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第103話 開戦の封書

 涼夏が向日葵のもとを訪れたのは、山形ではまだまだ雪がちらつく一月半ばのことだった。

 場をセッティングしたのは言うまでもなく海月だ。

 海月も向日葵も今は東京に住んでいるので、涼夏が上京しての顔合わせとなった。


 東北と違い、東京は一月だろうと雪が積もることはなく、街は整然としている。

 それでもどんよりとした曇り空と、張り詰めた冬の空気が、地続きの同じ世界であることを痛感させる。


「三人で会おうなんて、どういう風の吹き回し? まさか、サマバケ復活させようなんて言うんじゃないでしょうね?」

「その通りだ」

「は?」


 昼下がりのカフェに、ピリッとした空気が流れる。


「つっても、サマバケはもう終わったバンドだ。名前は変える。全く新規のバンドとして、ニュージェネに出場する」

「ま、ま、まって。何言ってるのか全然わかんないんだけど。なに? 海月の差し金?」

「んーん、むしろりょーちゃんの提案」


 海月は、のほほんとした顔でキャラメルマキアートを飲んでは笑みを浮かべる。

 テーブルに半身乗り出していた向日葵は、一度席に腰を落ち着けてから、涼夏に話を促した。


「とりあえず話は聞くわ。何のためにそんなことをするのかも含めて」

「ニュージェネにはペナルティボックスも出場する。もしもペナルティボックスが選考に落ちたら、バンドは解散する」

「それで?」

「勝った時は、ウチの蓮美をアメリカに遣る。オファーが来てんだよ。あっちのイベンターから」

「そりゃまた、すごいことで」


 あっけらかんとして答えた向日葵だったが、一息つくように溜息を挟んでから、まっすぐに涼夏へと向き直る。


「つまり、再結成のサマバケをペナルティボックスの試金石にするってこと? ナメてんの?」

「大マジだ」

「もし、ペナルティボックスが選考に落ちて、アタシたちが受かったら、そん時はどうすんのよ」

「ペナボは解散してんだ。新生サマバケで、あたしはバンドを続ける」

「馬鹿言わないでよ。アタシにはイクイノクスがあるんだから」

「バンドかけ持ってるプロなんて珍しくないだろ」

「そうじゃなくって。今のアタシは、イクイノクスの向日葵なの。ダリアたちを裏切れない」

「頼む」


 涼夏が、テーブルに両手をついて、深く頭を下げた。

 流石の向日葵も面食らって、涼夏のつむじを見つめたまま固まってしまう。


「み……つきは、それでいいの?」

「海月は、りょーちゃんとひまちゃんとまたバンド組めるなら、理由はなんだっていいかなー」

「またそんな適当な」

「海月はただ、やりたいことに正直なだけだよ。それに、ちょっとは後悔してたんだ」


 グラスをゴトンとコースターの上に置いて、海月は少しだけ照れっぽく笑った。


「解散しようってなったとき、もうちょっと強く引き止めればよかったって。無理やりにでも話し合う場所を作ってたら、海月たちの今も違ったのかなって」

「それは――」


 いろんなことの積み重ねとはいえ、最後は勢いで決めた解散であることは間違いない。

 だけど、向日葵だってあの時はそれが一番良いと思ったのだ。

 やりようはあったかもしれないと思う一方で、振り返るほどの後悔はしていない。


「……だったら、条件がある」


 考え込んだのちに、向日葵が絞り出すように言った。


「新生サマーバケーションは、アタシの好きなようにやらせて。もちろん、提案してくれるのはいいけど、最終的に決めるのはアタシ。涼夏は――アンタは、アタシの決めたことに服従するの。音の魅せ方ひとつに至るまで」


