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第105話 譲れない音

 泣き出したダリアを放っておくわけにもいかず、一同は店のバーカウンターに移動して横並びに腰掛けた。

 彼女を間に挟んであやす菜々と向日葵の隣に、涼夏と海月が続く。


「悪いわね、ダリアのせいで」

「いや、一応アキオさんから借りてる時間は過ぎてたしな」


 涼夏たちが去ったステージでは、夕方からのライブに向けた音響のセッティングが始まっている。

 サマーバケーションのころには何度立ったか分からない舞台も、立場が変わればふたりにとって新鮮に思えた。


「ダリアね、こう見えてもともとはアンタのファンだったのよ」

「あ?」

「ちょ……向日葵さん、それは!」


 ダリアがえずきながら戸惑ったような視線を向日葵へ向ける。


「根無涼夏に憧れてベースを始めたのに、当の本人はバンドの仲違いで引退してしまった。それにショックを受けたみたいで。ま、ほんとに引退したわけじゃなかったけど、地方都市の活動なんて東京には入ってこないわよね」

「まあ、成功してたとはお世辞にも言えねぇ内容だったしな」

「じゃあ、ダリアちゃんは好きが転じてアンチになったんだ!」

「そ、そういう簡単な話じゃなくて……」


 海月の元も子もない指摘に、ダリアはすっかりタジタジになって俯く。


「私は……ダリアは……人付き合い得意じゃなくて、家にも学校にも居場所がなくって。そんなときに出会ったのがサマーバケーションの曲だった。青春という特別な時間を歌ってるようで、その実、特別じゃない今を必死に生きてるって感じが、あの時のダリアにすごく響いて」

「それでダリアちゃん楽器始めたんだ? でもそしたらなんでギターでもボーカルでもなくベース?」

「ダリアは……人生の主人公じゃないって思ってたから。向日葵さんみたいに、キラキラ輝いてる主人公を支える人になりたかった。と言うより――」


 ダリアの恨めしそうな視線が涼夏に向く。


「あの時は! そんな向日葵さんの隣で堂々と演奏する根無涼夏がカッコイイって思っちゃったから! ダリアもそういう人になりたいって……うう、一生の不覚ぅぅぅ!」


 彼女は、頭を抱えながら身悶えする。


「別にこいつのこと支えてるなんて思っちゃいねーよ。あたしはあたしで自分の気持ちのいい演奏をやってただけだ」

「まあ、支えられてる実感は皆無だったわね」

「その対等感がいいなって、当時は思ったんだ! ダリアには、そういう相手いなかったから」


 気持ちを抑え込むように、ダリアはペットボトルの水を一気に煽る。


「解散したあと、向日葵さんが東京に拠点を移して個人で活動してたのは知ってた。それで新しいバンドを組もうとしてるってのも。だから、チャンスだと思って名乗りを上げたんだ」

「アタシはその思い切りの良さを買ったつもり。もちろん技術もあったし。結果として、アタシの目に狂いはなかった」

「サマバケの解散はショックだった。でも、向日葵さんが諦めてないなら、今度はダリアが支えたいって。あの音楽をダリアが守りたいって。それがダリアにとってのイクイノクスだから」


 彼女はもう一度、今度はまっすぐに曇りのない眼で涼夏を見る。


「だから、イクイノクスを否定して邪魔をするなら、根無涼夏だろうと絶対に許さない」


 その瞳に映るのは、とっくに憧れを越えた自覚と覚悟だ。

 自分がイクイノクスのベースであり、向日葵を支える相棒なのだという自負。

 むしろ、それが今のダリアを形成する唯一絶対の要素と言っても過言ではない。


 涼夏は、彼女の意志をまっすぐに受け止めたうえで、正面から突っぱねた。


「それを決めるのはあたしじゃねぇよ」

「お前が始めたことだろ!」

「バンドはステージの上で完成する」


 ひとつも言葉を濁すことなく、涼夏はピシャリと言い放つ。


「賞賛するかどうか、価値があるかどうかを決めるのは観客だ」


 何も言い返すことができずに、ダリアは押し黙った。

 言葉の代わりに、再びひとすじの涙がこぼれる。

 それは、静かな敗北宣言だった。

 サマバケを知り、向日葵を崇拝し、一度は涼夏に憧れた彼女だからこそ、観客がディアロストサマーを賞賛しないことなんてあり得ないと、頭の中でわざわざ考えなくったって心が理解していた。


