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第142話 喪失

 瓜生の奇襲攻撃に、芙蓉は完全にきょを突かれた。階段の上ということもあってか、逃げ道がない。だが彼女は剣を掲げ、瓜生の攻撃を防ぐと不気味に笑った。


「おやおや。私を裏切るつもり?」

「黙れ!貴様らに忠誠を誓ったことなど、一度たりともないわ!」


 瓜生はそう言うと、連撃を繰り返す。芙蓉はそれをふわりとかわすと、再び瞬間移動をして、彼女から距離を取った。


「……妹を返せ!今すぐに!」


 瓜生の声は鋭く、怒りに満ちていた。

 彼女の目的は妹である瓜生椿を助けること。その目的を今、果たすつもりなのだ。

 すると、芙蓉がほくそ笑む。


「やっぱりね。あんたがこっち側じゃないことは、部下の報告で薄々気付いていた。写真を見た時から気に食わなかったのよ。その目つき」


 すると、ガンという音とともに壁が崩れ、土埃が舞う。壁の奥から現れたのは丹後と江藤。どうやら、天宮から場所を聞いて駆けつけたらしい。

 二人は芙蓉を見るなり、雷閃刀を抜いて構えた。これでSPT、それに瓜生が顔を揃えた。芙蓉は私たちを見下ろし、睨みつける。


「SPT…本当に目障りな連中。貴様らを片付けたら、あの橘とかいう長官もなぶり殺しにしてやる。それとも、誰かの胴体とくっつけて惨めな姿にさせてやろうか?あの紅牙組のように。なあ、財前とやら」


 財前は眉をピクリとさせ、両手の拳を強く握りしめる。芙蓉はそんな財前を鼻で笑い、言葉を続けた。


「この力さえあれば、壊れた肉も再生できる。人間の自我を壊して思い通りに扱える。私を教祖のように崇めさせることもできるし、それをまた、自由に壊すこともできる。ミレニアの目的は、この世の秩序を壊して再構築すること。逆らう人間を片付けた後、私は私の秩序を生み出す。そう思ってここまで来たのだが…」


 そう言うと、芙蓉は静かにため息をついた。そして、感慨深げにこう呟く。


「それも、今となってはわからない。もう飽きたのだ。新しい秩序の構築など、正直どうでもいいのだよ。どんな秩序も滑稽なほどもろいし、築くのに驚くほど時間がかかるからね。なんだかんだ、破壊が最も美しい。私はそれが見たいのだ。磁場エネルギーを手に入れたいのは、そのためだよ」

「黙れ」


 焔が冷たく言い放つ。


「貴様の心情も感情も、自己満足な願望もどうでもいい。我々は貴様と対話しに来たわけではないのだからな」


 全員の視線が芙蓉に向く。芙蓉、一同の顔を見て高笑いをする。


「私はね、今とても楽しんでいるのだよ。これから、ひとりの人間の心が壊れると思うと、嬉しくて仕方がないのだ」


 そう言うと、芙蓉は瓜生に向き直る。瓜生は薙刀を構え、右手に力を込めた。人狼の気を纏う彼女の右手は、ミレニアが洗脳できなかった「失敗作」。かつての使徒の腕をつけたものだ。彼女は妹を拉致された痛みと怒りを異形の力に変え、戦い続けてきた。

 芙蓉は瓜生の右手を見るなり、眉ひとつ動かさずに淡々と言葉を落とす。


「瓜生蓮華……お前は一体、何を勘違いしているの?」


 この言葉に皆が押し黙った。勘違いとはどういうことなのか。瓜生も言葉の意図が掴めないのか、一瞬目を泳がせる。だが、芙蓉はそんな瓜生をあざ笑うかのように言葉を続けた。


「私はもうとっくに、お前の妹を返しているというのに」


 そう言うと、芙蓉はゆっくりと瓜生の右手を指さした。その瞬間、場の空気が凍りつく。皆が芙蓉の言葉の意味を、残酷な事実を察した。そしてそれが今、瓜生の心を突き刺したのだ。


