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第94話 はじまりの音

 寒く厳しい冬が過ぎ、世間に春の兆しが見え始める三月。

 雪は降らなくなったものの、まだまだ路面には雪が残る山形で、バンドメンバーは相変わらずのスタジオに集まっていた。

 いつもと違うのは全員揃っているのに楽器を準備して練習を始める様子はなく、みな涼夏の周りに集まって、彼女のスマホを四方八方から覗き込んでいる。


「開くぞ」

「う……ああ、ちょっと待って!」

「もう開いたが」

「えっ!?」


 もだえる蓮美をよそに、涼夏はメールボックスに入った一通のメールを開封する。


 ――ニュージェネレーション・アワード。書類選考通過のお知らせ。


 本文のド頭に書いてあったその文面に、メンバー一同は大なり小なり沸き立った。


「よ、よかったぁ! そもそも書類も通らなかったらどうしようかと思ってたよ」

「はい……すごく、安心しました」

「満足するまでサンプルを録りなおしたのが良かったね。栗花落さんが、当日欠勤してくれた甲斐があったよ」

「ふふふ。私だって、それなりに本気で挑んでいるのだもの。一日くらいお店よりこっちのほうを大事にしたいわ」


 目に見えて喜ぶメンバーを尻目に、涼夏も今ばかりは安堵したように溜息をつく。


「お前ら、わかってると思うがこっからだからな。まずは春の二次審査。そして夏の本戦だ」

「二次審査って、具体的に何をするの?」

「まあ、それこそいわゆるオーディションだ。本戦は客を入れてのライブだが、二次は審査員の前でだけ演奏をする。軽い問答もあるらしい」

「面接……ですか!? それは、ちょっと、自信がない……かもです」

「ひとりひとりなわきゃねーだろ。バンド単位だよ。最悪、緋音は何も喋んなくていい。むしろ喋んな」

「そ、それなら安心です」


 クリスマスに多少の成長をしたとはいえ、怒られてるのに安心する緋音のこういうところは全く変わらないままだ。

 ひとしきり喜び終えたところで、涼夏は鞄から例の貯金箱を取り出す。

 バンド結成時には片手で軽々と持ち上げていたそれも、今では両手で持ち上げなければならないほどにずっしりと重みを帯びていた。


「これから先、ニュージェネ関連で何度か東京を往復することになる。オーディションのことを考えれば練習を潰してバイトを増やすわけにもいかんし、こいつを旅費のアテにする」

「今、いくらぐらい入ってるんだろうね? 缶に書いてある通り、ほんとに百万円溜まってたりして」

「大半が私の敬語罰金だと思うから、流石に百万はないかな……十万くらいはありそうだけど」

「十万あれば、五人の一回分の往復費用にはなるね」

「働いてる私は、自分の分は自分で払うわ。貯金……ああ、いえ、罰金は学生のみんなで使ってちょうだい」


 とりあえずは、二次審査で東京へ行くことが決まっている。

 そのあとは、審査に通れば本戦の説明会で一回。

 そして本戦で一回。

 晴れてフジロックに参加ができれば、その現地入りのためにさらに旅費を工面する必要がある。

 バックに事務所のいないインディーズのバンド活動は、常にカネとの闘いでもあるのだ。


「罰金って言うとあんまりいい気はしなかったけど……こうやって、みんなの役に立つなら良かったよ。うん」


 そう自分に言い聞かせて、蓮美は心の中でこれまで投入し続けてきた百円玉に別れを告げた。

 ニュージェネは自分が提案した企画でもあるので、それに使われるのなら本望だ。


「さて……そうと決まったら曲を作らなくっちゃね」


 話がまとまったところで栗花落がメンバーの浮ついた気持ちを落ち着けるように口にする。


「わざわざオーディション用に新曲を作るのか?」

「二次審査は『サロメ』を中心にした構成で良いと思うわ。あの曲が、今の私たちの到達点であることには変わらないから。でも、本戦はお客がいるわけだから、今の世の中、既存曲だけじゃ厳しいと思う」

「栗花落は、本戦までの道筋が見えてるんだな?」

「ええ。まあ。単純に、今から作り始めないと間に合わないというのもあるけど」

「え……でも、今までは一か月くらいで作ってたよね?」


 それが普通なのか早いのか、蓮美には判断ができなかったが、栗花落は柔らかな笑みで答える。


「これまでの曲は、ある程度私の中に決まった方向性があったから、それを形にするだけだったもの。でも、今度のはそうはいかない」

「どうして?」

「涼夏さんと蓮美さんで、曲を作ってみない?」

「は?」

「え?」


 両者とも寝耳に水で、ほとんど同じタイミングで疑問符が飛ぶ。


「もちろん、バンドで演奏するためのアレンジは私がするから。ただ、歌詞とメロディ……またはそのどっちかだけでも良いから、ふたりでやってみたらどうかなって」

「そ、それはどういう意図で?」


 予想外の提案に、蓮美は取り乱しがちに栗花落へと詰め寄った。


「ひとつは、このまま私がペナルティボックスの曲を作り続けても、どこまでも〝RAiNが作ったペナルティボックスの曲〟にしかならないということ。そういう企画のバンドならいいけど、ここはサマバケのカバーをしたり、向日葵さんの曲を演奏したり、良いものはなんでもやるって感じでしょう?」

「……それは理解した。で、もうひとつは?」


 まずは話を聞こう。

 そんな意図で涼夏は静かに尋ねる。

 それがどこか、物言わぬ抗議のようにも思えたが、栗花落は臆することなく続けた。


「バンドの始まりは、涼夏さんと蓮美さんだもの二人が作った曲でニュージェネに挑むのが、このバンドにとっての最善だと私は思うわ」


 まっすぐに語る彼女の言葉に、蓮美は胸の奥がどくんと高鳴った。

 ふたりで始めたバンド――確かにそうなのだ。

 涼夏が、自分の音を好きだと言ってくれて、最初は拒否したけれど結局はそれに応えた。

 だから、今のペナルティボックスが生まれたのだ。


「確かに、それはいいね」


 千春が、のんびりとした様子で肯定する。


「バンドが始まった最初の〝音〟を大事にするのは、なんかドラマがあるし、それで最高の曲を作ればオーディションでも審査員に響くかも」

「それは言いすぎかもだけど……」


 面と向かって言われると恥ずかしくなった蓮美だが、話を聞いた時に既に心は決まっていた。


「私はやってみたい……かな。ううん、やりたい。涼夏さんは……?」


 涼夏は相変わらず、考え込むように黙り込んだままだ。

 しかし、やがて観念したように大きく息を吐きだす。


「言っとくけど、あたしはマジで作曲のことは何も知らんぞ?」

「それは私も同じだよ!」

「何自信満々に言ってんだよ。自慢になんねーぞ」

「いや、だから、やったことない私がやってみるんだから一緒にがんばろ?」

「念を押されなくったってやるよ。確かに、必要なことかもな」

「うん?」


 涼夏が最後に付け加えた言葉の意味を蓮美は知る由もなかったが、ひとまず今後の方針は決まった。


 まずは既存曲を磨き上げ、二次審査に受かる。

 そして涼夏と蓮美が作る新曲で、本戦を勝ち残る。


 それがペナルティボックスが挑むフジロック新人オーディション、ニュージェネレーション・アワードの道筋だ。

 生半可で勝ち取れる勝利ではないことを理解したうえで、それでも彼女たちは、戦い続ける道を選んだのであった。

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