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39.捨身

 今こそ己の決め手を打つ!!

 刃を追わせて振り上げていた右足で剣身を蹴り上げれば、最速を保ったままに軌道が変じる。王者の脇へ向かっていた一閃が斜め上へと跳ね、喉元へと駆け上った。

 心を尽くし、技を尽くした、紛うことなき決め手。

 すでに倒れ伏しているべき王者が避けられようはずがない。ないはずだ。ないはずなのに、なぜ王者は防ぐことすらせず右拳を打ち出しながら前へ出てくる?


 急げ。またも自分を急かす得体の知れない声音。

 義人は胸中で苦笑と共に思念を返す。

 わかってるってばよ。さっきと違ってちゃんと準備してたんだから。


 彼もまた決めていたのだ。シャザラオの決め手に合わせて打ち込むことを。

 拳を先行させたのは急ぎながら間合を詰める、ふたつを両立させるためだ。足を踏ん張ってしまえば前進が止まり、届かなくなる。無論、言うほど簡単な打ちかたではありえないのだが、とにかくだ。

 先んじて送り出した右拳を追わせて踏み出させた左の爪先を強く躙り込んだ。

 その踏み込みの反動は疾く脚から胴へと螺旋を描いて駆け上り、右腕へと雪崩込む。

 パンチの威力は下半身という砲台が生み出すものだ。それがしかと据わったことで、空打ちに過ぎなかった右拳に力が宿り、加速して。


「もっと前だ後輩くんぅっ!!!!」

 甲高く引き絞られた花子の声音が背を打ち据える。

 音だけのはずなのに、なにやら背中が痛かった。思えば事あるごとに殴られている気はすれど、彼女はいつも自分を押し出して、前へ行かせてくれる。

 それに、見えないところでいろいろ面倒を見てくれていることも薄々感じてはいるのだ。それを一切言わないのは彼女の仁義というより都合によるのだろう。なら、それを問うよりもやってやろう。いつも通り、言われたことを!

 前っすね了解っす!!

 だからこそ踏み込んだ左足の先へ上体を乗り出させて、シャザラオの真上に覆い被さった。


「ヨシト氏――!!」

 セルファンの絶叫は変わり映えしないものながら、そこに込められた真摯な思いもまた変わりはしない。

 人間関係をうまく構築できたことのない義人にとって、セルファンは初めてできた友達……だと思いたいのだ。その応援に応えなければならないではなく、応えたい。そう思えることが妙にくすぐったくて、でもごまかすことなく真摯に思いを返した。

 俺のだけじゃねー、セルさんの気持ちも全部握ってぶっ込むんで!!

 その間にも上体はなおも倒れ込んでいく。

 が、彼は下へ向かう上体を引き起こさず、さらに下へ――振り下ろした右拳がシャザラオの剣身を上から擦りつけ、乗り越えるほど傾げ傾げ傾げて。

「……」

 犬は相変わらずの様子だが、寝ないで見ているのだからそれなり以上に義理は立てているのだろう。

 いつも仏頂面だし尻尾は2回しか振らないし病衣は返さないし舐めてもくれない。

 でも、呼ぶとやってくるし顔をいじられても我慢するし、ぎゅっとするとあたたかい。いい奴ではないけれど、やはりいい奴だと思うから。

 とにかく見とけよ犬ぅ! ガチのガチですげー俺の1発ぅっ!!

 果たして爪先立った左脚に体重も重心も気持ちも、それこそ自分のすべてをかけて打ち下ろす。渾身のチョッピング・ライトを――いや、そうでありながら、違う。


 すとん。顔面の中心に突き立った拳は、いっそやさしくやわらかな感触をシャザラオへともたらした。

 とうに失われた鼻を打ち抜かれたとて、致命傷にはなりえない。が、やさしさは疾く峻厳へと変じ、やわらかさもまた苛烈へと変じて彼の芯を激しく揺すり、気がつけばその身は真下へ崩れ落ちていて。

「な」

 んだこれは。

 己 は  い   っ    た     い


 義人の胸元の傷をよい深く抉り込んだ刃が自重で抜け落ち、へたり込んだ主の前へカラリと転がった。

 今起きたことを、周囲の人間たちは、ゴブリンたちは、見開いた目の奥で反芻する。

 唐突に軌道を変えた勇者の剣へ対し、王者は一切反応することなく前のめりに上体を倒し込んだ。そして被さりながら右拳を打ち下ろして、顔面を打ち抜いて。その意識を噴き飛ばした。

 これまでも幾度となく見てきた光景ではあった。だからこそ理解ができない。

 頑健な肉体と不屈の闘志、併せ持ったふたつでもって王者の拳打を押し退けてきたシャザラオが、なぜこの一打で打ち墜とされたのか?


