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第120話 因縁

 ──桂木芙蓉ふよう


 ミレニアの創設者である桂木は、頭脳明晰で天才と呼ばれていたらしい。だがある日、忽然と姿を消した。理由も告げず、まるで影のように。


 そして数年後。

 再びその名がとどろくことになる。

 ミレニアに君臨する「女帝」として。


 人狼族の研究を傍で見てきた彼女は、真っ先に人狼族に目をつけ、村を襲わせた。そして安吾の血を奪い、今も利用し続けているのだ。


 そして、私が最も衝撃を受けたのは、彼女がその血──ルナブラッドを自らの体にも使っているという事実だ。


 本来なら人狼族の血が入れられた人間は、自我が崩壊するはず。

 だが、驚くべきことに彼女は自我を保っているという。そして、新たに作り上げた精鋭の研究チームとともに人狼の血を制御し、寿命の進行を極端に遅らせる技術を編み出しているらしい。


 桂木の実年齢は、八十歳ほど。

 だが、現在の彼女は三十代の若さを保ったまま、女性として君臨しているというのだ。


「…副作用があるルナブラッドを入れて、正気を保っているなんて…」

「執念だよ」


 焔は真剣な面持ちを保ったまま、ゆっくりとうなだれるように言葉を続けた。


「かつて天才と言われた女は、同じく天才と称された幸村藍子に到底敵わなかった。どれだけ努力しても、桂木はいつも二番手。ずっと、君のおばあさんの背中を見続けるしかなかったのだ。その嫉妬が執念となって、あの女をここまで突き動かした。それこそ、ルナブラッドを入れられて、正気を保てるほどにな」


 焔の言葉に、私は小さく息を呑んだ。


「…おばあちゃんに、勝ちたいだけで?それだけで、大勢の命をもてあそぶようなことを?」

「凪。人は理屈で動けるほど単純ではない。どんなに頭が良くても、人格者であっても、感情に呑まれることは必ずある。嫉妬もそうだ。それがどれだけ醜く、間違ったことなのか、桂木本人はわかっていただろう。わかっていながら、敢えて目を逸らした。自分は間違っていないと、そうやって言い聞かせて納得させたのだ。桂木は自分を正当化して、人狼族の村を襲わせ、安吾の血を奪った。そして嘲笑あざわらったんだ。『幸村藍子から奪ってやった』ってな」


 私はギョッとして目を泳がせる。

 そんな、そんな個人的な感情で…。

 人の命を奪うようなことをするなんて…。


「だが、桂木芙蓉にはひとつ誤算があった」

「誤算…?」

「幸村藍子が磁場エネルギーの秘密に到達したのは、桂木芙蓉が研究所を去った後だ。幸村藍子は、この世界の根幹を揺るがすような重要な情報に、再び先に辿り着いた。桂木が抱いた劣等感は、並大抵ではなかっただろうな」


 焔の言葉に私は肩を落とした。そんな身勝手な感情で、人狼族の村を襲い、大勢の人に人狼族の血を入れるなんて。その人たちにも人生があったはずなのに。


 言いようのないやるせなさが込み上げ、私は顔を伏せる。すると、そんな私の心を見透かしたかのように、焔の目が鋭く光る。


「…相変わらず甘いな、君は」


 私はギクリと顔を強張らせ、焔を見上げる。先ほどまでとは一転、彼の表情は険しかった。


「これから先はその甘さが命取りになる。前にも言ったが、自我を失ったミレニアの使徒と会っても、決して同情するな。もちろん桂木芙蓉にもだ。話が通じる相手だと思うなよ、凪」

「……はい」


 すると、焔の手がそっと頬に触れた。彼を見ると、今度は僅かに照れくさそうな表情を浮かべている。


「これも前に言ったが…君にとって最も安全な場所は、私のそばだ。私もヤトも、君を守る。だから君も…さっきの忠告をどうか心に留めておいてくれ」


 真っ直ぐな言葉に、私は頬を赤らめながら、しっかりと頷いた。


 同時に、なぜおばあちゃんがこの世界から姿を消し、別の世界で生きることを決めたのか、その理由が繋がった気がした。


 桂木芙蓉がこの世から最も消し去りたかった存在。

 それは、他でもないおばあちゃんだったのだ。

 だから、おばあちゃんは彼女の執念から逃げた。


 この時、私の中である思いがはっきりと形を持った。

 ミレニア──桂木とおばあちゃんを繋ぐ因縁。

 今こそ、それを終わらせる時なのだ。


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