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第59話 代償

「どういうことか、説明してください!」


 明くる練習日、罰金箱の隣に百円玉の山を積んで、蓮美は涼夏に迫った。


「あんな動画勝手に投稿して! イクイノクスと勝負とか、髪切りデスマッチとか!」

「宣伝効果抜群だっただろ。見ろよ〝いいね〟まだ回ってんぞ」


 上機嫌でスマホを見つめる涼夏の視線の先では、件の〝髪切り〟宣言の投稿のメーターがたびたび回る。


「そもそも髪切るとか聞いてませんよ!」

「切るのはあたしだけでいーよ。てか、最初から負けるつもりでいるんじゃねぇよ」

「そういうこと言ってるんじゃありません!」

「わーった! これでいいだろ!」


 執拗な叱責に、流石に涼夏も苛立った様子で罰金箱に歩み寄ると、財布の中から乱暴に掴み取った万札を投入口にねじ込む。


「罰金一万円! これで文句ねーだろ!」

「罰金箱の意図をはき違えないでください! 一万円払ったら何やってもいいんじゃないんです!」

「えーっと……蓮美ちゃんの分は、私が入れておいてあげようかな?」

「ありがと千春ちゃん!」


 憤りで罰金を投じるのも忘れた蓮美の代わりに、千春が彼女の敬語の数を指折り数えて、百円玉を一枚ずつ投入する。


「でも、結果的にバズっただろ。注目度が上がった今、竜岩祭でバツグンの新曲あげりゃイクイノクスとだって戦える」

「戦う必要なんてないです! あんな、向日葵さんたちを踏み台にするような扱いしなくったって、私たちは私たちで登っていけばいいじゃないですか!」

「えっと……入れとくね?」

「ありがと!」


 ガシャンと硬貨が投じられても、蓮美の憤りは収まらない。


「なんでそんなに向日葵さんのこと目の敵にするんですか! 曲だって作ってもらったのに!」


 ――ガシャン。


「別のバンドで音楽続けてりゃ、この先いくらだってそういうことあんだろ。それに、元はと言えば突っかかってきたのあいつだぞ」

「それも、そういうこと言ってるんじゃないんです! 涼夏さんって結局、向日葵さんに勝つために音楽やってるんですか!?」


 ――ガシャン。


「それはある。サマバケがうまくいかなかったのはあたしのせいじゃねぇ。あたしは間違ってねぇって」

「じゃあ、ペナルティボックスはそのための道具ってことですか!?」


 ――ガシャン。


「千春ちゃん、気が散るから回数数えといてあとでまとめて入れて!」

「ご、ごめん」


 蓮美の剣幕に、千春もたじたじだ。ほとんど幼馴染に近い付き合いのふたりだったが、こんなに感情的に怒りをあらわにする姿を見るのは初めてのことだった。どう扱えばいいのか、正直分からない。


「で、どうなんですか、涼夏さん? 私たちのこと、何だと思ってるんですか!?」

「バンドの……仲間だよ」


 涼夏は、バツが悪そうに視線を外して答えた。

 その姿、そして答えが、今の蓮美をことごとく逆撫でる。


「涼夏さんの行動、とてもそうは思えません!」


 吐き捨てるように言って、自分の荷物をまとめ始める。


「蓮美ちゃん?」


 千春が、心配そうに手を伸ばすが、蓮美の手は百円玉の山を指さす。


「悪いけど、余ったやつまとめといて」

「う、うん、わかった」

「私、今日は帰りますから」


 そう言って、肩をいきらせながらスタジオを出て行ってしまった。

 その気迫に圧倒されたまま、千春は最後に硬貨を箱に入れた。


「蓮美ちゃん……めちゃくちゃ怒ってたね」

「言わせとけ。どうせいつもみたいに、すぐ収まるだろ」

「うーん……今回ばかりはどうかな」


 親友を自負する千春だからこそ分かる。いつもと違う怒り方をした蓮美が、いつも通りに怒りを収めるかの保証はない。


「私は、面白い手だと思ったけれど。曲作りにも力が入るというもので」

「ああ……実際、新曲の出来にかかってる。頼むぞ、栗花落」

「最善は尽くします――おっと、私も罰金ね」


 プレッシャーなど全く感じさせない様子で、栗花落は軽やかに笑う。

 そして、仲間のいさかいをどうすることもできずに後ろで眺めているばかりだった緋音は、ほとんど過呼吸で倒れる寸前だった。




 結局、その日は練習にならず早めに解散となった。

 涼夏だけはひとり残って弦を掻き鳴らしていたが、気分を発散しきれずにむしゃくしゃしたまま岐路についた。


(地道に登ってたってメジャーになんか行けねぇんだよ……そういう世界じゃねーんだ)


 涼夏自身、自分のやったことを申し訳ないだなんて微塵を思っていない。今のバンドにとって、売名とメジャーへの道を考えた時に、これが最良の方法だと本気で考えて行動に移した。

 実際、彼女自身も口にしたことだが、結果的にバンドはバズってフェスの期待度は上がっている。あとは気合の入った新曲をブチ当てて、イクイノクスとの――向日葵との勝負に勝つだけだ。


 ――私たちのこと、何だと思ってるんですか!?


