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第107話 惜別

 場面が切り替わり、森の中へと移る。

 ここは、見覚えがある。焔と安吾が決闘をしていた場所だ。そこでは滝のように汗を流しながら、鍛錬に励む焔の姿があった。まるで、さっきの喧嘩の鬱憤うっぷんを払うかのように。焔は息を深く吐き、上半身を倒す。体力の限界なのだろう。


 すると、周囲に怪しげな影が静かに現れる。さっき安吾を襲った奴らと黒い覆面の武装した集団。ミレニアだ。


 焔は、敵の気配を察知すると、戸惑いながらも身構える。だが、突如として彼の目が大きく見開かれた。視線の先には赤く燃える村。煙は空へと昇り、黒く染める。焔は唇を震わせ、小さく呟いた。


「どういうことだ?なぜ…村が!?」


 焔は動揺を払うかのように、改めて深く息を吸い込み、人狼化を始める。だが、体力の限界なのだろう。わずか数十秒で人狼化が止み、そのまま膝をつく。すると、敵の一人が冷静に言葉を発した。


「さっきの…人狼化だな。こいつもさらえ」


 敵が一斉に焔に襲い掛かる。焔は唇を噛み、目を固く閉じる。だが、次の瞬間、轟音ごうおんと共に放たれた一閃が敵を蹴散らした。安吾だ。右肩から血を流しながら、小刀を握り締め、左手で焔を力強く抱き寄せる。


「雹!」

「来い、焔!」


 敵が倒れた隙に、安吾は焔の手を引き、一気に駆け出した。

 焔も反射的に走り出したものの、状況が飲み込めず、戸惑いの表情を浮かべる。


「雹!村のみんなを助けないと!」

「皆、各々逃げている!助けに行くのは得策ではない。それに、あいつらは人狼化できる人狼族を狙っている。満身創痍まんしんそういのお前が戻ればさらわれるだけだ」

さらう?一体何者だ?奴らは」

「ミレニアだ」

「ミレニア…?」

「身勝手な思想で過去の遺物を探している哀れな連中だ。理由はわからんが、今まで洩れていなかった人狼化の秘密が知られたらしい」

「誰がそんなことを?」

「わからん。とにかく逃げる」

「本気か!?逃げるなど…爺様もご当主様もまだ…」

「屋敷に火が放たれた」


 焔は足を止めた。その表情は、見たことがないほど青ざめている。

 安吾はゆっくりと振り返り、焔を見据えてこう告げた。


「本家の屋敷は初めに襲撃を受けた。寝たきりの当主もお前の爺さんも、もう…」


安吾はそれ以上口にしなかった。だが、焔は言葉の続きを理解したのだろう。肩を小さく震わせて、俯く。安吾は焔に歩み寄り、ぎゅっと力強く抱きしめた。


「大事な祖父を守れず、すまない」


 焔の震えが、さらに強くなる。安吾はそのまましばらく抱きしめた後、ゆっくりと体を離し、封筒と懐中時計を差し出した。


「この封筒は、お前の祖父から預かっていたものだ。万事ばんじきわが訪れたら渡せと頼まれていた。この懐中時計は母の形見だ。逃げ切れたら中のスイッチを押せ、発信機を入れてある。はぐれても迎えに行ける」

