宮之守は暗闇の中にいた。
何もない。ふと気配を感じ、振り返ろうとすると真横を誰かが通り過ぎた。背の低い誰かによって巻き起こされた風が肌を掠め、懐かしい匂いが鼻腔に入り込んできた。
暗闇の中にテーブルが現れた。白いテーブルクロスに白い木製の椅子。中央に置かれた燭台は蝋燭の光を受け止めて黄金に輝いている。たくさんのご馳走と行儀よく並ぶ銀の食器たち。はるか昔に見た光景に懐かしい思いが呼び起された。
椅子には少女が座っている。宮之守の横を通り過ぎたのは子どもで、赤い髪の少女だった。ご馳走を前に少女は待ちきれないとばかりに体を揺らし、落ち着きがない様子だ。
“いけない子ね。そんなにはしゃいじゃって。行儀が悪いわよ。ミーシャ。”
優しい声をした女性が暗がりからにじみ出て少女を諭した。
“今日くらいは多めにみてやろうじゃないか。”
穏やかな声の男性が女性の傍に立っていた。
“そうね。今日だけは森に行っていないようですし。”
二人は笑っていた。
少女の両脇に立って語りかける二人を宮之守は知っている。
宮之守は胸に手をあて、懐かしさととめどない切なさに思わず服を握りしめた。宮之守ははやる気持ちを抑えつつ、二人の顔を見るために正面に回り込んだ。しかし二人の顔は見えなかった。目や鼻がある場所は黒一色に塗りつぶされ、まるで時空の裂け目のように深く黒い穴が開いているだけだった。
二人は少女に急かされ、そろって席に着く。短い祈りの言葉を唱え終えると少女はご馳走を頬張って顔を輝かせた。
“フフ、そんなに急いで食べなくてもなくならないわ”
二人は少女の様子を見て、黒く塗りつぶされた顔で微笑んだ。
少女が立ち上がり、二人のもとへ行き耳打ちする。すると二人は互いの顔を見て、男性が嬉しそうに少女の肩に手を置いた。
“見せたいものか。これは驚いた。”
少女は浮足立つ気持ちのまま走り出さないように気を付けながら行儀よく姿勢を正して、床より一段高い段上に向かった。
「……きろ」
少女は二人のいる方へ翻ってドレスの裾をはためかせて一礼し、胸に手を当て深呼吸した。この日の為に練習してきた成果を見せよう。少女の小さな手から真っ赤な炎が吹きあがってあたりを照らした。空気が熱くなり、蝋燭がいっそうはやく溶け始めた。炎の花が咲き、小さな火の花弁が散る。カーテンに火が燃え移るも。少女は落ち着いて火を呼び寄せ、小さな手の中に収めた。
女性が穏やかな声で言った。
“すごい! 炎が踊っているわ。”
感嘆の声と共に立ち上がり手を叩き、体が燃え上がった。
男性も立ち上がり、燃え上がる体で少女へ拍手を送った。手を叩くごとに彼の体にまとわりつく炎は空気を吸い込んで勢いを増していった。
“綺麗だ。こんな才能があったなんて。”
二人の首に絡みつく炎はまるで首に掛けられた縄のごとく太く、食い込み。黒煙が邪悪な渦を巻いて立ち昇り天井へ向かって伸びていく。天井を炎が波打って覆い隠し、白い柱は赤く。赤いカーテンはより赤く。炎が全てを一色に染めていく。
「目を……」
ぱちぱちと手を叩く音が聞こえた。少女はあたりを見回した。賓客の一人が席より立ち上がり、力強く手を叩いて賛辞の言葉を投げかけ、そして燃え上がる。
素晴らしい。素晴らしい。なんと美しいことか。
賓客がまた一人立ち上がり、燃えた。また一人と立つ、燃える。まばらだった拍手は次第により大きく。顔を黒で塗りつぶされた賓客たちが天井を覆う炎を見上げながら感嘆に溢れた声を漏らし、炎に飲まれていった。
宮之守の目から涙が溢れ、零れることなく蒸発していく。
館が炎に満たされていった。テーブルが燃えて、燭台が倒れ、銀の食器たちはくすんで輝きを失っていく。炎はなにも選ばない。全てをただ飲み込んでいく。少女も例外でなく。炎は黒くなって蛇のようにうねって絡みつき、身を焦がしていく。炎は床を這いずって広がりながら全てを焦がし、黒い炭に変えて、通った後は黒ずんで朽ち、ひび割れ、崩れていった。この場でただ一人、宮之守だけが残された。
「おきろ! 来てやったぞ!」
ぎゃりりと金属と金属が擦れる音が響く。地面が抉れ、走り込む音。金属のぶつかる音。衝突。反発。激突。激しく打ちあう音が聞こえた。
宮之守の耳に音が届いた。金属のぶつかる不快な音に宮之守は目を開け、横目を薄っすらと開けて何事かと伺った。
誰かが、戦っている。その者は軽い身のこなしで、きらりと光る鋭い残光を潜り抜け、またその者も残光を輝かせた。手には剣を持っており、繰り出される剣筋は鋭く、光を反射し、磨かれた刀身に写る光さえも斬り捨てるほどに滑らかであり、描かれる剣の軌跡は歴戦のそれである。
また金属のぶつかる音がした。そして鈴の音。りんという澄んだ音だ。宮之守はもう一つの影に目を向けた。
体は小さいがその者もまた常人離れした動きをしている。銀の髪は月光を受けて煌めき、瞳は虹色に輝くさまは畏怖の念を抱かせ、夜の中で一際存在感を放っていた。激しく動いているにもかかわらず、口は固く閉じられ、右にいたかと思えば上から姿を表し、次の瞬間にはまた別の場所にいる。まるで明滅しながら宙を舞う蛍のようであった。
「目を覚ませ。宮之守!」
女神エリナが叫んだ。
「ド阿保が。おまえには生きていて貰わなければ困る」
次いで佐藤が叫んだ。
「女神がご立腹だぜ! 大将さんよぉ!」
佐藤の肩をリーアの剣が掠め、切り裂く。
「早いとこ手ぇ貸してくんえねぇかな! こいつめちゃくちゃ強いんだよ!」