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第93話 心変わりは突然に

 それから約二週間後。

 年始休暇が明けて大学も始まる中で、蓮美は焦ってた。

 フジロックの企画である新人オーディション「ニュージェネ」の応募締め切りが、一週間後に迫っているのに、未だに涼夏を説得する手が思いついていなかった。


(涼夏さん……ああ見えて実は理屈っぽい人だから、感情論じゃ絶対に動かない。参加することに意味を見つけないと。でも……)


 この企画を「良い」と感じた時、蓮美は涼夏が全面的に味方してくれると思っていた。

 勝てばメジャーへの道が大きく拓かれるオーディションだ。これまで大なり小なりの無茶をして、バンドを盛り立てようという涼夏だ。失うものがないオーディションというイベントに、否定的になるとは考えもしなかった。


(むしろ、あの時点で万策尽きたと言ってもいいんだもんね……涼夏さん、なんでニュージェネに限って。何か、嫌な思い出でもあるのかな……?)



 例えば、サマバケ時代にコテンパンに負けたとか。

 いや、涼夏なら負けたくらいで諦めるはずがないという、無意識の自信がある。

 だからこそ、余計に分からないのだ。


(……こうなったら、考えるだけ無駄か)


 もっともらしい理由を考える意味が無いような気がして、蓮美は体当たりでチャレンジする覚悟を決めた。

 涼夏が自分をバンドに引き入れた際にそうしたように、首を縦に振るまで諦めない。それだけのことだと。


「あの、涼夏さん」


 放課後、スタジオに集まるなり蓮美は涼夏へと詰め寄った。


「練習の前に、話があるんだけど――」

「おー、そうだあたしからも話がある」

「え? いや、でも、大事な話なので先にこっちから」

「あとで聞く」


 ぴしゃりと言いきられて、すっかり出鼻をくじかれた蓮美は、むくれ面で涼夏の横顔を睨む。

 そんなことお構いなしに、涼夏は集まったメンバー全員を見渡して言う。


「さっき、ニュージェネに申し込んできた」

「……は?」

「つっても仮応募で、来週までにサンプル送らにゃならんから、明日は栗花落んちで宅録な」

「ちょ、ちょ、ちょ、ちょ、ちょ」


 突然のことで完全に後れを取った蓮美が、思い出したように迫る。


「え、応募したんですか? ニュージェネに? なんで?」

「なんでって、したかったんだろ?」

「それは、そうだけど」

「なんだよ。全然嬉しそうじゃねーな」

「こっちも、いろいろ覚悟決めて来たつもりだったのに……無駄になっちゃったというか」


 あんなに反対していたのに一転して、突然自ら応募してきた彼女を前に、嬉しさや安堵感よりも、釈然としない気持ちのほうが強く出てしまう。


「なんか、条件とか付けたりしませんよね? 応募したんだから〇〇しろー! みたいな」

「当然だろ。応募したんだから死ぬ気で勝て」

「ええ、ふつー。ふつーすぎてつまんない」

「あたしのこと何だと思ってんだよ」


 涼夏に呆れた顔を向けられるが、呆れたいのは蓮美の方である。

 とはいえ唐突なのは他のメンバーにとっても同じことで、千春も緋音も、戸惑った様子で二人の顔色を伺う。


「あんなに反対してたのに、何かあった?」

「なんもねーよ。それに、現実的な話をしただけで、そこまで反対もしてねーと思うが」

「オーディション……勝てる……んですか?」

「負けるつもりで応募する馬鹿がどこにいるよ。それよか、既存曲の完成度少しでも上げるぞ。練習だ練習!」


 逆ギレ気味にせっつかれて、メンバーが持ち場に散る。

 ひとり、訳知り顔で微笑んで成り行きを見守っていた栗花落は、未だに虫の居所が悪そうな蓮美にそっと声をかける。


「精一杯頑張りましょ」

「栗花落さん、何かした?」

「宅録の話は相談されたけど、それ以外は何も。でもこれで、悩みはひとつ消えたでしょう?」

「そうだけど……なんかヤな感じ」

「ふふ、良い演奏をしましょうね」


 納得しきれてない蓮美をなだめるように口添えて、栗花落も自分の持ち場へと戻った。

 少なくとも彼女は、蓮美が最初にニュージェネの話を持ってきた時からずっと味方のつもりである。

 いざオーディションに参加するとなれば、自分の役目は曲の完成度を高めて、メンバーに気持ちよくいい演奏をしてもらうことだ。

 その点では、蓮美が今感じているフラストレーションも良いアクセントになるのではとも思ったが、彼女にはもっと、全霊の演奏をしてもらわなくては困る。


(迎える壁は、あなたにも、私にとっても、とてつもなく大きいわね)


 珍しく高揚する胸の鼓動は、楽しみが半分、プレッシャーも半分。

 久しぶりに受け止めたこの感覚を噛みしめるように、栗花落は艶のあるバイオリンの肌を、ゆっくりと撫でつけた。


 ――Triririririri!


 その時、不意に誰かのスマホが鳴る。

 最初はアラームでも作動したのかと思っていた面々だが、どうやら着信のようだ。誰も心当たりがなさそうな中で、涼夏がややうんざりした顔で上着のポケットをまさぐる。


「適当に音出しててくれ」


 そう言い置いて、スタジオの外へと出た。

 彼女は、後ろ手で防音扉が絞められたのを確認したのに加えて、わざわざ廊下の隅のほうへと移動してから、鳴りやまない着信に応える。


「悪い。スタジオにいた……知ってんだろ、中だと電波ブツブツなんだよ……ああ」


 開口一番、愚痴るように吐き捨ててため息をひとつつく。


「ああ、つい今しがた話したよ……ああ? 自分たちのことだけだよ。そもそも、〝こっち〟は何も進んでねーだろうが……ああ、とにかく週末そっちに行く。あいつのスケジュールだけ押さえとけ」


 要件だけ伝えると、受話口の向こうからの返事を待って、最後にひとつだけ付け加えた。


「あいつはあたしが説き伏せる。だから、今から勘を取り戻しとけよ――海月」

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