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第102話 サマーバケーション⑤

「――できた」


 それから二週間ほどが経って、改めて作り直した新曲のプロトタイプが完成した。

 一週間で三本もあげた前回と違い、今回は一本だけ。

 しかし、今までと違う曲作り――ギター&ボーカルを中心にした曲作り――という新しい知見をもとに、アイディアだけは無限に湧きあがって来た中での「ベスト」の一本だった。

 これまでのどの曲とも違った、「これだ」という手ごたえがあった。

 同時に「ああ、サマーバケーションってこういうバンドだったんだ」っていう、ひとつの真理に至ったような気分でもあった。


『素晴らしいですね。一度のフィードバックで、この完成度に至るとは』

「ありがとうございます!」


 露木さんの感触も良好で、サマバケのデビュー曲は文句なしでこれに決まった。

 アタシはさっそく編曲を施して、他のふたりにデモテープを送り付ける。


「おー、いいんじゃない!?」


 海月がほとんど二つ返事で喜んでくれた中、アイツだけは渋い顔でかすかに首をかしげる。


「これ、お前が書いたのか?」

「そう……よ。今までと同じ。全部アタシが書いた」


 ただ、いつもと作り方は違う。

 その微妙な違いを指摘された気がして、思わずドキリとする。


「今までで、一番良いものができたと思うんだけど」


 それだけは胸を張って言える。

 露木さんに褒めて貰ったからじゃなく、どうして今までこういう書き方をしてこなかったんだろうって自分で関心してしまうくらいに、今回の曲はすごく「しっくり」きていた。


「だったら良いんだけどよ」


 アイツはそれだけを口にして、それ以上何も言わなかった。


 少しだけ引っかかりを覚えつつも、出来上がった新曲でデビューの準備がキューピッチで進む。

 練習はもちろんのこと、時折東京に出向いては宣材写真の撮影や、各種の挨拶周り、打ち合わせ、そしてレコ―ディングと。高校二年の夏休みは、ほとんどこれで終わったようなものだ。

 お祭りも、海も、音楽フェスも、女子高生らしいことは何もない。

 ただひたすらに自分たちの音楽と向き合って。

 サマバケだけがアタシの青春だった。


 そうして――アタシたちはデビューを果たした。


 大手プロダクションに比べたら規模の小さいキャンペーンだったけれど〝SNSでバズった現役女子高生バンド〟という触れ込みは、業界ではそれなりに強いフックとなってアタシたちを引っ張った。

 リリースイベントに加え、デビュー直後は事務所が用意してくれたライブにも積極的に参加した。ほとんどが前座みたいな立ち位置だったけど、久しぶりにステージで思いっきり演奏できるのは、とても気持ちがよかった。

 ただ――


「涼夏、今日ちょっと走ってなかった?」

「あ? 譜面通りやってるよ?」

「そう? なんか、微妙にしっくりこなかったんだけど」


 デビューからしばらく、そういう会話が増えたような気がする。

 いや、別に曲が破堤してるわけじゃない……んだけど、なんかこう、カチッと嵌らない。


「リリース用に録音したヤツはバッチリだったんだけど」

「そりゃ、ミックスしてるだろうからな。生演奏だと勝手も変わるだろ。ライブは生き物で、バンドはステージの上で完成する、だろ」

「それもそっか」


 アタシが好きなバンドだって、CD版とライブじゃ全然雰囲気が違うってことはよくある。

 言われてみれば「そうかも」と納得はしたものの、よしんばリリース版がバッチリだったがために、ライブでの演奏が比較して見劣りしてしまってるように感じられるのはいかがなものか。


「確かに、デビューに向けて収録に特化させすぎたのはあったかも。また月末も一本、本番あるし。それまで合奏中心でカンを取り戻しましょ」

「おう」


 去年はあんなに立ってたステージから、半年も足が遠のいていた。

 早い話が、リハビリが必要なのかもしれない。

 この時はそう思って、とにかく場数を取り返せばもとに戻るだろうって、そう思っていた。


(……やっぱり、なんか違う)


