目次
ブックマーク
応援する
9
コメント
シェア
通報

第110話 直進

 朝、私はSPTの制服に身を包み、竹刀を手に天宮財閥の道場に立っていた。


 道場には、天宮や丹後、江藤、上木、そしてなんと花丸まで駆けつけてくれている。


 私は高鳴る鼓動を抑えるように、静かに目を閉じ、ゆっくりと深呼吸をする。


 冷静に、冷静に…。

 できることはやった。あとは全力でぶつかるだけ。


 そう思いながら竹刀をギュッと強く握ったその時、道場の外から静かな足音が響く。思わず身構える私だが、扉が開き、姿を現したのはSPT長官の橘龍之介だった。


「ちょっ…長官さん!?どうして!?」

「風の噂で聞きつけてね。見届けさせてもらうよ」


 すると、長官の肩にバサッと音を立ててヤトが降り立った。私たちの視線が、ばっちりとぶつかる。思わずハッとすると、ヤトもぱああっと目を輝かせる。


「な…ななな…凪ぃぃぃ~!ぶふぉぉ!」


 ヤトの様子を見た私は盛大にズッコケる。

 飛び立とうとしたヤトを、長官が微笑を浮かべながらガチッと捕まえたのだ。


「真剣勝負の前だからね。今は我慢、我慢。終わったら好きなだけ抱きつきなさい」


 長官の腕の中で、ヤトは不服そうにもがく。ちょっと可哀想だけど、私もヤトを抱きしめたらきっと気が緩んでしまう。ここは我慢、我慢…。


 その時、道場の外で再び静かな足音が響いた。それはどこか厳かで、迷いのない歩み。


 この感じ、気配でわかる。

 やがて道場の入口に、焔が現れた。


 夕陽を浴びた銀髪はオレンジ色に煌めいていた。だが、表情は険しく、冷え切った瞳を私に向ける。


 焔は一歩、また一歩と静かに歩を進め、私に向き合うと、天宮に視線を向ける。


「合図を頼む」


 低く、淡々とした声。余計な感情は一切見せない焔に、天宮は穏やかに微笑んだ。


「決闘のルールはただひとつ。どちらかが負けを認めること。いい?」


 焔は返事の代わりにゆっくりと頷いた。私は深く息を吸い、竹刀を中段に構える。張りつめる沈黙。一同が息を呑む中、天宮の鋭い声が響いた。


「はじめ!」


 声が上がるや否や、ぼうっと不穏な闇が道場に広がる。焔が陰の気を解き放ったのだ。


「ちょ…いきなりかよ」


 江藤の小さな呟きが聞こえる。この人はもう、勝負を決めに来た。私を一瞬で倒す気だ。


 でも、私だってこの二週間、何もしてなかったわけじゃない。

 私は目を閉じ、心を研ぎ澄ます。そして一気に内に秘めた力を解き放った。


 ──金色の光、陽の気を。


 すると、道場の空気が揺らぎ始めた。私の陽の気が陰の気を押し返し、視界が開けていく。


 ほんの一瞬、安堵する私。

 だが、間髪入れずに焔が猛スピードで迫ってくる。


 私は咄嗟とっさに横へ飛んだ。転がるようにして間合いを取り、すぐに立ち上がる。再び焔を見据えて構えたところで、ゾッとした。彼の瞳は冷たく、鋭く、恐ろしいほどに研ぎ澄まされている。まるで「逃がさない」と言わんばかりに。


 次の瞬間、焔の木刀が静かにこちらを捉えた。


 ──来る!


 焔が一歩踏み出した瞬間、私は迷いなく陽の気を放出した。


 もう逃げない、迎え撃つ!


 ガンッ――!


 衝撃音が道場に響く。私の竹刀と焔の木刀が真っ向からぶつかり合い、火花が散るような感覚が腕に走る。


 だが、おかしい。


 私は陽の気をまとっているのに、焔は今、陰の気を発していない。


 それなのに、完璧に防御されるなんて…。

 こんなに力の差があるなんて…!


「凪!」


 ヤトの声が響く。前を見ると、焔の瞳がじっと私を見据えていた。

 まるで「これで終わりだ」と言わんばかりだ。背筋に冷たい汗が伝う。この人が強いなんてわかりきっていたこと。私は彼を見つめ、ふてぶてしく笑った。


 ほんの一瞬、焔の眉がピクリと動く。


 その隙を突いて、私は思いきり焔のお腹めがけて蹴りを繰り出す。だが、焔は寸前でかわし、一歩後退する。


 ならば──!


 私は迷わず、竹刀を焔に投げつけた。これも予想外だったのか、焔の動きが一瞬止まる。その表情にはかすかな戸惑いが浮かんでいた。


 ──ルールにこだわるな。とにかく勝て。


 そう最初に教えてくれたのは、焔さんでしたよね。


 心の中で呟きながら、私は思いきり背負い投げをしようと焔の懐へ向かって駆け出した。だが、その瞬間、焔が陰の気を解き放つ。突風のような衝撃が吹き荒れ、ドンッと壁に強烈な力で壁に叩きつけられる私。一瞬目が眩み、よろめく。


 必死に体を起こすと、焔はすでに態勢を整え、静かに切っ先をこちらに向けた。


 くそ…読まれてた。


 焔が駆け出す。

 私は大急ぎで目の前に転がった竹刀を拾い、後方へ下がる。だが焔の速さには追い付けない。


 次の瞬間、私は突きの構えを取った。

 彼の前で、この構えをするのは初めてだ。高校の剣道部ではほとんど練習しなかった技だが、実際に使ってみると、不思議としっくりくる。


 隙が生まれるから、防具を着ていない今の状況ではリスクも大きい。だが、焔のような素早く攻める相手には、むしろ適している。


 突きは、最短距離の攻撃。カウンターも狙えるのだ。


 焔の木刀が鋭い刃のように私の顔面スレスレを切り裂く。

 それを辛うじてかわし、すぐさま突きを繰り出す私。


 ザッザッと鋭い音が空気を切り裂く。突きの軌道が、焔の眼前をかすめていく。当たりはしないが、押している。


 そういえば、こんな風にこの人と戦ったことがなかった。唯一、一度だけ稽古をつけてもらったことがあったけど、その時はまるで歯が立たなかった。

 今まではただ守られていただけ。でも今は違う。


 ──少しはこの人に近づけたんだろうか?


 ふと、彼の瞳が変わったことに気付いた。

 先ほどまでの冷徹な光は、どこか悲しげな温かさを帯びている。


 私が大好きな目。


 彼も今の私を見て、何か感じてくれているのだろうか。


 焔さんを止めたい。

 心の底を打ち明けて欲しい。

 そのために、私は今、こうしてあなたの前に立ってるんです。


 そんな込み上げる気持ちを抑えられずに、私はがむしゃらに突きを繰り出した。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?