こんばんは。
また、時間がありましたので、統合失調症エッセイを書きに来ました。
桜が咲いてから、花冷えだったり雨が降ったりで、
まともにお花見できる天気ではなかったように思います。
地域によって違うのかもしれませんが、
北関東の田舎町では、
どうにも安定しないお天気が続いています。
おかげで微妙に身体の調子が悪いですし、
身体の調子が悪いと、心の方もよくない方向になります。
このあたりはバランスを取っていきたいところなのですが、
寒すぎたり、雨が降っていたりが続いていると、
心身おかしくなって弱ってきてしまうのを感じます。
この時期ともなれば、もう少しあたたかいものと思うのですが、
なんとも、気候が落ち着きませんね。
人によりましては、新年度が始まったかと思います。
新しい生活が始まられた方もおられるかもしれません。
環境が変わりますと、その環境に適応するまでに時間がかかりますし、
適応するのに心身のエネルギーを使います。
エネルギーというか、
適応するのにとても疲れる、というのはなんとなくわかると思います。
とにかく、気候で疲れている上に、
環境が変わって疲れている方もおられるかもしれません。
どうか、可能な限り休めるときには休まれてください。
私のように、脳が壊れてしまってしんどい思いをする前に、
皆様は、ご無理をなさらないでください。
皆様自身の心も身体も、ご自身のものです。
代わりはどこにもありません。
どうか、大事になさってください。
さて、今回の題材です。
支援は意外と届いていないのかも、です。
私が統合失調症になりまして、
統合失調症は長いこと心療内科に通うからと、
自立支援手帳というものを取ることを勧められました。
これは、心療内科と、心療内科で出されたお薬を出す調剤薬局を登録しておくと、
登録されているそこの医療費が、
1割負担になるというものです。
他のところの医療費に関しましては、3割負担ですので、
心療内科関係におきましては、
かなり安く受けられるという制度です。
統合失調症のお薬も安く出してもらえますので、
かなり助かっています。
ただ、私の感覚で物を言ってしまうのですが、
支援はなかなか届いていないんじゃないかなと思うのです。
統合失調症になって、自立支援手帳を取ることを勧められましたが、
他にどんな支援があるのか、
統合失調症をどうしたら助けてもらえるのか、
いろいろな支援があるのかもしれませんが、
まず調べないと支援に行きつかないのではないかと。
まぁ、これは私がなんとなく思ったことなので、
私の感じている一個人の意見として聞いてください。
大多数の意見とかではないので、
何か言ってるなぁ、程度で聞いてください。
統合失調症になってから、
なんと説明したらいいものか悩みますが、
積極的に何かを調べて自分を良くしようという、
その気力がなくなったように思います。
統合失調症というものになったらこうした方がいいとか、
こんな支援があるよとか、
こんなことをすれば心の具合がよくなるよとか、
多分調べればいろいろと出てきたのだと思います。
行政の支援なども、調べれば出てきたのだと思います。
ただ、調べる気力が失われていました。
昼夜は逆転していて、
心身のバランスは崩れて、
心模様としましては明るいことがありません。
頭の中では脈絡のない訳の分からない言葉が渦巻いていまして、
常に疲れている状態でした。
常に疲れているところに、
いろいろなものを調べて支援に行きつくというのは、
まぁ、ハードルが高いのではないかなと思いました。
今となってはハードルが高かったなどと思えるのですが、
統合失調症なり立ての頃は、
誰も助けてくれない、それが普通だと思っていました。
こんな引きこもりを誰も助けてくれない。
誰も助けないのが当たり前だと。
支援を調べられない状態であったことと、
また、社会のレールから外れてしまっていることと、
そのあたりを感じた上で、
誰も助けてくれないと思っていたのだと思います。
心療内科に通って、自立支援手帳を勧められて取って、
初めて医療費がこんなに安くなるということを体感しました。
社会のレールから外れてしまっている私に、
支援なんてあったんだという気分になったのを覚えています。
私がこうなのですから、
届いていない支援はもっとあるのではないかと思います。
調べれば出るというのは、
心が病んでいたり、脳がポンコツになってしまったような感じの状態では、
調べることがまずハードルが高いです。
その支援に行きつくまでに、いろいろな手順を踏むというのが、
とてつもなく高いハードルです。
そこで振り落とされる方もいるように感じます。
心療内科にかかるというのが、まず、敷居が高いかもしれませんし、
心療内科で支援のことを聞くというのも、
その病院によっては聞かせてもらえないかもしれませんし、
また、行政に支援のことについて尋ねようにも、
支援についての知識がないと何も尋ねられません。
まぁ、私の体感ですが、
支援は届きにくいのではないかと思っています。
だからどうしろって言うのではないのですが、
困っている人に支援が届いたらいいなとは思います。
行政としてこんなことをしているというのが、
調べないと出てこないのでなく、
なんとか、もっと、周知できればと思うんですけど、
どうしようもないのかなぁ。
統合失調症なり立ての頃、
社会への窓はインターネットだけのようでした。
行政のことなど頭にありませんでしたし、
何かを検索して助けてもらえるなんて思っていませんでした。
社会からはじき出された人は助けてもらえない。
そのくらいのことを感じていました。
もしかしたら、そうやって社会からはじき出された誰かが、
助けられることなくただただ黙っている。
あるいは、はじき出された誰かが、
さらに心と身体を病んでしまって、
何か取り返しのつかないことをしてしまうかもしれません。
なんとか、それを防いで、心地いい生活を送れるように、
そこに支援が届けばいいなと思います。
こうして統合失調症エッセイを書いていますが、
これを読んだ誰かが、
統合失調症だけでなく、
何らかの心身の困りごとを抱えた誰かに、
こんな助けがあるよと言ってくれたら、
執筆した甲斐があるというものです。
支援は届かなければ意味がないです。
看板だけ掲げても意味はないです。
困っていたり、苦しんだりする、あの頃の私のような存在に、
支援の光が届いたらいいなと思います。
社会からはじき出された誰かも生きていていい。
そうあって欲しいと思います。
弱いものはすべて切り捨てる社会というのは、
なんとなくですが、嫌だなと思います。
みんなが、突然弱いものになる可能性があります、
社会から突然はじき出される可能性があります。
そのときに、助けが届くと届かないとでは、
やっぱり助けが届いた方がいいと私は思います。
支援はちゃんと届いた方がいいと思います。
行政だけでなく、
困っている誰かがいたのならば、
こんなものがあるらしいよと、おせっかいでも教えてあげるのも、
誰かの命をつなぐことになるかもしれませんし、
社会とのつながりを維持してあげることにもなります。
このエッセイを書くことで、誰かへの理解の手助けになれば、
私が執筆する意味もあるのだと思いますし、
私が統合失調症で苦しんだことに意味も持てるのだと思います。
また、時間がありましたら、
統合失調症エッセイを書きに来ます。
ではまた、いずれ。