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37.義理

 王者と勇者、互いに決め手を欠いたまま、されど全力を込めた攻め手を交わし、躱して、100拍を数える。

「時間半分切りました!! あと80です!!」

 セルファンの報告に、義人は思わず力の籠もりかけた手を緩めた。

 力んでしまえば腕の伸びが妨げられる。1ミリを損なえば刃に喰われ、負ける。


 って、こんなとこで終わっちまったら化けて出ちまうって。

 ちげーな。みんなに申し訳なくって化けても出らんねーよ。

 よくわかんねーけど、化けて出たきゃ終われねーってこった。


 胸中で唱え。前に置いた左足を躙り出して「しぃっ!」。

 左肩にはしる激痛を噛み締めた歯、その隙から気迫が噴く。

 高い代償の対価に伸びた左ジャブは、勇者に反応させるより迅くその額を突き、前のめりになった顔を跳ね上げ、ぱぐん。その中心へと右ストレートを招き入れた。

「ぐが」

 完璧なワンツーながら、シャザラオの目は焦点を失うことなく王者の目を見返してきた。

 理屈を説けば太い首を咄嗟にすくめ、脳を揺らされることを防いだわけだが、まともにもらっていたとしても彼は耐え抜いただろう。燃え立つ「負けぬ」の意気でもって。


 正気を刈らせはせんよ。

 こんなところであちらへ飛ばされてしまっては意味がない! いやそれ以上にもったいない!!


「おおおっ!!」

 逆に顔面を押し出して拳を押し返したシャザラオは、姿勢を崩した王者へ飛びつきざま、役に立たなくなった左腕を投げつけた。

 当たればもちろん、受けようと弾こうと王者には隙が空く。右手の刃をもって喉を突き抜ける。

 どうせ5年前に一度失った左腕だ。今度こそ失い果てようともかまうものか。


 対して義人は回避することなく、勇者のラリアットを顎に喰らった。ただし、あえてのことだ。こちらもまともに動かなくなった左腕を、最速で勇者の顔面へ押しつけるがための。

「ぅぎっ」

 備えをいくらか崩され、傾いだ視界は勇者の腕に遮られた。これでは喉元へ迫り来る剣の切先も見えはしない。だというのに、それが来ることを彼は感じ取っていた。

 ……感じ取れていることそのものが本来ありえない事態であることに気づかないまま、左腕で押さえたことで得た“距離”へ右拳を突き込んで。

「っいいっ!!」

 剣身に被さり、押し下げながら進む拳は勇者の頬へ食いついた。


「っあ」

 詰めていた気迫が噴き漏れ、シャザラオの身が宙に噴き飛ぶ――いやさせぬ!!

 拳打に押し剥がされかけた顔面を振って右拳と向き合い、上下の歯を思いきり突き立てる。そう、噛みついたのだ。

「つっ!」

 王者は息を詰めるが、包帯に刻まれた竜魔の術式は彼の歯を突き抜かせることなく拳を守り通し、さらに彼の歯を押し返す。

 真っ先に前歯が割れた。犬歯がへし折れ、奥歯が端からギヂミジと欠け、口腔に突き刺さって。

 だが、放さない。

 なんといじましい真似を演じているものかと、己が事ながらあきれ果てるが、しかし。


 言い訳にもならんが、それほど己は必死なのだ。

 負けられん。

 いや、負けたくない。

 己は! 汝に! けっして! 負けん!!


 かくてシャザラオは噛みついた拳の先へと剣をはしらせた。

 そこにあるものは己が左腕と同じく損傷し、構えを据えきれずに半端な位置に置かれたままとなっていた王者の――




「ぁっ!?」

 義人の左腕がびぐり、跳ね上がった。

 花子が、セルファンが、ゴブリンが人間が犬が、その手首の上に浮き上がったものへ視線を殺到させる。

 包帯と腕との境目を勇者の刃に断たれて宙へ飛んだそれへ。

 そう。


 王者の左拳へ。




 拳打をもって闘う王者の左手が失われた。

 それは攻撃の手段が半分になったというだけのことでは当然ありえない。

 激痛についてはさておくものとしても、防御の術も失われ、左右のバランスすら損ない、まともな挙動すら不可能となる。


「あと何秒だ!?」

 花子が“異世界”の時間単位を使ってしまったのはそれだけ焦っていたからこそだが、その焦りに押し込めた願いは左右に振られたセルファンの青く冷めた顔により、あっけなく叩き潰された。

