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第112話 一心

 私は息を整えながら、目の前の焔を見た。彼は構えを崩さず、私をじっと見据えている。一歩でも動いたら、即座に仕掛けて来る。そんな気配が痛いほど伝わる。


 さっきの音からして、私の竹刀は後方十メートルくらいの場所にある。取りに行きたいけど、そんな隙を見せたら一瞬で終わりだ。


 どうする?どうする!?


「勝負ありだ、凪」


 まるで私を諭すような、優しい響き。どこか温かさが感じられる言い方が切なくて、私は唇を噛んだ。


 嫌だ。諦めるなんて。

 そんなことをしたら、もうこの人の心に寄り添えない。


 残された手は、たったひとつ。

 私は腹をくくった。


「どうぞ。焔さん」


 私の思わぬひと言に、焔は首を傾げる。


「この勝負…『負け』を認めない限り、負けじゃないですから。そんなに私を倒したいなら、どうぞ。丸腰の私を…思いきりぶちのめしてください!!」


 ビシッと勢いよく焔に指をさす私。周囲のギャラリーが一斉に肩を落とす音が聞こえる。


「幸村凪…貴様…何を言っている…?」


 呆れたような丹後の声。そりゃあそうだろう。私も思わず苦笑いを浮かべる。というのも、これは単なる時間稼ぎ。私は焔の性格をわかっている。この人は丸腰の相手に本気で斬りかかるほど薄情ではない。この一言できっと彼は迷うはず。


 その隙に──。


① サッ……(さりげな~く後ずさる)

② 竹刀を取る


 という小狡い作戦だ!


 すると、焔がクスッと笑う。


「色々な手を考えるな。君は」


 私は目をぱちくりとさせる。まさか、この作戦がバレた…?いや、動揺するな。バレたところで、彼が攻撃を仕掛けないであろうことはわかりきっている。


「…なんのことでしょうか?」


 私はヘヘンッと鼻で笑う。すると、焔の笑みがふっと消え、目元に影が落ちる。


「君がこんな勝負を挑んだのは、あの封筒が原因なんだろう?」


 私はギクリと体を震わせた。心臓がドクン、ドクンと嫌な音を立てる。


 封筒に書かれていた、焔の本名『御影稜馬』。

 そして『遺書』の文字──。


 あの時のことを思い出すと、胸が苦しくなる。私の目は、自然と焔を捉えた。怯えたような、苦しいような、そんな私の表情を見て、彼は納得したように頷いた。


「凪…あれは──」

「やめて!!!」


 咄嗟とっさに私は叫んだ。周囲が息を呑む気配が伝わる。それでも、止められなかった。


 私は小狡い作戦のことをすっかり忘れて、その場に立ち尽くし、顔伏せた。


「…焔さん、気付いてましたか?私、焔さんが人狼族だってことも、御影さんのことも、焔さんから聞いてないんです。自分で調べたり、他の人から聞いて知りました。焔さん、聞いてもはぐらかしてばかりで、いつも話してくれないんだもん」


 ゆっくり顔を上げ、焔を見る。彼は真っすぐ私を見つめていた。


「初めは、そんなに信用できないのかなって思っていました。でも、違った。焔さんが話さなかったのは、巻き込みたくなかったからですよね。自分ひとりで、全部背負おうとして」


 その時、彼の目が僅かに揺れた。


「…前に焔さん、言ってくれましたよね。『何があっても私とヤトがいる』って。この世界に来てから、何度も焔さんとヤトに救われてきました。だから今、その言葉をそっくりそのまま焔さんにお返しします」


 私は大きく息を吸い、声を張り上げ、力いっぱい叫んだ。


「何があっても、私とヤトがいます!私たちを、信じてください!」


 私は丸腰のまま焔に向かって駆け出した。焔の目が一瞬、驚きに見開かれる。彼は迷いを振り払うかのように、木刀を強く握りしめた。

 私は息を大きく吸い、走りながら呟いた。


── 

夜斗の力よ 暁に染まれ

凪の調べよ 闇を導け

焔の如き 強き影

天命を超え ──


 私の声が聞こえたのか、焔の動きが止まった。私は、竹刀はないが構える。竹刀を握っているかのような感覚で。不思議とそうすればいいという確証があった。そうすればきっと、この手に力が宿るはずだと。


 私は最後の詠唱に、力を込めた。


「──姿を現せ!!!」


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