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第104話 オルガン坂の火花

 東京は渋谷。

 まだ陽が高いうちのオルガン坂のライブハウスに、重低音のサウンドが響き渡る。

 客のいないホールで従業員が開店準備で忙しなく駆け回っている中で、熱い演奏を繰り広げるステージの様子はなんともミスマッチだ。


「海月、サビの前もうちょっと丁寧に叩いて。なんとなくそれっぽく聞こえてるけど、ここは粒を大事にしたいから」

「おっけー、頑張る!」


 海月が勇んで力こぶを作ってみせると、向日葵も満足げに頷いて客席の方へ振り返る。

 すると、ホールの真ん中で店主のアキオがひとり拍手を送っていた。


「いいな。ブランクがあってもサマバケ健在って感じだ」

「ブランクと言っても、それぞれ活動はやってましたから」

「それでもだよ。バンドとしてのまとまりってのは、一朝一夕で取り戻せるもんじゃないだろ」

「あ……ところで、もしかしてそろそろ時間ですか? 時計見てなかった」


 向日葵が慌てた様子で鞄の中からスマホを引っ張り出す。


「いや、もうしばらくは好きにしててもらって構わんよ。こっちも適当にユーセン流すより生バンドBGMのが作業が捗るわ」


 苦笑するアキオに、他のスタッフも「確かに」と頷き返す。


「それじゃ、お言葉に甘えて。涼夏、サビもうちょっとだけ抑えてみてくれる? バランス見てみたいから」

「おう」


 向日葵の言葉に二つ返事で、涼夏は足元を固めるように踏みしめながらベースを構えた。


 サマバケの再結成であるディアロストサマーの主な活動場所は、ここ、アキオのライブハウスだった。

 知人のよしみで週末の開店前の時間を使わせてもらい、通しでセッションをさせて貰っていた。

 涼夏は、毎週末に夜行バスで東京に来ては、練習をして、その日の夜の夜行で山形に帰るような生活を送っている。

 そうして平日は、いつものスタジオでペナルティボックスの練習。

 一週間、毎日が音楽漬けの生活だ。

 大変かどうかで言われれば、もちろん大変だったが、苦には思っていない。

 これが、ここ数か月の涼夏にとっての「当たり前」の生活であるというだけだ。


「そういえば露木さんから連絡があって、曲のアレンジ、少し変えるかも」

「は、あの人ノータッチだろ今回は」

「会社としてはね。でもディアロスがニュージェネでトップに輝いたら、改めて企画を推してもらう約束だから。個人的にいろいろバックアップしてくれてんの」

「あの人も暇だな。イクイノクスも見てるんだろ?」

「そのくらい目をかけてくれてるのよ。今回こそ、期待に応えなきゃ」


 そう語る向日葵の瞳には、使命感よりも闘志の方が強く燃え上がっている。

 来るニュージェネ本戦にて、目論見通りにペナルティボックスとの対決が決まった。

 もちろん他のバンドにトップを掻っ攫われることもあるだろうが、ここまで上り詰めた以上、結果は「どちらかが勝つか」「両方落ちるか」の二択だ。

 両方落ちるのであれば、自分たちの今の実力はその程度だと納得もできる。

 しかし、どちらかが勝つのであれば――ディアロスこそが勝者になるのだという強い意志で、彼女はこのオーディションに臨んでいる。


「あ、すいません。まだ開店してなくって――あれ?」


 不意に入り口の方が騒がしくなって、一同の視線がそちらに向く。

 防音扉から入って来た影を見て、向日葵が眉をひそめた。


「ダリア……に菜々も」

「向日葵さんどうも」

「こんにちわー」


 ちんまりとした影とでかい影。

 シルエットだけでも特徴的なふたりが、方や不機嫌そうに、方やのほほんとした笑顔でホールへと歩み出る。


「今日はフリーのはずだけど、どうしたのよ」