 あと45拍。

 逃げ切れようはずがない長さ。

 つまり王者はもう――




 弾かれたがごとくに身を震わせて勇者を振り払った義人は、そのまま横倒しに倒れ込んだ。

「ぁがっ、がああぁあああ、ぁっ」

 自分がどれほどの痛みを感じているのかわからないほど痛くて、でもそれよりもなによりも、寒い。

 切り口から噴く血に勢いがないのは、すでに多くを失っているためか。


 あー、さむ。

 さみーわ。

 からだ、うぅごぉぉかぁあぁねぇええぇー。


 思考速度が鈍る。それにつれ知覚が濁り、痛みはぼんやりした痺れへと置き換えられて、彼は凍れる薄闇に押し包まれていく。

 それでも、うつ伏せようとあがいた。止まってしまえば凍えてしまう。凍えてしまえばもう、動けない。あがく、あがくあがくあがく。


 おれ、たたねーと。

 だってよー、おわっちまったらさー、もったいねっしょ?

 ちが、ぜんぶ、でちまわねーうちに、やるんだ。やりきって、やってやんだ。


 脳裡に無意味な意志を垂れ流しながら、弱々しくもがく。

 なぜだろう、左手に力が入らなくて。

 ああ、そういえば、たった今飛んでいったのだった。斬られて、どこかへ。どこへ? そこだ。目の前。


 斬られた左手はまさに彼の眼前に在った。

 そして抑え込んできた力をじわりじわりと放出し、指先を蠢かせて、にじり寄って来るではないか。

 考えるまでもなく知れた。

 義人の意によらず、手が勝手に繋がろうとしている。

 王者は勝たなければならない。

 だからこそ、義人との約束を反故にし、ゴブリンの勇者を己が力で滅するつもりなのだ。


 ふざけんなよ。


 濁りを押し割り、義人を突き上げる憤怒。

 それは爪先ほどすらにも満たない熱ながら、心をきしませる動力を彼へともたらして。


 こいつはよ、俺とラオさんのタイマンなんだよ。

 しゃしゃり出てくんじゃねーようぜーんだよジャマすんなよ寝てろ!


 なおも這い寄ろうとする左手を無視して、右手ひとつで上体を無理矢理に起こした彼は、ふと思い出す。

『君のガチは君だけのためのものか?』

 そう唱えた花子の顔は実に恐かったし、竜爪は痛かった。と、そんなことよりも。

 後ろに支えてくれる人たちがいて、前に向き合ってくれる相手がいる。これ以上ない幸せを自分は感じさせてもらっている。

 だが、忘れてはいなかったか?

 そこへ自分を導いてくれたもの――今こうして身を起こす支えでもある、王者の両手のことを。


 キコーに言ったじゃねーか。王者の手、俺が連れてくんだって。

 だってのに俺、マジで俺に力貸してくれて、ガチでおとなしくしてくれてる手にジャマすんなって。こんなん義理立たなさすぎだろ。


 ぎこちなく膝をついて我が身を起こし、倒れ込みそうになりながら右手を伸べて、左手を掴んだ。

「わりー。俺、俺のことばっかでいっぱいいっぱいんなってて、約束忘れるとこだったわ。わりーついでに血ぃ止めといてくんね?」

 手首の傷口へ切り口ならぬ掌を押しつければ、左手はあきらめたように蠢くを止め、しかと傷口を握り込んだ。

 こぼれ落ちていた血が止まる。

 漏れ出していた意気が己の内へ返り、隅々まで行き渡る。

「行こうぜ、ラオさんとこまで」


 左半身を下にして投げ落とされる形となった勇者は、たった今苦悶を押し退け、よろめき立ち上がった。

 脂汗にまみれたその顔が義人の視線を受け、笑む。

「さあ、続きをやろうか」

 義人もまた立ち上がり、口の端を上げて応えた。

「押忍」




 いったいなんだっていうんだあれは。

 思わずかぶりを振る花子。

 義人の手首から離れた左手は、その時点で彼女のコントロールから外れたばかりではない。彼のものではなくなったはずなのだ。

 だというのにそれは今、切れたままでありながら義人の左手だと言い張って――もちろん実際に言っているわけではないのだが――彼女の調整を受け容れ、力を安定させている。

 状況はまったくわからないながらも、とにかく今は最後まで面倒を見てやらなければ。

 それ以外にできるのは、それこそ行く末を見守ることだけなのだから。




「ラオさんわりー。斬られたってのに連れてきちまった」

 荒い呼気に合わせて躙り出つつ、義人が左手を示して言う。

「構うものか。その手こそが汝を汝たらしめるものなのだろう」

 同じく前へ踏み出しながら応えたシャザラオだが、実際のところ驚いてはいた。よもや斬られた手が己の意思で主へしがみつくなど!

 が、慄きはしない。

 負けぬ気持ちは己もあの手も同様というだけのことだ。

 ならばとことん、互いの負けん気を比べ合おう。

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