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36.歓喜

「げへぇっ!!」

 勇者の蹴りに肋を下から1、2、3本へし折られ、嘔吐いた義人が姿勢を崩し、よろめき下がった。

 その間にもヘッドスプリングの要領で立った勇者が駆け込んでくる。踏み止まり、迎え打たなければ。焦るほどに肋は疼き、挙動は鈍って、ついに。

「おおっ!!」

 勇者の唐竹割りが頭頂から彼の頭を断ち割る――いや、寸手で右手を翳して受けていた。

「があぁあぁぁああっ!!」

 激烈な痛苦! 指が千切れそうだ。

 くっそ! マジいってー! あーもーあー、いてーのって俺がお願いしたせいじゃねーか。ありがとございまっす!

 泣きそうな顔で両手に感謝して、義人は勇者の脾臓へ引っかけるような左のボディブロウを突き立てた。

「ぎやー!!」

 止まっていたはずの血が噴き出す。支払わされた代償は相当なものとなったが、その激烈な痛苦を噛み殺すのでなく噛み締めて、彼は拳をさらに前へと捻り込んだ。

 マジいてーしマジつれー!! でもさ、全部出すよ。俺の全部でやりきってやんだ。

「マジのガチでよ!!」


「ぐぶぉおっ!」

 脇腹を貫かれたシャザラオが宙でもんどりうち、床へ叩きつけられた。

 されどそのまま一転して四つん這いに。滑り込むがごとく王者へと迫る。

 狙うは左の足首、いや、左足を上げさせることだ。そうさせておいて、右足首を刈る。上下への攻め分けは凌がれたが、下から下ならば、

「どうだ!?」


「ち!」

 義人が咄嗟に上げかけた左足へ太い悪寒がはしる。

 これ、こっちじゃねー!

 勇者の剣の勢いが義人に悟らせた。彼の狙いはもっと奥、軸に変えた右足だ。

「だらっ!!」

 左の足裏を潜ろうとしていた刃を踏みつけて躙り、右足を後ろへ蹴上げて上体を倒し込んで、右拳を突き下ろす。

 一瞬合った勇者の目が。ふいにずれた。

 彼は剣を踏まれて固定された右腕を軸に体を捻ったのだ。

 拳が空振りを演じるより迅く、義人は右足を前へ送り出して踏み抜ける。

 シャザラオもまた身を跳ね起こして構えを据えた。

 共にひとつ息を吸い、また互いへと踏み込んで。拳と刃を空振って弾き合って離れて、息を吸って。


「ははっ」

 なー、ラオさん。ぜんぜん会場沸かせらんねーけど、俺楽しくてたまんねーよ。だってぼっちじゃねーからさ。

 ……先輩にも言えてねーことあるんだ。

 俺、手がなくならなくてもボクシング辞める気だったんだぜ。

 うん。ほかにもいろんなことあってさ。あー、いやいや、なかったっけ? まあいいや。

 なんか、異世界だったらそういういろんなことナシでさ、ガチでやれるんじゃねーかなって、思ってたよ。

 マジ大正解! やべー研究所とか探しに行かねーでよかったー!

 だからさ。マジすげーラオさんにガチのガチで、

「俺が勝つ!!」




 ああ、くそ。

 花子は胸中で吐き捨て、鼻腔から垂れ落ちた血を術式で拭い落とす。

 王者の手の高まりはでたらめだ。外へ噴き出そうとしているのに内へ潜り込もうとして、あがいてもがいて捩れて悶えて。

 その凄まじい歪みを鎮めるため、彼女は持てる業のすべてを尽くさせられていたのだ。

 そこだと安定しないし、もうちょっと真ん中まで出てこい! そう、いい子だからあとちょっと、ちょい、ちょ、そこだ。って、これだけでまた鼻血出たし!

 いやはやまったく。後輩くんはわからないだろうね。鼻血くらいで済んでるのは、あたしがすごい魔法使いだからだなんてさ。

 それにしてもだ。手の力のうねりが不可解過ぎはしないか? 明らかに義人の意志ではない。まるで力そのものが意志をもって、噴き出すことを必死で耐えているような……

 もしもこれが“君”の意志か遺志なら、せめて責任説明くらいは果たしてもらいたいね。

 勝手に手だけを遺して逝った初代王者へ不満を述べて、彼女は眦から血をこぼしつつも手の制御に意識を集中させた。


 眼前の死闘に飲まれていたセルファンは、ようやく震える息を吐き出して。はたと気づいて青く冷めた自分の頬を平手でぱぢん。挟み叩いた。

 これは死闘なんかじゃない。僕がそう思い込んでいるだけだ。ヨシト氏もシャザラオ殿も、そんな見られかたを望んでなんかいない。――よし。

「うあああああアアアアアッ!!」

 一時挙動を止めたふたりへ、精いっぱいの声援を届けよう。

 声音は途中で裏返ってしまったし、「あ」よりも「お」のほうが絶対によかったとも思いつつ、それでも叫び続ける。

 こんなにすごいタイマンを黙って見てるなんてだめだ! 皆だって感じているだろう、ふたりのすごさを! ああ、どうして僕はこう詩才がないんだろう!? もっとふさわしい表現があるはずなのに!! もっともっとヨシト氏を讃え上げる――

 ちなみに彼はここで運命の出逢いをすることになるのだが、今は語らずにおこう。


 ともあれ王子の声音が会場に小さな火種を落とした。

 それを受けて一気に燃え上がったのはやはりゴブリンたちだ。声の限りにシャザラオを呼び、ついには立ち上がって。

 シャザ!! シャザ!! シャザラオおおおおぉぉおっ!!


 一方の人間側は、今もなお無言である。

 が、先ほどまでとは違う。義人への嫌悪からでなく、決闘を見ようとしない女王の逆鱗に触れることへの恐怖によってだ。加えて、今さらどんな顔をして王者へ声援を送ればいいのかわからないこともあった。

 なれど予感の疼きは着実に高まりつつあり、この場に在る人間たちは落ち着きようのない心を抱え込んで必死に自分を押し殺すのだ。


「おおっ!」

 シャザラオが振り上げた重い切先をパリングで払った義人は一瞬硬直し、思い出したようにサイドステップで身を流した。

 心が躍るにつれ、両手が異様に疼く。通じ合ってなどいないながら、なんとなく知れた。手が惑っているのだと。

 両手は今、眼前の強敵に震え、抑えていた力を表出させたがっている。噴き出さないのは義人の願いをそれでも叶えようとしていてくれるせいか。

 オーケーオーケー、よくわかんねーけど落ち着こうぜ。いや、勝手してんの俺だし、いてーのはいいや。いっくらでも痛くしてくれって。だからさ。

 俺とラオさんのタイマンだけやりきらしてくれよ、

「なあっ!!」

 思いを握り込んだ右ストレートが勇者の繰った刃と衝突し、互いを大きく弾き合った。




 ただならぬ予感に引き絞られた空気のただ中、犬は仏頂面をもたげて義人を見やった。

 あとわずかで勝敗は決まる。

 竜魔の言葉をなぞるのは不本意ながら、思ってしまわずにいられない。

 勝つにせよ負けるにせよ、あの単純バカは想像もできていなかった現実と向き合わされよう。それでもあの背は、今と変わらず強く張っているものか?

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