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第119話 兆候

 焔のサンドイッチを心ゆくまで堪能した私とヤト。食べ終わるとすぐに、ヤトは私の腕の中で再び眠りについた。ヤトを起こさないようにゆっくりと家の中へ戻った私たちは、寝床であるゆりかごに、そっと彼を乗せる。


「ヤト、疲れてるのかな。さっきも寝てたのに」


 すると、焔はどこか真剣な眼差しでヤトに目を向けながら、こう告げた。


「…実は、君がいなかった間、ヤトは十五時間以上眠っている」

「ええ!?」


 私は思わず声を上げた。カラスは元々人間よりも長く眠るらしいのだが、それでも十二時間前後。十五時間は長すぎる。


「あの、大丈夫なんでしょうか?体の調子が悪いとか?」


 すると、焔は意外にも嬉しそうに声を弾ませた。


「八咫烏は『真の八咫烏』になる時、その前兆として力を蓄えるために、長く眠ることがあるらしい」


 その言葉に、私の心が静かに波打つ。じわじわと驚きと嬉しさが溢れ、私は両手で口を覆った。


「もしかして…ヤトが真の八咫烏に!?」

「単純に眠いだけかもしれないが…もしかすると、もしかするかもな」


 焔はぽつりとそう呟くと、眠るヤトの頭をそっと撫でた。そんな彼の横顔を見つめながら、私はヤトパパとの会話を思い出し、ゆっくりと口を開いた。


「あの、私も焔さんに伝えたいことが…」


 彼に伝えたのは、ヤトの「口寄せの術」のこと。

 紅牙組が襲撃された時、ヤトは口寄せの術を成功させていた。

 さらに、その時だけではなく、これまでに何度も成功させてきた──。


 私の話を一通り聞いたところで、焔の目は驚きで見開かれる。


「あの口寄せの術を…本当か?」

「はい!私、見ました!口寄せの術で、ヤトパパさんがヤトに宿っているところ!」


 焔は瞬きもせずにゆっくりと息を吐き、スヤスヤと眠るヤトを見つめる。


「…口寄せの術は命懸けだぞ。真の八咫烏でも、成功できる者はほんの一握り…それを一度のみならず、何度も成功させるとは、ヤトは…」

「…天才…ですか!?」


 私は顔をほころばせながら、焔に問いかける。すると、彼は少し黙った後で小さく笑った。


「…かもな」


 やっぱり…!

 私は嬉しくなって、音を立てずに手を合わせる。

 そして、ふとヤトに視線を送った。そういえば、もうひとつ気になることが…。


「どうした?」

「あの、ヤトはヤトですよね?」


 唐突な私の問いに、焔は首を傾げる。


「さっきヤトと話した時、いつもと様子が違ってたんです。口ぶりとか雰囲気が大人っぽいっていうか…」

「大人っぽい?」

「…はい。お母さんと話している、みたいな」


 その瞬間、焔はハッと息を呑んだ。私たちは同時にヤトへと視線を落とす。


「すみません。変なこと言って」

「いや、私は君の直感を信用している。最近ヤトが長く眠ることと、関係があるのかもしれないな」

「あの、ヤトに伝えてもいいですか?口寄せの術が成功していることとか、ヤトパパさんのこととか!」


 すると、焔は顎に手を当てて考える。そうして、視線をヤトに注いだまま静かに呟いた。


「いや、真の八咫烏になる前兆だとしたら、プレッシャーになるかもしれない。話すのは、ヤトがどうなるか、見届けてからにしよう」

「…そうですね。ヤトの大事な時期かもしれないですもんね」

「ああ」


 すると、焔は怪訝な表情を浮かべ、思い出したかのように言葉を続けた。


「それに…ヤトには散々口寄せの術を使うなと言ってきたし、使おうとするもんなら容赦なく大嫌いなブロッコリーを食べさせてきた。実は何度も成功していた、なんて知られたら私は…」

「梅干し十個じゃ、きっと許してくれないですね」


 私たちは顔を見合わせて笑う。梅干しは焔の大嫌いな食べ物。本当のことを知ったら、きっとヤトは焔にたんまり梅干をお見舞いするはずだ。


「そんなわけで、しばらく黙っておいてくれ」

「はい」


 私は小さく頷く。すると、焔の視線がふと私の手の甲に落ちた。


「…すごいな」

「え?」


 焔はゆっくりと私の手を持ち上げ、目の前に差し出した。そこには、決闘で負ったはずの怪我が、ほとんど見えないほどに癒えていた。


「人狼族の血は治癒力に優れてはいる…だが、ソルブラッドがこれほどとは。それに、起きている時の方が、ソルブラッドの力も働きやすいようだな」


 私はじっと手の甲を見つめた後、焔に向かって微笑んだ。


「人狼族の血は、希望の血。そう、おばあちゃんが言ってました」

「君のおばあさんが?」

「はい!ついさっき、また夢を見て──」


 言いかけて、私は口をつぐんだ。


「どうした?」

「その夢、現実の過去だと思うんですけど、おばあちゃんのそばにいた研究者の女の人が、なんというか、怖くて」

「怖い?」

「はい。助手っぽい人で、あまりおばあちゃんのこと好きじゃなかったのかなって。目つきが、凄く…」


 一瞬で、焔の顔が強張った。その目はどこかを見据え、言葉では表せないほどの緊張が走る。

 ただならぬ気配。私は何も言えず、ただ息を呑むしかなかった。


「…もうひとつ、君に伝えなくてはならない。ミレニアの創設者である、ある女について」


 思わぬ言葉に、私の心は一気にざわつく。

 ミレニアの創設者が…女…?


 焔は真っすぐ私を見つめたまま、静かに告げた。


「創設者の名は、桂木芙蓉ふよう。君の祖母、幸村藍子の助手を務めていた女だ」


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