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第60話 タイムリミット

 スタジオにとんぼ返りしてきた涼夏は、店員であるタツミの小言を流しながら、閉店時間いっぱいまでスタジオでひとりベースを掻き鳴らした。休みもなくノンストップで息も絶え絶えになるころには、今日一日ずっと積み重なっていたモヤモヤも、いくらか薄れていくかのようだった。


「タツミさんさ、今晩スタジオに泊めてよ」

「はい? ダメに決まってるだろ」

「じゃあ、タツミさん家に泊めて」

「イヤだね。また親と喧嘩したのか知らないけど、謝って家に入れてもらいな」

「今回ばかりは譲れねぇんだよ。まあ、今までも譲ったことねーけど」


 ムスッとしたまま店先でテコでも動かない涼夏に、タツミもしびれを切らした様子で大きな溜息を吐く。


「悪いけど、ご家庭の厄介に巻き込まれるのはゴメンだよ。自分の撒いた種は、自分でなんとかしな」

「あたしが撒いたわけじゃ――」


 言いかけて、よくよく考えればすべての種は自分のあげた動画であることを思い出す。

 あれからもSNSのカウンターは回り続け、その余波で動画サイトに投稿した曲の方も再生数が万単位で伸びている。奇しくも涼夏の思惑は見事に成功したわけだが、今となっては素直に喜べる状況ではない。


「わかったよ。とりあえずまた明日来る」

「明け方は冷えて来たから風邪ひくんじゃないよ」

「野宿前提かよ」


 文句を言いながら店を出て、仕方なく原付に跨る。


(さて……どうすっかね)


 辺りはすっかり夜だ。県庁所在地だというのに市内の漫画喫茶はとっくに潰れてしまったし、二十四時間営業の店もコンビニくらいしかない。ファミレスは遅くても朝二時程度。カラオケも五時ころには締め出される。

 若者が夜遊びしがいのない街、山形。


(一晩くらいならホテルでも……その前にメシ……あっ)


 財布を開いて、寂しすぎる惨状に言葉が詰まった。

 芋づる式に罰金箱に有り金突っ込んでしまったのを思い出すと、鞄の中の貯金箱がやけにずしりと重く感じる。金があるのに無い。

 このままでは夜も明かせない。


(真面目に野宿か、こりゃ)


 最終手段でそれもアリだが、あまり気はすすまない。

 となればどうするか――


「あきれた……それでウチに来たんですか」


 アパートの玄関先で出迎えてくれた蓮美は、キャミソールにショートパンツの極限ラフスタイルだった。そりゃ、出迎える予定もなかったのだから無理もないどころか、あれだけ盛大に喧嘩をしたその日中に顔を合わせることになるとも思うまい。


「とりあえず、上がってください。来るなんて思ってないから、全然片付いてないですけど」

「おう」


 拒否られるのも覚悟したが、とりあえず今夜の宿は確保して一安心の涼夏である。

 それから、泊めて貰うための最低限の礼儀として、ひとしきりの経緯を蓮美に説明した。蓮美は、ワンルームの台所でお茶を淹れながら、静かにそれを聞いていた。


「まあ、良い分としては全面的にお母さんが正しいですよね」


 全部聞き終えたあと、一番最初に出た感想はそれだった。


「でも、結果的にバンドは伸びただろ。あたしのやり方は間違ってねぇ」

「涼夏さんのやることなすこと、ほんとに全部『結果的に』なんですよ。人生ゲームで運よくプラスのマスに止まり続けてるだけ」

「良いだろ。それでこれまでやってこれたんだから」

「現に今、どうしようもなくなってるじゃないですか」

「お前が入れてくれたから、今日もプラスだぞ」


 涼夏が、悪びれる様子もなく自信満々に答える。

 蓮美はそんな彼女をじっとりとした目で見つめつつ、両手で包み込むように持ったマグカップに口をつける。


「ほんとズルいなそういうとこ」


 いろいろ言いたいことはあるし、昼間のことも許したわけじゃない。でも、行く当てがなくなってどうしようもなくなった時に自分の家に来てくれたことは、それはそれで頼られているような気がして嬉しい。

