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第94話 もう一度

 佐藤が身を隠していた車の燃料タンクにリーアの放った矢が連続して突き刺さる。

「まずいっ!」


 灼熱を纏った矢から炎が走り、佐藤が防御し姿勢を取る間もなく爆炎が佐藤とエリナを飲み込んだ。ごうごうとした赤黒い炎から二人は吐き出され、投げ出された体は弄ばれて地面を転がった。聖剣は佐藤の手を離れ地面の上を滑る。


「クソが、めっちゃ痛ぇ……ぐあ!」

 呻き、起き上がろうとする佐藤の左手をリーアの赤熱した細剣が貫き、肉を焦がした。

「こっちほうがもっと痛いかしら」


 リーアは細剣をひねりながら片足で背中を踏みつけた。リーアは彼を見下す。しかし油断などは微塵もなかった。


 佐藤はリーアに押さえつけられながらも睨みつける。地に伏して押さえつけられていようが佐藤の戦う意思は少しもくじかれていない。リーアはもう一度、剣に軽く捻りを加えた。


「本当にムカつく」


 リーアは足に力を込め、佐藤の激痛に歪む声を聞き流しつ、ちらりとエリナの方を見た。エリナの投げ出されたままの脱力しきった四肢の様子からは起き上がる気配は感じられなかった。ならばやはり先に仕留めるべきは足元で暴れる佐藤である。リーアの細められた目が急所へ向けられた。


「これで終わりね。楽しめたわよ。それなりにね」

 リーアが左手を手を開くと空中に滞留する魔力が赤熱した矢となって生成されていった。矢は太く、鋭利な二重螺旋が刻まれている。ゆっくりと回転し、赤く、熱が揺らめく。


「ミーシャのお気に入りの一人みたいだったけど、邪魔だししかたない。ミーシャのより良い友人は新しい世界で見つかるだろうから、どうか心配しないで。あなたはそこから零れてしまっただけだもの」

「ほざいてろよ……。止めてやる」


「無理よ」

 赤熱した矢がぎりぎりと軋む音を立てて回転している。


 ここまでか。佐藤は死を覚悟した。リーアと佐藤の目の前に何かが投げ込まれる。拳よりやや大きめの円柱形の物体は地面で弾み、佐藤はとっさに目をつぶった。直後、物体は炸裂し、刹那的な眩い閃光が視界を染め上げ、鋭い破裂音が耳を奪う。


「これは……!」


 リーアの視界が眩い白が塗りつぶされ、炸裂に次いで僅かな時間差もなくリーアの体に重い衝撃が打ち込まれた。リーアの視界が大きくぶれて回転する。

 斬撃? 佐藤の? 違う。これは……。


 リーアの白く霞んでいた視界がようやく晴れ、はるか彼方に瞬く星の光と、背中に感じる固いものを捉え、それが地面であることを理解した。リーアは仰向けに倒れていた。


「何が私を……?」


 リーアは倒れた姿勢のまま、衝撃を受けた胸のあたりをさする。体を大きく弾き飛ばすほどの何かが打ち込まれたながらも傷も痛みもなく、服に一つのほころびすらもない。これだけの重い衝撃を伴う攻撃を放つ前の気配を少しも察知することができなかったことがリーアに不快な違和感となってまとわりつく。


 宮之守が操る一部の魔力を除いてリーアは儀式場周辺の魔力を管理下においている。魔力の揺らぎを感じ、手足のように相手の動きを感じ取ることができる。まるで張り巡らされた蜘蛛の糸が、獲物の振動を感知するのと同じように。しかし先ほどの攻撃からは殺気や予備動作どころが、方向までもが分からなかった。


 リーアの細い指は灰色のドレスに引っ付いていた異物を見つけ出し、指先で摘まみあげる。小さな金属片だ。リーアの体に命中した際に変形したであろうそれは元は小さな円錐形だったようだ。今は先端は花が咲き開いたかのように裂けて潰れている。


 リーアは目を細めた。金属片の形状には知識として見覚えがある。この世界の武器、すなわち銃から放たれた弾丸であった。佐藤はリーアに向けて銃を構えていない。リーアの違和感は苛立ちへと変わっていった。


