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40.舌禍

 女王の笑みが言葉よりも明瞭に告げていた。

 下賤の醜い鳴き声、聞く耳など持ちません。


 義人は自分が常識からずれた存在だと知っている。だからこそ悪意を向けられることには慣れているし、彼なりに受け流す術を磨いてもきた。

 だがしかし。

 自分の勝利を証すためにシャザラオを殺せと言われて受け流せようはずがあるまい。

「女王様! 俺、今そっち行くからよ――」

 怒気を迸らせて女王へ向かおうとした義人だが、踏み出した脚ががくりと膝を折り、膝をついた。

 当然ではないか。ここまで積んできた代償は莫大であり、その支払いを留めてきた気力もまた、タイマンの終幕を受けて抜け落ちてしまったとなれば。


「後輩くん!」

 駆け寄った花子が癒やしの術式を傷口へと染ませたが、だめだ。ただ肉を繋いで傷口を塞いだだけのこと。

 彼女の魔術の才は掛け値なしに凄まじいものだが、治癒術に関しては適正がほぼない。術式が理解できないためではなく、相性が最悪だからだ。

 それだけ治癒術というものは特殊であるわけだが、とにかく花子には今の義人がなにより要する殺菌と増血が果たせなくて。


 だってしょうがないだろう!? 後輩くんがこんなバカだなんて知らなかったんだから!!

 いや、知らないふりをしたんだ。このバカがどれだけ自分のこと大事にしない奴かなんて、あたしだけはわかってたことなのに……!


 義理と人情。義人が口にするそのどちらもが他人に向けるものだ。

 そして彼は口だけでなく、実際にふたつを尽くしてきた。それこそ大事な両手を棄ててまで――強敵に剣を取らせてまで。

 ああぁあぁぁあっ、めんどくさすぎるぅううううぅう!! いっそ殺してやりたい!!

 焦りと怒りとを募らせる中、彼女は見る。

 血の気を失い果てて酷く冷えた彼の背に、ただひとつの傷もないことを。

 それは義人が最初から最後まで、本当に真っ向勝負だけを演じきってきた証。

 ……君はバカだなぁ。

 泣き出したくてたまらない、理解不能な衝動が彼女の胸を突き上げて、押し詰めた。

 ああ、もう! 単純バカってやつはほんとにもう!

 締めつけられた胸を押さえるように王者の背へ覆い被さり、あたためてやりながら、花子は女王へ尖った声音を放つ。

「王者は異界の人間だよ。こっちの流儀を全部押しつけるのは不条理じゃないか」

 決闘の掟同様、“竜の約束”について義人へ告げなかったのは、まさしく彼女自身の都合による。

 聞いてしまえば彼は全力で抗っただろうし、下手をすればタイマンそのものを拒否したはずだ。

 そうなれば、彼女の都合は果たされなくなる。

 それが恐くて口を閉ざし、どうせ終われば知れるのだと自分へ言い聞かせて彼を送り出した。突きつけられるまでの間だけでも、自分の身勝手さと向き合いたくないだけのことで。

 だというのに今、自分の薄汚さを全部棚に上げ、正しげな顔をして騙りあげてしまうのは、自分でも驚くほど純粋な思いがあればこそだ。

 あたしの醜さと浅ましさはちゃんと自覚してる。それでも汚したくないんだよ、後輩くんと勇者が見せた無二の勝負を!


 結果から言うなら、花子の思いは果たされなかった。

 女王の揺るぎない悪意により、彼女自身が招いた舌禍を踏み躙られて。


 女王は酷薄なまなざしで竜魔を見下ろし、返したものだ。

「わたくしはひとつ見逃して差し上げましたよ。ゴブリンに剣を持たせる掟破りを」

 花子やセルファンが難癖をつけてくるだろうことは予見していた。それへの備えとして、竜の約束をひとつ破ることに口を挟まなかったのだ。

 それは女王がゴブリンを見下しきっており、王者の勝利が揺らがぬことを確信していればこそだったが、まさに結果オーライというものではある。

 そう、今となってはどうでもいいこと。あとはただ、正論をもって幕を引けばいい。

「王者は決闘の規則を定める権利を持つ。一度定めた規則を決闘半ばで覆すことは赦されない。しかして禍根を残さぬがため、勝者は敗者を討ち、その命をもって己が勝利を証す。それを絶対の掟とすること、立ち合いし竜と王者とで約束す」

 淡々と唱えてみせた女王があらためて花子を見下ろし、問うた。

「わたくしの記憶に誤りはありますか? 約束の場に立ち合われた竜魔殿ならば、すぐに気づかれるものと思いますけれど」

 竜魔が論に徹したなら、言いくるめられていたのは自分であったかもしれない。が、あの女は誤った。「不条理」などと言い出し、“条”ならぬ“情”を押し出して。

 そしてわたくしはあなたが切った“情”の札を同じ“情”の札で切り返した。これ以上押し通そうとすれば破綻するばかりですよ。

「っ」

 案の定、竜魔は口をつぐんでうつむいた。

 重畳。では、わたくしの仕上げをご覧いただきましょう。

 女王は政治の場で鍛えた演技力をもって困惑の表情を作り、ため息をついてみせて、

「しかしながら王者殿は自らの手で証すことを望んでおられぬご様子。ならば仕方がありませんね」

 笑みを傾げて間を置き、時を計る。

 なにを言い返したくても言い返しようのない竜魔。その無様を見下す甘美を噛み締め、さらに時をかけて嬲ったあげく、ようようと言葉を継いだ。

「城にある全戦力を結集し、この場にあるゴブリンどもをもれなく誅しなさい。門前へその醜き首を積み、エルバダの安寧が守られたことを世に知らしめましょう。しかして虱がごとくに沸き出しては我らが土を侵す下種を根絶やす先触れとするのです」