 蓮美の声が耳の奥に残って、涼夏は顔をしかめながら頭を振った。

 溜息を吐きながら旅館の従業員駐車場に原付を止めると、ヘルメットを振り回しながら勝手口から自宅に入る。


「涼夏」


 すると、目の前に仁王立ちの母親の姿があった。


「来なさい」

「汗だくなんだシャワーぐらい浴びさせろ」

「すぐに済みます」


 母親は、有無を言わさず踵を返して事務所の方へと向かって行く。するりと床を滑るような精錬された足取りは、涼夏が小さい時から、いくら歳を重ねても変わらない。

 対する涼夏は、もうひとつ盛大な溜息を吐いて、ドカドカと大股で後を追った。


「これは、どういうこと?」


 事務所代わりの和室で、母親は旅館業務に使っているノートPCの画面に、例の動画を映し出していた。


「どうって、見ての通りフェスで向日葵と集客対決すんだよ。前も出ただろ、竜岩祭」

「そういうことを言ってるんじゃないよ。あなた、ウチの立場を分かっているの?」

「立場?」

「『古蓉』は音楽祭のスポンサーです。その娘が、こんな馬鹿を晒すようなこと」

「イベントの盛り上がりに貢献してんだ、良いだろ別に」

「ずいぶんと、否定的な意見も見えるようだけれど?」

「ネットの書き込みなんざそんなもんだ。十の賞賛があれば、十の非難がある」

「その非難が、宿に及ぶとは思わないの?」

「は?」


 母親の語り口に、面倒ごと程度に思っていた涼夏も流石に顔を上げる。


「いっちょ前に家の心配はするの。大丈夫です、まだそのようなことにはなっていません。そもそも、この動画の主が『古蓉』の娘だと知っている人はそういないでしょう」

「んだよ、ビビらせんなよ」

「そういう未来もありうるという話です。だから、立場を自覚しているのかと聞いているの」

「迷惑はかけねーよ」

「いえ、少し自由にさせすぎたと、私も反省しました」

「あ?」

「スポンサーとして、あなたのバンドのイベント参加を認めるわけにはいきません」

「はあ?」

「それと、残りの夏休みの間、許可のない外出も禁じます。学期中は見逃しているのだから、休みの間くらい宿で働きなさい」

「なんでそんなこと――」


 喧嘩腰の涼夏を、母親はいつになく怒気を孕んだ瞳で睨みつける。

 他人に怒りをぶつけられるのは、本日だけで二度目だ。

 思わず、母親の姿に昼間の蓮美の姿が重なる。


「なぜ? あなたが、旅館の娘である自覚が足りないからです。もう少し、あなたの家で働いている従業員たちの顔を見なさい」

「別に、継ぐ気ねーって」

「継ぐ気が無くても、あなたには肩書がついて回るの。それを自覚なさい」

「だからと言って、フェスの参加を認めねーのは関係ねーだろ。しかも外出禁止とか、義務教育のガキじゃあるまいし」

「今のあんたは義務教育のガキと何も変わらない。いい加減、大人になりなさい」

「約束通り、大学に行って音楽やってんだろ。こっちとしちゃ、バイトしながらやるんでもよかったのに」

「別に、無理強いはしなかったはず。それでも家に残るのを決めたのは、メリットを感じたからじゃないの? なら、根無家の娘としての最低限の責務は自覚なさい」

「自覚自覚って……あたしはただ、もう一度メジャーに挑戦したいって、それだけだ」

「なら、ハッキリ言わせてもらう」


 母親は、涼夏の態度に狼狽えることなく、凛とした姿のままで言い放つ。


「あなたの夢は、宿の従業員とその家族の生活を棒に振ってまで叶えたいものなの?」


 涼夏は口ごもることしかできなかった。

 もちろん、迷惑をかけるつもりはない……が、自分の行動でそういうことが起こりうることを、これまで考えたこともなかった。

 旅館の娘――生まれ持ってついたその肩書が、背中に重くのしかかる。


「別に、欲しかったわけじゃねぇよ。今までも、これからも、邪魔でしかない」

「なら、家の看板を捨てて出て行くんだね。代わりにもう一切の支援はできない」

「そうかよ」


 ぴしゃりと言い放つ母親に、煮え切らなかった涼夏の腹も据わった。ヘルメットを片手にすくりと立ち上がる。


「出てったところで、参加は認めないよ」

「媚びてまで認めてもらうつもりはねぇよ」


 それを捨て台詞に、涼夏は家を飛び出した。まだエンジンの生暖かい原付に跨り、フルスロットルで温泉街を下る。

 大混雑のお盆を過ぎて、八月暮れのしかも平日の街は、すっかりと平時の落ち着きを取り戻していた。さび付いたわけじゃない、だけど寂れかけた故郷。

 生まれてこのかた、この景色が大嫌いだった。

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