うような構えだ。塚田が焔に向かって地面を蹴った瞬間、焔の「気」がさらに迸り、周囲の空気が揺らぐ。その圧に耐え切れず、近くの木の葉が裂けて舞い落ちる。焔の「気」に触れる度、塚田の体に小さな裂け目が刻まれ、うっすらと血が滲む。だが、それでも塚田はひるまず焔に向かってくる。


 次の瞬間、空間を突き抜けるような風が吹き、焔は鋭く刀を下ろす。刀の軌道は雨空に三日月を描き、塚田の体はその気の圧を受けてわずかに逸れる。すぐさま攻撃態勢を整えようとする塚田だったが、遅すぎた。焔の刃が放つ弧に塚田の体が裂け、鮮やかな血しぶきが雨とともに地面へと降り注いでいった。


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