 彼らに王者の一打の得体を知る由はない。

 ジョルト・カウンター。

 敵の機先を見切って後ろに置いた右足を床から離し、前に置いた足へ全体重を預けて繰り出す――最大の破壊力を生み出す代わり、たとえ躱されようと反撃を喰らおうと避けることも姿勢を立て直すこともできはしない、文字通り捨て身のカウンターパンチであったことは。




 呆然のただ中、義人は右拳を挙げた。

 すると守りの包帯の内で割れた手からわだかまっていた力を噴き上がり、場に在るすべての者たちへ告げるのだ。

 ガチのガチを貫き通した果ての、王者の勝利を。




 呆然が砕け、沈黙が裂かれて、轟。

 おおおおおおおおおお!!

 ゴブリンが叫ぶ。勇者の敗北を悔やむよりもなによりも、ふたりのタイマンに燃やされた心を抑えきれないあまりに。

 人間もまた声の限りに叫ぶ。勇者に魅せられ、その冴えをすら凌いで勝利を獲た王者に魅せられてしまったために。


「ヨシト氏――こんな――なんて――ヨシト氏は、王者はっ」

 セルファンは狂おしく身を捩り、握り締めた両手を振り回した。

 ふたりの男が闘う、ただそれだけのことに自分がなぜこうも感動しているものか、まるでわからない。だが、それでいいのだと思う。今は。今だけは。


 気がつけば花子もまた荒い息をつき、膝をついていた。

 意志、意地、意気。技や体よりも心の有様をぶつけ合う凄絶なタイマンに、義人は下らない我を張り通して勝った。それも勇者の剣をただふたつの拳で凌いだあげくにだ。

 くそ、後輩くんの言った通りに沸かされたじゃないか。なかなかに屈辱だけど、でも。

 最後のカウンターが打たれる寸前、彼女は手の力のコントロールを手放していた。否、弾かれたのだ。術式も気遣いもまとめて、義人ならぬあの手に。


 あの邪魔するなって感じ、確かに憶えてる。それこそ何度もやられてきたんだしね。

 でも、だとしたら。

“君”はなんのためにそれを残した? 約束のため? 無念を晴らすこと?

 なんにせよ弁えろって話だよ。

 あたしと“君”、どっちが後輩くんの邪魔なのか。


 むっつりと顔を顰めた花子のとなりまで進み出てきた犬が「ぐぅ」、むっつりを越えた仏頂面をもたげて鼻の奥を鳴らす。

 わざわざ面倒な真似をして苦戦を演じた義人への不満を示し、されど示せたことにかすかな安堵を滲ませながら。




「ラオさんどーよ。俺の勝ちだぜ」

 ふらふらと歩み寄り、勇者へ傷ついた右手を伸べる義人。

 脳震盪から醒めきらぬ身をぎこちなく引き起こし、その手を取ったシャザラオはなんとか立ち上がって。

「……なんと言えばいいものか、わからんな。楽しかったことは間違いない。悔しいこともだ。しかし、思うことがうまく言葉にならん。そんな程度のものではないはずなのに」

「俺もよくわかんねーけど、なんだっていいっしょ。ラオさんと俺だからガチのガチでマジすげー試合できたんだって。またやろーぜ、な」

 ここに至ってなお自分を立ててくれる王者の心遣いが面映ゆい。

 が、自分たちを包み込む歓声の熱が、なによりも誇らしい。

 だから、紡ぎかけた忝いのひと言を噛み殺し、静かにうなずいた。

「応」


 このとき、誰もが忘れ果てていたのだ。

 決闘の最後を飾るべき現実――犬と闘う前に花子が唱えた「異世界ルール」というものを。




「王者殿、見事な勝利でした」

 玉座から立ち上がり、優美な拍手を響かせる女王。

 さすがと言うべきだろう。ただそれだけの挙動で場の全員の目を奪い、釘づけたのだから。

 彼女は青く冷めた顔に微笑を貼りつけて言葉を継いだ。

「さて、あとはこの聖なる決闘にあるべき決着をつけていただかなければ」

 朗らかな声音の端から、限りない悪意を滴り落とし、そして。

「あなたの勝利は敗者の死をもって証される。それこそ王者と竜とが定めし絶対の規約――竜魔殿が語られた、竜の約束でありますれば」


「なに言ってんすか!? オキテとか知んねーし、俺勝ったんすから女王様だってめでたしめでたしじゃねっすか!」

 うろたえ騒ぐ義人をとろりと見下ろし、女王は笑みを深める。

 わたくしをこうまで虚仮にしてくださった王者、下種のゴブリン、背信の竜魔、出来損ないの息子……美しく終わらせてなど差し上げませんよ。ええ、ええ、けして。

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