「一緒に戦うよ」


 焔の言葉に、安吾はふっと笑った。


「いや、そう甘くない」


 安吾はすぐに笑みを消し、周囲を見渡す。先ほどよりも多い影の気配。どうやら、敵が仲間を呼んだらしい。安吾は迷うことなく人狼化を始める。


「合図したら逃げろ。ひたすら走って、東京へ向かえ」

「東京?」

「東京にミレニアの討伐部隊、SPTがある。そこへ行って、長官の橘という人を訪ねろ。私の名を出せば、かくまってくれるはずだ」


 焔は封筒と懐中時計を握り締めたまま、震えていた。安吾の言葉はきっと、痛いほどわかっている。

 焔の葛藤を察したのか、安吾は静かに手を伸ばし、焔の頭を撫でる。


「そんな顔をするな。会えたらまたチャンバラだ。ちゃんと逃げろよ、焔」


 焔はゆっくりと、力強く頷いた。

 次の瞬間、影が一斉に動いた。安吾が陰の気を一気に放出し、圧倒的な殺気が場を支配する。


「走れ!焔!!」


 安吾の叫びを合図に、焔は全力で駆け出した。徐々に開く二人の距離。これがきっと、二人の別れだったのだろう。気付くと、私の目からは涙がこぼれ落ちていた。安吾は捕まる最後の瞬間まで、焔を守るために戦ったのだ。


 私は涙を拭いながら、祈るような気持ちで焔を見つめていた。だが、数分走ったところで、彼は足を止める。目の前に再び数人の敵が立ち塞がったのだ。慌てて踵を消すが、暗闇に支配された夜。焦る焔の足が向かった先は、崖だった。数メートル下では、川はものすごい勢いで流れている。


「こいつも人狼化できる。生きたまま捕らえろ」


 焔は鋭く敵を睨みつけ、人狼化を始めた。銀髪は逆立ち、瞳孔が大きく開く。まるで獲物を狙う、狼の如く。焔は殺意を剥き出しにして木刀を構えた。


「来い」


 襲い掛かる敵に向かって、焔はがむしゃらに木刀を振るった。彼の手や頬は内側から裂け、血が滲んでいる。人狼化はとっくに限界を迎えている。それでも彼は木刀を振り続けた。何度も、何度も。

 だが、最後の一人に木刀を振り下ろす前に、ついに力尽きた。陰の気が消え、焔は木刀を地面に立て、なんとか体を支える。それでも再び、構えようとした、その時だった。


 ──パンッ!


 一発の銃声。焔の右胸が赤く染まる。銃弾が彼の右胸を貫いたのだ。焔は体勢を崩し、そのまま崖へと真っ逆さまに落ちていく。


「焔さん!!」


 気付くと、私は手を伸ばしながら駆け出していた。だが、一向に彼には追い付けない。これが過去の映像であることを思い出したのは、少し経ってからだった。


「大丈夫。彼は生きているよ」


 ヤトパパの声が穏やかに響く。私は息を詰まらせながらも歯を食いしばり、そっと涙を拭った。


 すると、目の前の映像がふっと切り替わる。今度は病院のような場所が映し出された。


 そこには白いベッド。そして、苦しげに横たわる焔の姿があった。

 病室の片隅で、医師がうなだれながら呟く。


「よりにもよって人狼族とは…使える血がないぞ」


 すると、病室に慌ただしく人が入ってきた。この人は──。


「SPT長官の橘と申します。人狼族の青年が撃たれたと聞いて。無事なのですか?」

「残念ながら助からないでしょう。血が足りません。救いようがないのです」

「彼の祖父も、この病院に搬送されたと聞きました。すでに亡くなっていますが、祖父の血を彼に輸血できませんか?」

「死亡後の血液は急速に凝固が進みますし、輸血には適しません。それに火傷による組織損傷があると、感染症のリスクも高まります」


 すると、長官は懐から二つの小さな袋を出し、医師に差し出す。袋には白い粉末状のものが入っていた。


「ある研究者が作った人狼族専用の抗凝固剤こうぎょうこざいです。これなら、血液が固まるのを防げる。基礎疾患が多い人狼族のために開発された薬もあります。これを使えば輸血もできるし、青年の免疫力も高めてくれるはずです」


 医師は一瞬驚愕の表情を浮かべるが、長官の顔を見て頷く。


「まずは、抗凝固剤をいただきます。急げ!輸血の準備だ!彼の祖父をここへ!」


 看護師たちが一斉に動き出す。長官は固唾を飲んで、その光景を見守っていた。私も深く息を吐き、胸を撫で下ろす。そして、かつて焔が言った言葉が、ふと蘇る。


 ──君のおばあさんは、私の命の恩人でもあるのだよ。


 あの言葉の真意が、今ようやく、わかった気がした。


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