「ちょっと話があって――」

「見学だよー! どうぞ続けてくださいな」


 ダリアが何か言いかけたのを遮って、菜々のよく張った声が響いた。

 口を挟まれて恨めしそうに菜々を見上げるダリアだったが、やがてしぶしぶ納得した様子で邪魔にならない壁際にしゃがみこんだ。


「あ、もしかしなくてもひまちゃんの今のバンド仲間だよね? こんにちわー!」

「こんにちわー。菜々ですー。よろしくお願いしますー」

「よろしくねー」

「のんきに挨拶してないで続けるわよ。練習時間限られてるんだから」


 ドラマー同士ののほほんゾーンが発動しかけたのを、向日葵がぴしゃりとぶった切る。

 その日は、イクイノクスメンバーに見守られながら残りの練習時間をやり終えた。

 菜々がパチパチと笑顔で賛辞を贈る。


「やー。流石だねー。プロの演奏だねー」

「ダリアたちも今はプロだっつーの。自覚持ってよ」

「そうだったねー。頑張んなきゃだねー」

「それで、何しに来たのよ? まさか本当に見学ってわけじゃないでしょう?」


 向日葵の問いは、ふたりにというよりもダリア個人に向けて投げかけられていた。

 ダリアは幾分バツが悪そうにもごついていたものの、やがて意を決したように涼夏を睨みつける。


「根無涼夏! ダリアと勝負しろ!」

「は? 嫌だけど」

「い、嫌!? なんで!?」

「なんでって理由がねーし」

「理由なら……ある!」


 ダリアは、肩を怒らせてステージに登って涼夏の目と鼻の先まで食って掛かる。


「お前がサマバケの再結成なんてするから、向日葵さんはイクイノクスに顔を出せる時間が減ってるんだ! デビュー一年目の一番大事な時期なのに!」

「ダリア、それは申し訳ないと思ってるし、ちゃんと謝ったでしょ? それにイクイノクスの曲も練習も、時間は減ったかもしれないけどトータルの質を落としたつもりはないわ」

「それは、向日葵さんは〝できちゃう〟から言えるんすよ。代わりに寝る間も、ちょっとした休憩時間すらも惜しんで――こいつが向日葵さんに負担を強いてるのに変わりはないんす!」

「アタシがやりたくてやってることだから、ダリアが気にする必要ないわよ」

「気にするっすよ。同じバンドの仲間なのに……もし倒れられたりでもしたら」

「こいつはそのくらいじゃ倒れねーよ。まあ、負担を強いてるっつーのはその通りだろうけど」


 涼夏が半ば同意するように頷くので、ダリアも鬼の首を取ったように勇む。


「だから勝負でダリアが勝ったら、サマバケの復活なんて諦めて、向日葵さんをイクイノクスに返して貰う!」

「嫌だつったろ」

「なんでだよ!?」


 食って掛かる彼女に、涼夏は冷めた口調で答えた。


「向日葵がやるっつってるなら外野の意見は何一つ聞く必要はねーだろ。じゃあ『勝負であたしが勝ったらイクイノクスを解散しろ』つったらできるのか?」

「それは……」

「そもそも、アタシがそんな条件飲まないけど。なんでアタシの行く末を誰かに委ねなきゃならないのよ」

「だろ? 何の交換条件にもならなきゃ、勝負する理由がない」

「う……うぅぅ」


 ダリアは、何も言い返せないまま俯きがちに唇をかみしめる。

 やがて、悔しそうなうめき声がしゃっくりのような嗚咽に変わるころ、彼女の瞳からは大粒の涙がぼろぼろとあふれ出してた。


「うぅぅぅ……うあぁぁぁぁぁぁ!」

「泣くなよなぁ、勝負受けないくらいでよ」

「そうじゃないぃ! そうじゃなくてぇ……!」


 両手で目元をしきりに拭うが、涙が止まることはない。

 駆け寄った菜々がよしよしと背中をさすって、自然と収まるまで、涼夏も向日葵も何も言わず見守ることしかできなかった。

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