 そういう意味での〝ズルい〟だ。


「……で、結局、どうするんです。竜岩祭、このままじゃ出られませんよ」

「出るよ。ここまで炎上させたんだ、やっぱり出ませんで済ませられるわけねーだろ」

「まあ、そのスポンサー権限というのがどの程度のものか分かりませんけど……今からでも謝って許してもらった方が手っ取り早くないですか?」

「そしたら勝負はどうなるんだよ」

「それも撤回するんです。クリーンにフェスに参加しましょうよ」

「むう……」


 蓮美のまっとうなリカバリー案に、もちろん涼夏はすぐに返事ができない。唸るように低く声を上げながら、視線を落として考え込む。


「全部が思い通りにいく妙案がねーもんか」

「無いからにとまっちゃったんです。じゃないだけマシって思いましょうよ」

「けど、チャンスだろうが。注目度も上がったところで、一発花火を打ち上げられたら、メジャーに一気に近づく」

「そんなに焦る必要なんてないと思いますけど……長い時間かけて、一歩ずつ進んでいったっていいじゃないですか。私は……たとえ大学を卒業しても、ペナルティボックスを辞めるつもりはないですし」


 そもそも、結成半年のバンドがメジャーどうこう論じているのが、蓮美にとってはずいぶんと勇み足に感じられる。それは、メジャーを目指すために結成したバンドという原点はあるが、それにしても順序の踏み方があるだろうと、並みの神経である彼女は思う。


「あたしには、時間がない」

「え?」


 だが、涼夏は違う。


「在学中にメジャーに戻れなかったら、一旦家を継ぐ。そういう約束だ」


 突然の告白に、蓮美は言葉を飲む。


「そう……なんですね?」


 とりあえずそれだけ返すも、頭の中では何一つ考えがまとまらない。


「諦めるってことは、サマバケも解散……?」

「先のねーバンド続けたって仕方ねぇだろ、お前らだって。それこそ卒業したら、それぞれ就職していろんなとこに行っちまうだろうし」

「私は、別にサマバケが続くなら山形に残ったって……それか、向日葵さんみたいにみんなで関東とかに拠点移したり」

「栗花落はこっちに仕事も生活もあんだろ。それに、宿の仕事を本格的に始めたら、メジャー目指して奔走するなんて余裕は正直なくなる」


 家のことに目もくれない涼夏だが、旅館の経営がどれだけ大変な仕事かくらいは、小さいころからずっと目にしてきて知っている。

 同じくらい、趣味で音楽を続けることこそできても、そんな片手間でメジャーに行けるほど音楽の道も簡単ではないことも知っている。


「まー、いよいよそうなったら家を出るつもりだが……早まったってわけだ」

「そんな楽観的な……」


 とりあえず諫めるが、蓮美の心中はとっくに穏やかではない。

 彼女の場合は、メジャーに行くことよりも何よりも、涼夏と音楽を続けていくことの方が大事なのだ。涼夏とやるから、音楽をやりたいのだ。


「家を出るってことは、働き口を探して生活しながら音楽をやるってことだ。当然、今みてぇに生活のすべてを捧げられるわけじゃなくなる。養ってくれるパトロンでもいりゃ、話は変わるが」

「け、結婚するってことですか!? 誰と!?」

「そうじゃねぇよ、ヒモだよヒモ。でも、あたしは誰かのヒモで生きていけるほど器用じゃねぇしなあ。普通に働くだろ」

「な、なるほど……」


 涼夏の言動ひとつひとつに驚きっぱなしの蓮美は、すっかり内心をかき乱されてしまっている。卒業した先のことなど、微塵も考えたことが無かった。まだ入学したてということもあるが、まずは大学生活をやり遂げるのでいっぱいいっぱいで。