 探りを入れるような、深く響く声だった。

 それは向日葵なりの交渉カードである一方で、断る口実でもあった。

 今さらサマバケを復活なんてできない。

 イクイノクスは今良い調子で、自分の居場所はあそこにある。

 だけどサマバケが理想の形で復活できるとうのなら――期待してしまう。

 終わり切れなかった青春の延長にある、輝かしいステージの夢を。


「分かった」


 涼夏は、ほとんど考える間もなく二つ返事で答えた。

 悔し交じりの言葉じゃなく、すべてを受け入れ、覚悟を決めた、まっすぐ透き通った瞳で。

 思わずぐっと奥歯を噛みしめた向日葵だったが、感情の箍を止めることはできなかった。


「なんでっ……あの頃にそう言えなかったのよっ!」


 声を荒げる彼女に、涼夏は謝るでも、言い訳をするでもなく、ただ無言でじっと返事を待つように見つめ続けた。

 向日葵は、乱れた呼吸を整えながら、握りしめた拳を優しく解いた。


「いいわ。やってやる。バンド名も決めた」

「なんだよ」

「〝ディアロストサマー〟。サマバケを過去にして、アタシたちの本当のロックをするのよ」


 涼夏も、海月も、文句をつけることなく頷く。

 向日葵の決定は絶対だから。

 あの時、望まれていた〝サマーバケーション〟のあるべき姿を、今に蘇らせるのだ。




「――考えは分かった。涼夏さんなりに、蓮美ちゃんのことを考えてるんだってことも」


 ニュージェネの二次審査が終わってしばらく。

 蓮美と向日葵が席を立った後のファミレスでひとしきりの事情を説明すると、千春は納得した様子で頷いた。

 しかし、その表情には涼夏を非難するような怒気が、静かに滾っていた。


「けど、最後に決めるのは蓮美ちゃんだと思うから。私は、蓮美ちゃんの決定を全力で応援する。彼女がアメリカへ行かず、ペナルティボックスを続けていきたいって言うのであれば、私は涼夏さんの敵になる」

「敵とはまた、大きく出たな」

「相変わらず強引すぎるんですよ。蓮美ちゃんの気持ちを考えたことあります?」

「無ぇ」


 涼夏は堂々と答えた。


「だけど選ぶよ、あいつは。アメリカを」

「私は……そうは思わない。だから、蓮美ちゃんが嫌だと言うなら、全力で抗います」


 ふたりの意見は、どこまでも平行線だった。


「……わたしも、千春さんに賛成、です」

「緋音さん?」

「ペナルティボックスを解散なんて嫌だし……解散しなくったって、蓮美さんが欠けるのも嫌、です。みんなが居たから、わたしはここまでやってこれたから……この先も、みんな一緒がいい、です」


 勇気を振り絞りながら、震える声で緋音は言う。

 何も言わなくなるまで口を挟まずにじっと聞いていた涼夏は、どこか試すように栗花落を見る。


「栗花落も、こいつらと同じ考えか?」

「最後に決めるのは蓮美ちゃん、というのはその通りだと思う。だから敵でも味方でもないつもりだけど……私も彼女はアメリカに行くべきだと思う」

「ま、てめーはそうだろうな」

「うーん、バンド分裂。すべては蓮美ちゃん次第だねぇ」


 海月が、いつの間にか頼んでいたチョコサンデーを頬張りながら他人事のように――事実、他人事なのだが――呟いた。

 彼女にとっては、もういちどサマバケをやると言う目的は達成して、次に望むのはディアロスをどれだけ続けていけるのかという点だ。

 その点で言えば、ペナルティボックスが内部分裂してくれることは好都合でしかない。


「でも、喧嘩別れだけはやめときなね~。いろいろ、後悔が残るからさ」


 それがバンドの先輩から言える唯一の助言として、海月はそれ以上、ペナルティボックスの内情に首を突っ込むのをやめた。




 しかして、約一か月後。

 涼夏のもとに、二通のメールと封書が届いた。

 ともに内容は同じ。


 ――ニュージェネレーション・アワード、本戦開催についてのご案内。


 宛先だけが〝ペナルティボックス〟と〝ディアロストサマー〟で違う招待状は、二つのバンドの決戦の場が整ったことも意味していた。


 これは闘いだ。

 竜岩祭の時よりももっと明白な、どちらのバンドが優れているかということの決着。

 涼夏にとっては〝過去の自分サマーバケーション〟と〝今の自分ペナルティボックス〟どちらのロックが本物かということへの答えが示されるのだ。


 決戦は、二ヶ月後――

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