ラギが姉さんと呼ぶ声を音川の耳は聞き間違えるはずもなかった。ましてや静かな空間で雑音など少しもなく、敏感な耳は聞き逃すこともない。それでも音川は聞き返さずにはいれなかった。
「ナハタなの?」
友人がこんなところで、こんな姿であってほしくないと音川は願った。ラギは黙ったまま磔になっている親しい人の頬に手を触れた。
冷たいがその奥に温もりを感じる。拍動も微かだ感じられる。ラギは音川の背中に顔を埋めた時のように、ナハタの胸に顔をうずめた。
「なんでこんなところにいるの? 暗くて独りぼっちで」
「音川の目の光を取り戻すためにね。そいつが選んだことだ。ナハタは音川の目を治すために自らの体を素材として差し出し、リーアは目を治すことで契約した」
音川がナハタの指に触れ、手の甲に触れ、そして手を握った。
「ナハタ聞こえる? 私の声が。私、見えるようになったんだよ」
音川はナハタの頬に手を触れる様子をラギはじっと潤んだ目で見ていた。
ラギは自分の気持ちを現せずにいた。ラギは音川に対して感謝している。間違いなくこうしてナハタと再会できたのは音川がいなければなしえなかったからだが、このような再会になるなど予想もつかないことであった。
ラギは一方で怒ってもいた。音川の目を治すようなことが無ければそもそもナハタと共に過ごす時間は沢山あったはずであるし、冷たい石の壁に磔にされることもなかったのではないかと思わずにはいられない。その怒りが理不尽であるとも思っていた。ナハタは音川のために自分にできることを選択し、その選択肢を誤ったのだ。
ラギはナハタから離れ、音川に近寄ると彼女の胸を三度叩き。顔うずめてすすり泣いた。ラギの今できる精一杯の意志の表明だった。
音川はラギの頭を撫でながらミラーナに問いかけた。
「どうしてこんなことに……」
「不死の魔法の実験さ。自分以外の不死に魔力を集めさせようとしたのさ。不死であれば幾らでも魔力を集められるし、その方が効率がいい」
ミラーナは傍の書物を何冊かとりハラハラとめくってを繰り返した。
インが椅子に座ったまま顔を上げた。
「不死のレデオン。彼はリーアに利用されていたと。魔力を集めるために」
「そういうこったね」
唐田が腕を組み、顎に手を当てながら疑問を口にした。
「そうまでして魔力を集める理由はなんです? 分け身と言っても、もともとミーシャはかなり強大な力を持っていたようですから。あなたがたも相当な力をもっているのでは」
「それじゃ足りないんだよ。でかいの。リーアはかつてミーシャが無意識に世界を滅ぼしてしまったことをもう一度やろうとしているわけだが。分け身の分際でそんなことできるはずないだろ」
唐田は聞き間違いだろうかと険しい目をしながら問いかけた。
「今、もう一度やると、言いませんでしたが?」
「世界と言っても地球ね。あそこだけやり切れてないから。地球に伝播するころには弱まっていて魔力無しを消し去るまでいかなかった」
「そんな大事なこと! どうして早く言わないんですか! 何とかして戻ってこの事実を伝えないと……」
ミラーナは唐田の大声に尾根を寄せた。
「あたいだって知ったのはついこの前さ。音川から虫を取り出したときにね。そいつを食ったからご友人の場所や何をやろうとしていたか分かったんであって、何でも知ってると思ったら困んだよ。不死の実験も虫を食ったからで……。あー思い出しちまった。すげー不味かったんだよな、あれ」
「あなたは転送魔法が使える! なら時空の裂け目だってなんとかできないのか? 帰る方法だって」
「出来たらやってるよ。うるさいんだよでかいの」
ミラーナはため息を付いた。
インが立ち上がり詰め寄る。
「あたなは無責任だ。ここに来たのはあなたの昔話を聞きたいがためじゃない。何か解決策があるかと思ったからだ」
「おまえもうるさいな!」
音川の頭の中は多くのことで混乱し、渦を巻いていた。何をすべきなのか、どうすれば良い方向に進むのか。すべてが分からない。
どうして親友はこんなことに。どうすればリーアを止められるのか。ミラーナは宮之守の顔をしていている。ミーシャの分け身で、ミーシャとはつまり室長である……ことは間違いないようだが。深い霧の中に一人取り残されたようだったが、ふいに音川は会議室での宮之守との会話を思いだした。
自分が部外者に対策室の情報を流していたことが発覚した時のことだ。宮之守はその時、次のリーダーは音川だと言った。信頼されていることを思い、自分にはそれに応えられるだけのものがあるのかもしれないが音川にその自信はなかった。それでもあの時の宮之守の目は信じてくれている目であったのは間違いない。
やれることをやろう。音川は自分を奮い立たせた。
どうなるかわからないけど一つづつ。今までは自分の都合ばかりだった。ナハタを探したいばかりにここまで走ってきた。もう追うだけじゃだめだなんだ。これからすべきこと、自分のできること知りたい。その目つきは音川が尊敬する人物によく似ていた。