 そも、この聖なる国土に異種が潜み棲んでいることに歴代の聖女王は悩み続けてきた。それこそ42人中9人もが憤死あるいは悶死するほどに。

 軍を派遣して追い払えど、いつの間やら這い戻ってくる醜悪な奴原。

 この国は初代王者によって聖女へもたらされた約束の地だというのに、王者の称号欲しさに浅ましく群がり来る下種下種下種!

 さあ、今こそ北侵を開始しよう。

 まずはゴブリンを滅し、他の異種をも根絶やして国土を拡大、エルバダをこそ、この王城をこそ世界の中心とする。

 今まで積極的に打って出ることは控えてきたが、これもひとつのきっかけ。

 すべては王者殿のおかげということですね。感謝いたしますよ、下賤。


「とち狂うな! 竜はそんな暴挙を赦さない!」

 花子の声音がきんきんと響く。

 が、今さらなにをわめこうと無駄だ。

「この世界を見捨てて逃げ失せたあなたが竜の心を語る? それこそ竜を騙るほかに取り柄もなく、大事な王者殿を癒やすこともかなわぬ無能の魔術師風情が? そもそもあなたは誰より心得ているはずでは? 竜の約がどれほどに強く刻みつけられているものか」

 対して花子はなにひとつ言い返すことができない。

 女王の言葉通り、竜と初代王者が交わした約束の固さを誰より知る者は自分だ。故にこそそれを正しく果たさせるべき立場にある。

 だというのにそれを人々へ守らせる義務も、いつになるとも知れぬ王者再臨まで待ち続けるよりない異種の支えとなることも、一切合切を投げ棄てて自分は異世界へ逃げた。

 そんなあたしがなにを言える? 言えるわけがない。でも、だけど!

「……竜はいたずらに命が損なわれることを望んでないんだよ。決闘はそのためのものだし、時代が変わって、王者が変わった今、初代の掟を遵守する意味なんかない。竜だってそれは認めるさ」


 実にもっともな、否、もっともらしい言葉だ。

 されど女王は納得することなく、それどころか心をわずかに動かすこともしなかった。竜の語りならいざ知らず、紛い物の騙りに惑わされてなどやらない、絶対にだ。

「それを語り、新たな掟を決めるとのことならば、竜との約束通り次の決闘を始める前に。それこそ聖女王たるわたくしが定めを違えるわけには参りますまい」

 淀みなく返す女王の声音に感情の色はない。完全に包み隠しているのだ。その上で視線をもって、花子へそうと告げて。

「邪険にされたってだけの意趣返しでここまでするのか、君は。最低で最悪だな」

 たまらず吐き捨てた花子が自らの失態に気づいたときにはもう遅い。

 竜魔に言い訳を赦さず、女王はここぞとばかりに切り込んだ。

「御自身の言の葉がわたくしに届かぬからとて悪態を吐く。つまり竜魔殿は論じるを棄てられたわけですね? さて、その次はどうなされるおつもりでしょう? わたくしの首を落とされますか? それこそ先ほどのように竜化して? このか弱き身では竜魔が術に及ぼうはずもありませんが、聖女王の矜持を守るがため、必死に抗わせていただきますよ。それがこの城を、都を滅することとなろうとも」


 北侵の前にやっておかなければならないことがあった。

 それはもちろん、竜魔を穢すこと。

 竜魔の名が堕ちれば王者もまた寄る辺を失う。しかしながらそれは余録というもの。あのいけ好かない女に意趣を返してやれるなら、多少の損害には目をつぶろうではないか。

 勝利を確信し、喜悦に笑みを引き歪ませる女王。


 一方の花子は奥歯を噛み締め、無念をきしらせる。

 あの女に自分を殺す力はない。だが同様に、兵や民の暮らしとその命までもを盾に使い、竜魔の名を貶めてやるのだというあの卑しい覚悟、殺せる術が自分にはない。

 勇者の命を取るか、竜魔の面子を取るか。

 ――どうする? あたしは今、どうしたらいい?

 わかりきった話だ。始まる前からそれを遂げることは決めていたし、義人へ突きつける覚悟も済ませていた。だというのに、なぜ自分はこうも迷うのか。

 わずかずつ体温を失いゆく後輩の背を闇雲に抱きかかえるよりない竜魔。


 と、その周囲に散開したゴブリンたちが、我に返って女王への道を塞ぐ甲冑どもと対峙する。

「我らを易く殺せるものと思い上がるなよ!!」

 人間どもに語らせてやる。驕慢なる女王の稚気が、いかに戯けた屍山血河を作り上げたものかを。

 両陣より噴いた殺気が相打って逆巻き、堰を切る――


「待て」

 穏やかな声音が緊迫の沸騰へ水を差し、ゴブリンの、人の、すべての視線を引きつけた。

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