 ──カラン。


 薙刀の落ちる音が、しんと静まった空間に響く。

 瓜生は膝から崩れ、震える肩を抱きながら顔を伏せた。

 私は両手で口を覆い、芙蓉を見た。彼女はうなだれる瓜生を見下ろしながら、心底楽しそうにほくそ笑んでいた。


 ミレニアは、瓜生の妹──椿を殺した。

 そしてその腕を、瓜生の右手に「移植」したのだ。


むごいことを…」


 天宮の言葉を受け、芙蓉は顔を歪めて笑った。


「私は命令しただけだ。そもそも、こいつの妹は『失敗作』だった。『失敗作』の中には、ろくな実験もされずに捨てられた者も多い。そんな中で、こいつの妹は姉の力になれた。感謝して欲しいくらいだよ」


 彼女はうつむいたまま微動だにしない。まるで魂が抜けたかのように。芙蓉はそんな瓜生には目もくれず、焔と私を睨みつけた。


「人狼の『気』…取り込むのにどれほど苦労したか。研究と人体実験を繰り返しても、この私ですら完璧に制御できない。人狼族の陰の気を完璧に操れるのは、生粋のルナブレッドの宿主だけ。安吾をここまで生かしておいたのは、それが過去へ行くために必要だったから。そして希少なソルブラッドの宿主が、まさか幸村藍子の孫だったとはね」


 芙蓉はそう言うと、さらに憎しみを込めた視線を私に向ける。


「幸村凪と御影稜馬。お前らはまだ利用価値があるから生かしてやる。そして散々人体実験をした後で、なぶり殺しにしてやる。それ以外の連中は…面倒だ。やっぱり今、ここで死ね」


 そう言うと、芙蓉は瓜生に向き直る。その時…。


 ──パンッ!


 乾いた銃声とともに、江藤の放った銃弾が芙蓉の肩をかすめる。芙蓉の動きが僅かに鈍ったその隙を突いて、丹後が瓜生を抱きかかえて階段下へ飛び降りた。

 芙蓉はそんな丹後を冷たく見下ろす。


「丹後志門。命が欲しければ、その女から離れた方が身のためだ」

「何を…」


 その時、異変が起きた。

 瓜生の右手から、突如黒い気が溢れ出したのだ。それは瞬く間に渦を巻き、暴風となって丹後の体を吹き飛ばし、壁に叩きつける。


「丹後さん!」


 私の叫び声が反響する。

 瓜生の右手から放たれる邪悪な気は、今や全身を包み込んでいる。まるで彼女自身が「闇」そのものになりつつあるかのように。


「瓜生隊長!」


 上木が叫びながら駆け寄る。だが、暴風が彼女の体を容赦なく吹き飛ばした。鈍い音とともに上木も壁に叩きつけられ、崩れ落ちる。

 それを見て、芙蓉は口元に薄い笑みを浮かべた。


「無駄無駄。あんたたちの声なんて届かない。この女は今、絶望の淵に立ってるんだから。いい感じでしょう。私の代わりに余計な人間を始末してくれる。助かるわ」

「瓜生さんに何したの!?」


 私は声を荒げる。すると、芙蓉は肩をすくめて応じた。


「『失敗作』の腕をつければ、自我の崩壊は免れて人狼化できる。でもね、人狼の力を扱うには、それでも強い精神力が必要なんだよ。そして今、この女は人狼化したまま絶望に呑まれた。崩れた精神と膨れ上がる力。さて、この先に何が起こると思う?」


 瓜生の体をまとう気は、異様な気配で満ちていく。そこから放たれるのは、哀しみと虚無。そして、底なしの絶望だった。それらは、彼女の白装束を引き裂き、手足を容赦なく斬り刻んでいく。血飛沫が舞い、静かに、そして鮮やかに彼女を赤く染めていた。


「ずっと見たかったの。人狼化の暴走を。ようやく…ようやく、それが叶う」


 芙蓉は感慨深げに目を細めた。まるで芸術を鑑賞するかのように。そして、視線で瓜生の輪郭をなぞりながら、凍てつく声で吐き捨てた。


「壊れろ、瓜生蓮華」

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