 大学を出てから自分が何をしているのか、誰と生きているのか。

 なんとなく、バンドはこのまま一生続いていくような気さえしていたので、突然現実を突きつけられた気分だった。


「ほら……栗花落さんとか、働きながら音楽活動やって、ちゃんと認められてるじゃないですか」


 社会人シンガーという意味では、身近に一番のモデルケースがいる。

 しかし、涼夏はあきれ顔で首を横に振った。


「アレは、特殊な例すぎるだろ。なんつーか……あたしとは別の意味で覚悟が決まってるよ」

「覚悟……?」

「音楽のための人生を歩む覚悟だ。音大辞めたっつーのも、ネットで活動してんのも、たぶんキャバで働いてんのも――いろんな選択肢がある中で、あいつが音楽活動をするうえでの〝最適解〟だったんだと思う」

「じゃあ、私たちのバンドに入ったのも?」

「たぶんな。直接聞いたわけじゃねーけど、分かるんだよ。生き方を音楽に極振りしてるヤツは」


 涼夏の言葉はほとんど理解できなかった蓮美だったが、そう言われてしまってはこの場では頷くほかない。


「じゃあ……私は、どうですか? 涼夏さんから見て」

「あ?」


 そういう話題になると、気になるのは自分のことだ。

 いや、厳密には、涼夏から見た自分のこと――と言うべきだろうか。

 蓮美の目からすると、涼夏はその「音楽のために生きてる人」だと思った。そして、彼女の隣に立つべきは、同じ生き方をしている人なのだと。それを涼夏の口から聞けたなら、これ以上に心強いものは無い。


「お前は、自分の生き方を自分で選べるヤツだよ」


 しかし、答えは決して蓮美の望んだものではなかった。


「音楽で生きるにしろ、他のことにしろ、お前は自分の望む道を歩けるだろ」

「音楽で生きてく人間じゃない……ってことですか?」

「テメーは、あたしがこれまで合った人間の中で、一番自分勝手で我儘だ」

「……それ、けなしてます?」

「褒めてんだよ。本当に望んだものは、絶対に手に入れる。それが音楽なら、音楽で生きる道を手に入れる」

「その時……隣に涼夏さんはいますか?」

「は?」


 突然の問いに、涼夏はいぶかし気な顔で蓮美を見つめ返す。


「なんであたしが出てくるんだよ」

「私は、涼夏さんの隣で音楽がしたいです。望むのは……たぶん、それだけ」


 いつになく真面目な顔で語る彼女に、涼夏は若干気後れして黙ってしまう。それから、張り詰めた空気を吹き飛ばすように鼻先で笑って、試すような視線で見つめ返した。


「ついて来れんならな」

「なんなら追い越します。あ、そうだ。涼夏さん、私のヒモになればいいじゃないですか」

「それだけは絶対にイヤだ」

「えー、何でですか?」

「あたしのプライドが許さねぇ」

「捨てたら楽になるプライドなのに」


 からかうように蓮美は笑う。

 しかし、胸の内にはわずかな寂しさと焦燥感が掻き立てられていた。


 もしも涼夏が在学中に大成できず、家を出て行くことになったら、その時はおそらくバンドも捨てていくことになるのだろう。東京か、仙台か、他の場所か分からないが、とにかく新天地に旅立って、そこで働きながら新しい音楽の道を歩むのだ。

 今とは違って、音楽のためだけではない人生を――その時、自分はきっと隣にはいない。その未来だけは、ハッキリと思い描くことができた。


 涼夏が言った通り、自分が本当に望んだ未来を手に入れることができるのなら。

 今、一番欲しい未来――ペナルティボックスの未来は、涼夏が在学中に大成することでしか成し得ない。


 だとしたら、今やるべきことは何なのか。

 答えがあるわけではなかったが、道を選ぶ覚悟だけは、物言わずに定まっていた。

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