 次のライブも、その次のライブも、相変わらず微妙にしっくりこない。

 曲として聴けるものには仕上がっているけど、やりきったって気持ちよさがない。

 それが新曲だけならいい。

 極めつけは、旧曲もそうだってことだ。

 デビューしたてのアタシたちには持ち弾となる曲が少ないので、2~3曲演奏しなければならないステージでは当然旧曲も披露することになる。


 以前はバッチリだったインディーズ時代の曲すらも「何かが違う」に悩まされた。

 原因は何かと言われたら、アタシからしたら「涼夏が合わない」の一点だけだった。


「アンタさ……今の曲作りの方針、何か言いたいことあるんじゃないの?」


 考えてもらちがあかないので、直接問いただすことにした。

 アイツは大あくびをこさえながら、何でもないように答える。


「別に何もねーよ」

「嘘。だったらあんなステージおかしいもの」

「あたしは何も変わっちゃいねーよ。貰った譜面を、あたしが気持ちよくなるように弾いてるだけだ」

「だったらなんで微妙に合わないのよ」

「なら、てめーのが変わったんだろ」

「な……」


 いや、涼夏の言う通りだ。

 メジャーデビューという壁を越えて、アタシの考え方も、価値観も、曲作りも大きく変わった。

 だけどこれは、何かを我慢をしてるわけじゃない。

 今のアタシは、間違いなくインディーズ時代のアタシよりも良いものが書けている。


「いや……そうね、アタシは変わった。自分でも思う。アタシはね、成長したの」


 自信を持ってそう答えた。


「インディーズ時代のままじゃいられない。メジャーなのよ。成長しなくっちゃ。アンタも」

「我慢して大人になれってか?」

「違う。現に、アタシは何も我慢してないし、書きたいものが書けてる。昔のアタシが、今のサマバケの曲を聴いたら、きっとびっくりするようなものが」

「今のが悪いわけじゃねー。ただあたしは、前の曲の方が好きだったよ」

「……っ!?」


 チクリ、じゃない。

 トゲ付きの手袋で心臓をギュッと掴まれたような痛みと息苦しさ。

 同時に、自分の「良いもの」を否定された憤りと、一抹の寂しさ。


 そういうことを言うなら、分かった。

 アタシの新しい音楽が前よりも良いものだって、思わせてやる。

 この音で屈服させる。

 それが、アイツも好きだった〝向日葵の音楽〟なのだから。


 でも、そううまくはいかなかった。

 アイツは頑固――というより、こと音楽に対しては誰よりもとことん素直なのだ。

 好きなものは好き。

 嫌いなものは嫌い。

 感じたままを、感じたように表現するだけ。


 だからこそ結果だけがすべてだ。

 頑張ってる姿を見せることでアイツの心には響かない。

 アイツの考えを根っこからまるっと変えてしまうくらいのより強い衝撃を、ガツンと、食らわしてやるしかない。

 それが、どれほどアタシの心をすり減らすことだとしても。


 そうして――根気比べは、アタシの負けだった。


「ベースが前に出るんじゃないわよ!」


 焦りと、憤りと、許容量限界の心と。

 思い通りにならない感情のうねりは、ついに言葉になって吐き出された。


「あたしはいつも通り弾いてるだけだし。それに負けるお前の実力不足なんじゃねぇの?」


 そう、アイツは変わらない。

 何ひとつ。

 軽音部のスタジオから飛び出してきたあの日、あの瞬間から。

 アイツは一切合切ブレることなく〝根無涼夏〟のままなのだ。


 御しきれると思うほうが間違いだった。

 同時に、アイツなら何もかも分かってくれて、一緒に変わってくれるんだって思うことも。


 ――サマーバケーションは今日限りで解散します!


 そうして、アタシが下した決断はそれだった。

 アタシのためにも。

 アイツのためにも。

 もう〝サマバケ〟は終わりにしたほうが良い。


 かみ合わない音楽を続けていくのは限界だ。

 一方で、どちらかが変わってまで続けていくのも無理がある。

 アイツはアイツの音楽を貫いて。

 アタシもアタシの音楽を見つけてしまったから。


 だから終わらせた。高校三年の夏のフェス。

 約二年間の、アタシの青春――




「だからさ。正直、アンタのことが憎たらしいほど羨ましい」

「え?」


 高校時代の思い出を語る向日葵の瞳が、まっすぐに蓮美のそれを捉える。


「アタシが変えられなかったものを、アンタが変えたから」

「えぇ……涼夏さん、何も変わってないと思うけど」

「いいや、変わったわよ。全然別人」

「そう、かなぁ……?」


 蓮美の目には、涼夏は出会った時の涼夏のままだ。

 いや、まあ、竜岩祭の後から少し丸くなったというか、喧嘩っ気がなくなったような気はしていたけれど。

 それは、いい意味での成長というか――大人になったんだなと思っていた。


 だけど、向日葵だからこそ見える変化がある。

 高校時代を共にし、今は離れたからこそ。

 サマーバケーションではない――向日葵と共にいない時間を過ごした涼夏が、今そこにいる。


(アタシが食らわせされなかったものを、この子は食らわした。アイツを根っこからまるっと変えてしまうくらいのものを……ガツンと)


 悔しさで唇をきゅっと噛みしめる。

 けれど、おかげでディアロスが結成できたのなら、同じくらいの感謝もある。

 だからこそ、向日葵は真っ向から勝ちたかった。

 〝向日葵が目指した真のサマーバケーション〟で〝涼夏を変えたペナルティボックス〟に。


「でも……ありがとうございます」

「うん?」


 突然の感謝の言葉に、向日葵はあっけに取られて首をかしげる。


「どうしたらいいのか分からなくって、霧の中を進むような感じだったのに、ちょっとだけ道しるべっていうか……やりたいことが見えたようなことが気がしたから」

「なんの話?」


 向日葵にはサッパリ分からない。

 でも、蓮美はひとつの確証――というよりも希望を持って、彼女のことを見つめ返す。


「あの、お願いがあります」

「これ以上よ」

「私に、作曲のこと教えてください。ほんのちょっと、さわりだけでいいので」


 バンドの今後や、アメリカのこと、そして涼夏の決断。

 蓮美が今、モヤモヤして考えなければいけないことは山ほどある。

 だけどその前に、やらなければならないことがあった。


 きっとその先に、モヤモヤの答えが見つかると――確信を持って。

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