焔のサンドイッチを心ゆくまで堪能した私とヤト。食べ終わるとすぐに、ヤトは私の腕の中で再び眠りについた。ヤトを起こさないようにゆっくりと家の中へ戻った私たちは、寝床であるゆりかごに、そっと彼を乗せる。
「ヤト、疲れてるのかな。さっきも寝てたのに」
すると、焔はどこか真剣な眼差しでヤトに目を向けながら、こう告げた。
「…実は、君がいなかった間、ヤトは十五時間以上眠っている」
「ええ!?」
私は思わず声を上げた。カラスは元々人間よりも長く眠るらしいのだが、それでも十二時間前後。十五時間は長すぎる。
「あの、大丈夫なんでしょうか?体の調子が悪いとか?」
すると、焔は意外にも嬉しそうに声を弾ませた。
「八咫烏は『真の八咫烏』になる時、その前兆として力を蓄えるために、長く眠ることがあるらしい」
その言葉に、私の心が静かに波打つ。じわじわと驚きと嬉しさが溢れ、私は両手で口を覆った。
「もしかして…ヤトが真の八咫烏に!?」
「単純に眠いだけかもしれないが…もしかすると、もしかするかもな」
焔はぽつりとそう呟くと、眠るヤトの頭をそっと撫でた。そんな彼の横顔を見つめながら、私はヤトパパとの会話を思い出し、ゆっくりと口を開いた。
「あの、私も焔さんに伝えたいことが…」
彼に伝えたのは、ヤトの「口寄せの術」のこと。
紅牙組が襲撃された時、ヤトは口寄せの術を成功させていた。
さらに、その時だけではなく、これまでに何度も成功させてきた──。
私の話を一通り聞いたところで、焔の目は驚きで見開かれる。
「あの口寄せの術を…本当か?」
「はい!私、見ました!口寄せの術で、ヤトパパさんがヤトに宿っているところ!」
焔は瞬きもせずにゆっくりと息を吐き、スヤスヤと眠るヤトを見つめる。
「…口寄せの術は命懸けだぞ。真の八咫烏でも、成功できる者はほんの一握り…それを一度のみならず、何度も成功させるとは、ヤトは…」
「…天才…ですか!?」
私は顔をほころばせながら、焔に問いかける。すると、彼は少し黙った後で小さく笑った。
「…かもな」
やっぱり…!
私は嬉しくなって、音を立てずに手を合わせる。
そして、ふとヤトに視線を送った。そういえば、もうひとつ気になることが…。
「どうした?」
「あの、ヤトはヤトですよね?」
唐突な私の問いに、焔は首を傾げる。
「さっきヤトと話した時、いつもと様子が違ってたんです。口ぶりとか雰囲気が大人っぽいっていうか…」
「大人っぽい?」
「…はい。お母さんと話している、みたいな」
その瞬間、焔はハッと息を呑んだ。私たちは同時にヤトへと視線を落とす。
「すみません。変なこと言って」
「いや、私は君の直感を信用している。最近ヤトが長く眠ることと、関係があるのかもしれないな」
「あの、ヤトに伝えてもいいですか?口寄せの術が成功していることとか、ヤトパパさんのこととか!」
すると、焔は顎に手を当てて考える。そうして、視線をヤトに注いだまま静かに呟いた。
「いや、真の八咫烏になる前兆だとしたら、プレッシャーになるかもしれない。話すのは、ヤトがどうなるか、見届けてからにしよう」
「…そうですね。ヤトの大事な時期かもしれないですもんね」
「ああ」
すると、焔は怪訝な表情を浮かべ、思い出したかのように言葉を続けた。
「それに…ヤトには散々口寄せの術を使うなと言ってきたし、使おうとするもんなら容赦なく大嫌いなブロッコリーを食べさせてきた。実は何度も成功していた、なんて知られたら私は…」
「梅干し十個じゃ、きっと許してくれないですね」
私たちは顔を見合わせて笑う。梅干しは焔の大嫌いな食べ物。本当のことを知ったら、きっとヤトは焔にたんまり梅干をお見舞いするはずだ。
「そんなわけで、しばらく黙っておいてくれ」
「はい」
私は小さく頷く。すると、焔の視線がふと私の手の甲に落ちた。
「…すごいな」
「え?」
焔はゆっくりと私の手を持ち上げ、目の前に差し出した。そこには、決闘で負ったはずの怪我が、ほとんど見えないほどに癒えていた。
「人狼族の血は治癒力に優れてはいる…だが、ソルブラッドがこれほどとは。それに、起きている時の方が、ソルブラッドの力も働きやすいようだな」
私はじっと手の甲を見つめた後、焔に向かって微笑んだ。
「人狼族の血は、希望の血。そう、おばあちゃんが言ってました」
「君のおばあさんが?」
「はい!ついさっき、また夢を見て──」
言いかけて、私は口をつぐんだ。
「どうした?」
「その夢、現実の過去だと思うんですけど、おばあちゃんのそばにいた研究者の女の人が、なんというか、怖くて」
「怖い?」
「はい。助手っぽい人で、あまりおばあちゃんのこと好きじゃなかったのかなって。目つきが、凄く…」
一瞬で、焔の顔が強張った。その目はどこかを見据え、言葉では表せないほどの緊張が走る。
ただならぬ気配。私は何も言えず、ただ息を呑むしかなかった。
「…もうひとつ、君に伝えなくてはならない。ミレニアの創設者である、ある女について」
思わぬ言葉に、私の心は一気にざわつく。
ミレニアの創設者が…女…?
焔は真っすぐ私を見つめたまま、静かに告げた。
「創設者の名は、桂木