それから、映像は何度か切り替わったが、数日焔は眠り続けていた。病室の壁にかかった日めくりカレンダーが、次々とめくられ、気付くと襲撃から二週間経っていた。
再び映像が切り替わると、焔はベッド上で上半身を起こし、書類を見ながら唇を震わせていた。傍らにはSPTの長官である橘龍之介が、苦痛に満ちた表情で彼に寄り添っている。あの書類は…?
「遺体の身元確認だね」
ヤトパパの言葉に、私は体を強張らせた。
一枚書類をめくるたび、焔の瞳が揺らぐ。焼けただれた同胞の写真。その無惨な姿が無機質に記録されていたのだ。
──ぽたっ。
焔は書類を見ながら涙を流していた。彼は手を震わせ、書類を握り締める。指先が白くなるほど、強く。
「くそ……くそ……!」
長官は焔の手から書類を抜き取ると、彼の背中をさすった。
「すまない。君にこんなことを…」
すると、焔は袖で涙を拭い、長官を見据えた。
「……あなたに聞きたいことがあります」
「聞きたいこと?」
「御影安吾はミレニアの手に落ちたのですか」
長官は黙った。それが答えだった。だが、焔は確証を得たいのか、さらに長官に詰め寄る。
「教えてください。覚悟はできています」
長官は、静かに息を吐いてこう続けた。
「彼は生きているよ。だが、もう会うのは諦めなさい」
「どういう…ことですか。なぜ、安吾は
「人狼族の血の力を利用するためだよ」
「血の力…?人狼化ですか?」
長官はゆっくりと頷いた。
「普通の人間に人狼族の血を入れれば、その人間の自我は崩壊し、思いのまま操れる。そのためにミレニアは御影安吾を
「すぐに助けないと!」
焔が声を荒げ、起き上がろうとする。だが、長官は優しく焔の肩に触れ、制止した。
「彼はもう、以前の彼ではないのだ」
「前の…安吾じゃない?」
「ミレニアは、彼を拷問して洗脳した。彼は自分の名も忘れてしまったと、報告を受けている」
衝撃的な言葉に、焔は言葉を失い、そのままうなだれた。
沈黙が場を支配し、空気が張りつめる。焔は絞り出すように、長官を見つめた。
「つまり…安吾は生きたまま血を利用され、記憶まで奪われたと…?」
「…ああ」
焔は右手で目を覆った。
なんて酷い…こんな残酷なこと…心で呟いた、その時だった。
「彼は名を聞かれ、なぜか『雹』と答えたらしい」
次の瞬間、焔はハッと顔を上げた。それと同時に、私も両手で口を覆う。
「恐らく、御影の名も誇りも、すべて忘れてしまったのだろう」
──違う。
「雹」は焔が彼につけたあだ名。つまり、彼は洗脳されていない?それとも、洗脳されながらも、無意識に「雹」と答えたのだろうか。
焔は歯を食いしばり、少し黙った後で長官を見上げた。彼の瞳には、確かな光が宿っていた。
「俺を、SPTに入れてくれませんか?」
唐突な言葉に、長官は目を丸くする。だが、すぐに諭すように、こう告げた。
「…それはできない。君が人狼化できる人狼族だと知られれば、ミレニアは間違いなく君を狙う」
「お願いします!」
焔はそう叫ぶと長官の腕を強く掴み、深く頭を下げた。
「入院中、SPTについて一通り学びました。すぐにでも…必ず…役に立ちます!」
長官はベッド横の机にふと目を向ける。そこには一冊の小さな冊子が開かれた状態で置かれていた。SPTの特例が記されたページ。長官は無言でそれを手に取り、静かに呟いた。
「読んだのだね。SPTの『特殊警察活動規約法』を」
「はい」
「SPTの幹部以上の階級の者から推薦を受けた者は、厳正な審査を経て、専門的な任務に従事する適性があると判断された場合、SPTと同等の任務を遂行する権利を有するものとする──私の推薦を得たいのかね?」
「そうです」
長官は、深く息を吐き、焔の手にそっと触れた。
「入隊したら、辛い現実を目の当たりにするかもしれない。その覚悟ができているのかね?」
焔は目をそらさず、長官を真っ直ぐに見据えた。彼の覚悟を感じ取ったのか、長官は静かに頷いた。
「わかった。御影稜馬。君をSPTに推薦する」
長官の言葉に、焔は再びゆっくりと頭を下げる。そして、彼が再び口を開いた時、さらにその声は力強さを増していた。
「ひとつ、頼みがあります」
「頼み?」
「俺を…私をこれから『焔』と呼んで欲しいのです」
唐突な申し出に、長官は訝しげに首を傾げる。
「…御影の名を捨てる気かね?そんなことをしても、ミレニアを誤魔化せないし、君が狙われることに変わりは──」
「いえ、気付かれた方がいいのです。その方が、雹…安吾にも伝わります」
「どういうことだね?」
焔は覚悟に満ちた表情で、こう告げた。
「必ず助けに行く。待っていてくれ。名を変えるのは、そう…兄に伝えるためです」