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第二章 6thステージ

第61話 巡りゆく季節

 ――もしもペナルティボックスが敗けたらバッサリいってやる。

 ――ドラゴンロックフェス、ステージ動員人数勝負の〝髪切りデスマッチ〟だ!


 スマホの小さな画面の向こうで、かつて隣でベースを掻き鳴らしていた女が下品な笑みを浮かべるのを見つめる。

 散々挑発されているというのに、向日葵の心中に憤りはなく、ただただ懐かしさで笑みすら零れる始末だった。


「また動画見てんすか。何回見ても憎たらしいっすねー」


 肩越しに、今のバンドでベースを務めるダリアがギリギリと奥歯をかみしめ、代わりに怒りを露にする。バンド内最年少、若干十七歳で感情豊か血気盛んな彼女のおかげで、向日葵は今日まで実に冷静に、最善の選択でもってバンド〝イクイノクス〟をメジャーデビューまで導くことができた。


「菜々は?」

「今日も居残りって、さっきグルチャに連絡あったっすよ」

「うそ、見てなかった」


 慌てて動画を落としてメッセージアプリを立ち上げると、トークルームにドラマーである菜々からスタンプが送られて来ていた。羊をモチーフにしたニヤケ面のマスコットが、悪びれる様子なく「ごめん」と書かれた看板を掲げているので、謝る気があるのかないのかよくわからない独特のセンスが要求される。


「じゃあ、今日も二人で始めよっか」

「ダリアは嬉しいっすけど……向日葵さん」

「何?」

「なんで、菜々をバンドに入れてるんすか? 全然、練習にも来れないのに。ドラマーなら他にもいるんじゃ」

「うーん」


 バンドメンバーでもあり、ほとんど後輩のような感覚の少女からの質問に、向日葵はことのほか真剣に首をひねる。


「アタシがやりやすいからかな」

「やりやすい? むしろやりにくくないっすか? あいつ、マイペースが過ぎるし。協調性ゼロだし」

「協調性ならあるでしょ。どんなにお店が忙しくても、ライブや収録の時は絶対に出てくれるし」

「そりゃ、家業があるのは分かるっすけど」

「あと、昔組んでたバンドのドラムに似てんのよ。そのマイペースな感じが」

「はあ」


 向日葵の脳裏には、在りし日のサマーバケーションのライブの光景が思い浮かぶ。向日葵と涼夏、そして海月。夏っぽい名前ばっかりだからサマーバケーションなのだと、バンド名を決めたのもは、そのマイペースなドラマーだった。

 ほかふたりよりも年下なのに物怖じしない、独特の感性と世界観を持った、ある意味でバンドの潤滑油。

 そして何より――


「マイペースで練習にもあんま出ないけど、ライブでの腕は確か。持ち前のパワフルでエネルギッシュなサウンドは、アタシが求める音楽にピッタリ。まさにプロじゃない」

「うう……そう言い切られてしまうと、何も言えない」


 社会経験の少ないダリアからすれば、バンド活動は部活動のそれに近い。中高生の部活においては、能力のあるヤツ以上に、練習を休まず誠実なヤツがが偉いという風潮がある、そういう環境に馴染めず、ダリアは今ここにいる。


「もしかして……ダリアを選んでくれたのも、根無涼夏に似てるからとか言いませんよね? それだけは絶対にイヤなんすけど」

「あははっ。さーて、どうかな?」


 向日葵が悪戯っぽく笑うと、ダリアは納得いかない様子で頬を膨らませてむくれる。

 こんな子供っぽい反応を見せてくれるのなら、涼夏のことももう少し許せて、うまくやっていけたんだろうかと少しだけ思う。


(いや、アイツはあれでいい。仲間じゃなくってライバル――いざそう思ってみると、思いのほかこれが、しっくりくるんだわ)


 自嘲気味に笑いながらホライゾン七弦ギターを手に取り、ストラップを肩にかける。


「それじゃ、ドラムは前に取ったテスト音源で流すから」

「うっす」

「新曲の公開が思ったより早まっちゃったから、仕上げの時間はあんまりないわよ。気合入れて行きましょ」

「なおさら菜々が居ないのが腹立つ!」


 スタジオのスピーカーから流れる録音したドラム音声に、憤り交じりのダリアの若々しいベースが重なる。涼夏の音より重さはないが、その分、ゴロゴロと天高く燻る雷鳴のようなサウンドが彼女の持ち味だ。

 東京で新しいバンドを組もうと思った時、彼女の音が自分のイメージにピッタリと当てはまった。だから向日葵は、彼女をバンドに引き入れた。

 涼夏の後釜ではなく、イクイノクスのベーシスト・ダリアとして――


(アンタに売られた喧嘩なら、どんな安いものでも買ってやるわよ。そして徹底的に叩き潰す。デビューセカンド曲。アタシがこれまで書いた中での最高傑作。イクイノクスが目指す音楽の頂点で――)




 チョキチョキと、古びた町の美容室に小気味のいいハサミの音が響く。

 カット練習用のマネキンを前に理容鋏を振るっていた菜々は、一息ついて額の汗を拭う。


「あんた、最近ショートの練習ばっかだね。切る予定でもあるの?」


 レジの締め作業をしていた店長の母親が、ちらりと横目に娘の練習の様子を盗み見た。


「ええー? うーん、そうだねぇ」


 菜々は、人形の切り残した髪を指でかき分けながら、いろんな角度から眺めてスタイルを確認する。


「たぶん、そうなると思うから、一応練習しておこうかなぁって。あんまり、ショートは切ったことなかったしー」

「まあ、客の大半がパーマとカラーのおばちゃんばっかだからね。それでどうにか食っていけてるんだから、常連様様さね」

「そうだねぇ」


 朗らかに笑って、菜々は鏡の前に立てかけたスマホのスリープを解除する。すると、画面いっぱいに出していたライブの写真が再び表示された。渋谷ライブで客席から撮影した一枚は、汗を光らせながら気持ちよさそうに演奏する、涼夏の姿をバストアップにしたものだった。


「う~ん、もう少しトガッた方が似合ってるかなぁ? おかーさん、どう思う?」

「あ! 声かけるんじゃないよ。どこまで計算したか忘れたじゃないか」

「ええー?」


 怒られてしょんもりしながら、菜々はもう一度スマホに映し出された涼夏の姿をまじまじと見つめる。それから心から慈しむような笑みを浮かべて、マネキンの頭を優しく撫でた。


「どうせなら、似合うように切ってあげたいよねぇ。練習、頑張らなくっちゃ」


 イクイノクスのベーシスト・菜々は、のびりでマイペースなプロフェッショナルだった。

 フェスでの集客勝負で自分のバンドが必ず勝つということを疑わず、敗者の罰ゲームにも一切手を抜くことが無いように、今日もまた人知れずハサミを振るう。

 カットはリズム。ハサミは楽器だ。チョキチョキと小気味のいい裁断音が鳴り響けば、作業中の母親もいつしか笑みを浮かべて、心地のいいサウンドに身体を委ねる。


「でーきた♪ ふぅ……もうすぐ秋だってのに、まだまだ暑いねぇ」


 仕上がった人形を鏡越しに満足げに見つめて、菜々は満足げな笑みを浮かべながら額の汗をぬぐった。能面づらの人形でも、彼女の頭の中では写真の中の涼夏の髪型が、たった今仕上がったそれになった姿が思い描ける。

 この髪型でライブしてくれたら、すっごく素敵だと思うなぁ――そんなことを思いながら、床に散らばった髪の切れ端を掃除し始めるのだった。

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