それから約二週間後。
年始休暇が明けて大学も始まる中で、蓮美は焦ってた。
フジロックの企画である新人オーディション「ニュージェネ」の応募締め切りが、一週間後に迫っているのに、未だに涼夏を説得する手が思いついていなかった。
(涼夏さん……ああ見えて実は理屈っぽい人だから、感情論じゃ絶対に動かない。参加することに意味を見つけないと。でも……)
この企画を「良い」と感じた時、蓮美は涼夏が全面的に味方してくれると思っていた。
勝てばメジャーへの道が大きく拓かれるオーディションだ。これまで大なり小なりの無茶をして、バンドを盛り立てようという涼夏だ。失うものがないオーディションというイベントに、否定的になるとは考えもしなかった。
(むしろ、あの時点で万策尽きたと言ってもいいんだもんね……涼夏さん、なんでニュージェネに限って。何か、嫌な思い出でもあるのかな……?)
例えば、サマバケ時代にコテンパンに負けたとか。
いや、涼夏なら負けたくらいで諦めるはずがないという、無意識の自信がある。
だからこそ、余計に分からないのだ。
(……こうなったら、考えるだけ無駄か)
もっともらしい理由を考える意味が無いような気がして、蓮美は体当たりでチャレンジする覚悟を決めた。
涼夏が自分をバンドに引き入れた際にそうしたように、首を縦に振るまで諦めない。それだけのことだと。
「あの、涼夏さん」
放課後、スタジオに集まるなり蓮美は涼夏へと詰め寄った。
「練習の前に、話があるんだけど――」
「おー、そうだあたしからも話がある」
「え? いや、でも、大事な話なので先にこっちから」
「あとで聞く」
ぴしゃりと言いきられて、すっかり出鼻をくじかれた蓮美は、むくれ面で涼夏の横顔を睨む。
そんなことお構いなしに、涼夏は集まったメンバー全員を見渡して言う。
「さっき、ニュージェネに申し込んできた」
「……は?」
「つっても仮応募で、来週までにサンプル送らにゃならんから、明日は栗花落んちで宅録な」
「ちょ、ちょ、ちょ、ちょ、ちょ」
突然のことで完全に後れを取った蓮美が、思い出したように迫る。
「え、応募したんですか? ニュージェネに? なんで?」
「なんでって、したかったんだろ?」
「それは、そうだけど」
「なんだよ。全然嬉しそうじゃねーな」
「こっちも、いろいろ覚悟決めて来たつもりだったのに……無駄になっちゃったというか」
あんなに反対していたのに一転して、突然自ら応募してきた彼女を前に、嬉しさや安堵感よりも、釈然としない気持ちのほうが強く出てしまう。
「なんか、条件とか付けたりしませんよね? 応募したんだから〇〇しろー! みたいな」
「当然だろ。応募したんだから死ぬ気で勝て」
「ええ、ふつー。ふつーすぎてつまんない」
「あたしのこと何だと思ってんだよ」
涼夏に呆れた顔を向けられるが、呆れたいのは蓮美の方である。
とはいえ唐突なのは他のメンバーにとっても同じことで、千春も緋音も、戸惑った様子で二人の顔色を伺う。
「あんなに反対してたのに、何かあった?」
「なんもねーよ。それに、現実的な話をしただけで、そこまで反対もしてねーと思うが」
「オーディション……勝てる……んですか?」
「負けるつもりで応募する馬鹿がどこにいるよ。それよか、既存曲の完成度少しでも上げるぞ。練習だ練習!」
逆ギレ気味にせっつかれて、メンバーが持ち場に散る。
ひとり、訳知り顔で微笑んで成り行きを見守っていた栗花落は、未だに虫の居所が悪そうな蓮美にそっと声をかける。
「精一杯頑張りましょ」
「栗花落さん、何かした?」
「宅録の話は相談されたけど、それ以外は何も。でもこれで、悩みはひとつ消えたでしょう?」
「そうだけど……なんかヤな感じ」
「ふふ、良い演奏をしましょうね」
納得しきれてない蓮美をなだめるように口添えて、栗花落も自分の持ち場へと戻った。
少なくとも彼女は、蓮美が最初にニュージェネの話を持ってきた時からずっと味方のつもりである。
いざオーディションに参加するとなれば、自分の役目は曲の完成度を高めて、メンバーに気持ちよくいい演奏をしてもらうことだ。
その点では、蓮美が今感じているフラストレーションも良いアクセントになるのではとも思ったが、彼女にはもっと、全霊の演奏をしてもらわなくては困る。
(迎える壁は、あなたにも、私にとっても、とてつもなく大きいわね)
珍しく高揚する胸の鼓動は、楽しみが半分、プレッシャーも半分。
久しぶりに受け止めたこの感覚を噛みしめるように、栗花落は艶のあるバイオリンの肌を、ゆっくりと撫でつけた。
――Triririririri!
その時、不意に誰かのスマホが鳴る。
最初はアラームでも作動したのかと思っていた面々だが、どうやら着信のようだ。誰も心当たりがなさそうな中で、涼夏がややうんざりした顔で上着のポケットをまさぐる。
「適当に音出しててくれ」
そう言い置いて、スタジオの外へと出た。
彼女は、後ろ手で防音扉が絞められたのを確認したのに加えて、わざわざ廊下の隅のほうへと移動してから、鳴りやまない着信に応える。
「悪い。スタジオにいた……知ってんだろ、中だと電波ブツブツなんだよ……ああ」
開口一番、愚痴るように吐き捨ててため息をひとつつく。
「ああ、つい今しがた話したよ……ああ? 自分たちのことだけだよ。そもそも、〝こっち〟は何も進んでねーだろうが……ああ、とにかく週末そっちに行く。あいつのスケジュールだけ押さえとけ」
要件だけ伝えると、受話口の向こうからの返事を待って、最後にひとつだけ付け加えた。
「あいつはあたしが説き伏せる。だから、今から勘を取り戻しとけよ――海月」