 だが、もう一度あふれかけた嗚咽を、今度はぐっと堪える。

 代わりに、自分を納得させるように言葉を振り絞った。


「どっちかが勝つように、わざと手を抜いたりしねーだろーな」

「当然だ。んなもん、あたしのロックじゃない」

「だったら……ダリアはもう何も言わない」

「よく頑張ったねぇ」

「なーでーるーなー!」


 よしよしする菜々の手を、ダリアは癇癪を起しながら振り払う。

 イクイノクスの面々にとっては見慣れた光景であり、コトが片付いた兆しでもあった。


「そういえば、ペナルティボックスの新曲はどうなってんのよ?」


 空気を入れ替えるように尋ねた向日葵に、涼夏は眉をひそめる。


「あ? なんでテメーがそんなこと気にするよ」

「なんでって、対戦相手の動向は気になるでしょ、フツー」


 本当は、蓮美に作曲のアドバイスを求められたからという理由が一番だったが、流石にその件はここでは隠す。


「さあな。いくつか蓮美にプロトタイプみたいなのは見せられたけど、まだぱっとしねー感じだ」

「そう。まあ、バックにRAiNもついてるし侮ってるわけじゃないけども」


 そう前置いて、向日葵は悪戯な笑みで涼夏の顔を覗き見る。


「アンタは、ああいう曲が好きなの?」

「そういうんじゃねーよ。あたしは――」


 言いかけて、涼夏が言葉を飲む。

 不思議そうに見つめる向日葵の視線を躱して、彼女は虚空を見つめた。


「あれが、ペナルティボックス流ってだけだ」

「じゃあ、アンタにとってのサマバケ……ううん、ディアロス流は?」

「テメーの歌と曲を最大限に盛り上げることだよ」

「分かってるならよろしい」


 向日葵は納得して見せたように頷く。

 しかし、心の奥底では純然たる対抗心と、心ばかりの焦燥感が渦巻いている。


(やってることは、いつか山形のスタジオでやったことの焼き直し。だけど、今回は趣旨が違う)


 思い出すのは、およそ一年前の出来事だ。

 あの時は、向日葵がペナルティボックスに曲を書くか、涼夏がイクイノクスに加入するかを賭けて、蓮美と向日葵で勝負をした。

 結果は、向日葵が勝負を辞退するような形でペナルティボックスの勝利となった。


(あの時は、純粋にアタシとあの子との腕の勝負。だけど今回は言わば、どちらのバンドが〝根無涼夏という才能〟をより輝かせられるのかという勝負)


 だからこそ負けるわけにはいかなかった。

 この戦いに勝つことは、そのまま自分が信じて来た音楽が正しかったことへの証明となるのだ。


ロックアイツギターアタシは必要なくても、サマーバケーションはアイツとアタシと海月のバンドなんだ)


 ディアロストサマーを「踏み台のようなこと」と蓮美は言った。

 しかし、向日葵からしてみたら、ハナから勝ちを確信したような――サマバケを〝過ぎ去った栄光〟と位置付けた蓮美の無意識の自信と傲慢の言葉でしかない。


 向日葵からすれば、ペナルティボックスこそがディアロストサマーにとっての踏み台なのだ。

 外の世界を知った涼夏が、改めてサマーバケーションの価値を認識するための。


(そのためにアドバイスしたんだから、ペナルティボックスなりの最高の曲を仕上げなさいよ。そうじゃなきゃ、競い合う意味がない)


 ――私が涼夏さんを有名にします!

 ――サマバケの時以上の演奏を涼夏さんから引き出してみせます!


 このライブハウスで蓮美から投げつけられた宣言を、向日葵は片時も忘れたことがない。

 あとはステージに立てば、結果は観客が証明してくれるのだ。

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