「どうりで気がつけないわけね」

 リーアの手の中で弾丸は赤々と色を変えどろりと溶けた。

「魔力無しの攻撃は私には感知できなかった。そういうことね」


 リーアは口元を不吉に歪ませながら半身を起こそうとし、再び強い衝撃が打ち込まれた。攻撃は頭へ命中し、リーアの体はボールのように地面でバウンドした。


「撃て! 死んだわけじゃないぞ!」

 遅れて轟く銃声が響く中、佐藤は誰かの声を聞いた。疲弊し、傷ついた体を誰かが強引に引きずっていく。

「遅れてすみません。爆発した車両や混乱の収拾に手こずってしまって」


 燃えてしまった作戦指揮車のすぐ後ろを走行していた封鎖部隊A班隊員の声だった。隊員は佐藤を装甲バスの裏まで引きずって車体に寄りかからせた。そこには別の隊員によって連れられたエリナの姿もあった。銃声が響く、今度はショットガンの銃声だ。


『佐藤さん。無事で……わけでもなさそうっすけど、とにかく良かった!』

 佐藤の外れかけたインカムから聞きなれた、はつらつとした声が聞こえた。佐藤はインカムをつけなおした。

「その声……小松か。今どこだ」


「セントエリナ病院っす。ここにはいざってときのために対策室と同等の機材がいくつかあるんすよ。秘密の部屋っす!」

「ク、ククク……ゴホッ」

 佐藤は喉を詰まらせながら笑った。


「いいね。頼もしいじゃないの」

『できる限り援護するっすよ。今のエリナさんはどういう状況っすか?』


 銃声が響き、グレネードが炸裂する。駆け付けた封鎖部隊がリーアを取り囲み、十字砲火を浴びせていた。リーアの体は打ち込まれる弾丸と爆弾を前になすがされるままとなっていた。


「エリナの状況はよくわかんねぇ。見つけたとか何とか俺には説明のなしに寝ちまったよ」

「何とか起こせないっすかね」


 佐藤は装甲バスに体を預けながら立ち上がる。ふと額に手を触れ、見ると指が真っ赤に濡れていた。

額だけではなかった。全身の切り傷、刺し傷があり、服のあちこちを赤く染めていた。佐藤は指についた血をズボンで乱雑に拭った。


「起こせたらこうはなってねぇ」

 佐藤は足でエリナの腿を小突いた。

「こいつなりに考えあったのことだろうけどな」


 佐藤はエリナの精神がこことは別の世界にあることは知らない。しかしエリナは佐藤であれば生き残り、体を守りと通すだろうという信頼を置いていったことを佐藤は理解していた。


「マジでこいつはムカつく女神だよ。言葉が足んねぇんだよ」


 佐藤は自分の手に聖剣がないことに気が付く。佐藤の頭上を四機のドローンが通り過ぎていった。機体下部には爆弾が吊るされていた。


『佐藤さんの剣も回収しといたっすよ』

「どうぞ。私たちも共に戦います」


 佐藤の聖剣は封鎖部隊の隊員の手にあった。傷だらけの汚れた聖剣は隊員の両手のなかで、佐藤の手の中に収まるの待っている。佐藤は少しの間、目を伏せた。


「リーアは魔法でなければ殺せないぞ」

「ええ。分かっています」

 隊員は力強く答えた。

「そうであっても、我々だけがただ見ている理由にはなりません」


 彼らではリーアを殺せない。魔法のこもった武器でなければ傷一つつけることすら叶わない。佐藤は彼らを撤退させるべきか思案し、それから聖剣の柄に手をかけた。


「まぁ、そうだよな……」

 愚問であった。彼らは戦士である。共に戦い、共に敗北を味わい、共に背負っている。佐藤が死者たちを背負っているように、また彼らも彼らだけの何かを背負ってここに立っているのだ。退くという選択肢は元より存在しない。


 ならば今一度、俺は勇者になるべきではないだろうか。

 佐藤は肩を回し、首を回した。聖剣は佐藤の魔力によって淡く輝く。まるで、勇者となり我を掲げよと、鼓舞するするかのようだ。


 佐藤は聖剣を体の正中線に重ね、深く息を吐き、深く吸いこむ。肺の奥深くへと取り込まれた空気は全身へと行き渡り、魂の炉に、薪に火を灯し、力を呼び起こした。


「はぁーあ。面倒くさいことになりやがってよ」

 佐藤はニヤリと口元を曲げた。

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