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78.男心

「父上、ずいぶんと楽しまれておいでのご様子ですね?」

 帰り支度の指揮をヒルドナに任せ、ひとり優雅に茶杯を傾けていた北端侯へカラスナが迫る。

「応」

 口の片端を上げる偉丈夫の直前まで至った王女は、握り締めていた両手を力尽くで開き、己を落ち着かせて――落ち着いた振りをして――言の葉を継ぐ。

「兄様をお遣いになられて、如何様な戯れを仕掛けられるおつもりで?」

 父は稀代の武人だが、過ぎた遊び心を併せ持っている。

 さぞやおもしろげに見えたのだろう。現王者へ入れ込む王者狂の様が。


「まずは殿下と王者とのタイマンというものを。その後は、これだ」

 娘の尖った視線に気づかぬ振りをし、ゆったりと答えた侯は娘へ向かいに座すよう促して、卓上に置いていた紙束を押しやった。

 座しながら、カラスナは苛立ちで煮えた息を静かに吹き抜く。

 今の台詞で、王者対王子のタイマンを仕組んだ張本人が父であることは確信した。その原動力が悪意であるなら、なんとしてでも打ち壊してやる。


 これまで見てきた兄は、不快で苛立たしいばかりのなよなよしい美姫であった。

 しかし今、彼は生きようとしている。

 問うてはおらずとも、生きるを選んだ者へカラスナが為すべきは、生かす。それだけのことだから。

 セルファンの先を父が阻むというならば、放っておかない。


 王者との出会いで自身もまた心持ちを変えつつあることに気づかず、視線に「生かす」の心とは真逆の「殺す」を滾らせ、父を睨みつけたカラスナだったが。


「近日の宴で演じられる劇の台本だそうだ」

 娘の殺気をさらりと流し、侯が言い添えた。

 毒気を抜かれた形となったカラスナは誘われるように本を見る。

 王者とゴブリンの勇者との決闘を題材としたそれは、芝居らしい脚色は施されていながら概ね事実を描いているようで、驚いたことに。

「ゴブリンが勇者を演じるのですか?」

 確かにゴブリンを演じるならばゴブリンが最適だ。

 しかし、彼らが芝居を嗜むなど聞いた覚えがない。いや、これはこちらが知らぬだけか。

 決闘の場に参じた彼らは、人の戦士を凌ぐ矜持と礼節を備えていた。つまり、それを身につけられるだけの文化があるということだ。

「おもしろかろう。ゴブリンの役者がいかに演ずるものか」

 と、侯の笑みが唐突に曇って、

「陛下はあれほど異種を嫌われておいでだったというに、儂ならぬ異界の若造の一喝――というにはちとあれだが――を受けた後、すっかりとお心持ちを変えられたご様子よ」

 厳つい顔へ子供めいた悔しみをいっぱいに表す父へ冷めきった目を向け、カラスナは突きつける。

「ここで泣きわめかれたならあたくしが拳骨を差し上げますが?」

「やめておけ。今叱りつけられたならまことに泣きわめくぞ」


 ふたりはしばし睨み合い、息をついて視線を外して座り直す。

 顔立ちはまるで違うのに、よく似かよって見えるのはやはり親子だからなのだろう。

「さて。殿下の意地と意気とはあの王者を如何様に揺さぶろうか。芝居に劣らぬ劇的な一幕となろうなあ」

 茶で万感を溶かして飲み下し、彼はすがめた目をカラスナの向こうへと伸べて言の葉を継いだ。

「殿下が婚儀を拒んでくださったは僥倖であった。おかげでこうも楽しめる」

 父の表情がカラスナに気づきをもたらす。

 ああ。ああ。父は欠片ほどの悪意すら持ち合わせてはいないのだ。

 現王者の特異な輝き、それを受けたセルファンという名の蕾が開くを特等席から見物したい、ただそれだけのこと。


「兄様の器、父上はどのように見ておられるのですか?」

「大小で言わば小。されど奇しき品よ」

 あっさりと答え、笑みを深めて言い足した。

「ただの一品で終わられるか逸品と成り果せられるかは殿下次第だが、それを見届けられるもまたおもしろい」

 父が見立てを外したことはない。生えてきた“家族”は皆傑物と成り果せ、北端を守り続けている。

 だがしかし。


「器がどうあれ、此度の一件、あたくしにはまるでおもしろくありません」

 なにがおもしろくないのかなどわからない。

 わからないのに、おもしろくない。

 自覚できぬまま苛立ちを掻き立てる娘を見やり、父は言ったものだ。

「悋気もよいがな、かわいげを添えねば男は萎えるばかりぞ?」

「……なにをおっしゃられているものか皆目見当もつきませんけれど絶縁を考えるには充分な侮辱かと」

「おっと、絶縁はやめてくれ。儂の楽しみが減る」

 さすがに「せめてぬしが王者殿をいかに射止めるかばかりは見ておきたい」とまで付け加えなかったのは、なけなしの自制心がいい仕事をしてくれたおかげか。

 とまれ穏やかならぬ父娘の会話劇も、そろそろ終幕の頃合いであるようだった。




 一方、義人に倣って包帯で固めた拳を打ち込むセルファン。

 それを同じく包帯で固めた掌をもって受けてやりながら、ヒルドナが口を開いた。

「我が父は殿下を駒にひと遊びせんと企んでいる様子」

 不格好ながら手を止めずに打ち続ける中、セルファンは口の端を小さく上げてみせる。

「ならば侯の興を醒まさぬよう努めねばな」

 ヒルドナにしても彼の心持ちは理解し難い代物だ。

 が、妹と異なり、彼女は武人である。決意に水を差すような真似はしない。

 と、そればかりでなく、おもしろく感じてもいるのだ。

 並び立つのでなく相向かわねば伝えられぬ思いを、他ならぬ“顔ばかり”が抱いているというのだから。


 セルファンを知る者は皆、誰より麗しい王子殿下は心身共に脆弱であり、そんな自分を騙したいばかりに王者狂となったのだと嗤うばかり。

 ヒルドナにしても、戦場でまったく役に立つまい彼へ関心を抱いたことはなく、養父と共にこの城へ来るまではただ使命を果たすのみと心を構えていた。

 だがしかし。

 王者とゴブリンの勇者との決闘において、いかめつらしい騎士や煮え切らぬ民に気圧されるどころか母たる聖女王の意向にすら背き、直向きに王者へ声音を送り続ける王子の背を見つけてしまったのだ。


 王族が演じていはずのない無作法と無様、諫めるよりも興味を惹かれ、つい降りて行った彼女が『恐れながら、殿下は何故王者を援じられるのですか?』と問えば、

『他に誰がおらずとも私が在る。そうと告げ続けるは私が差し出し得る唯一の誠意だと、うむ、思い込んでいるのだよ』

 すっかりとかすれてしまった声音で王子は答え、

『あの方は私をなかよしと言われたからな。嘲るも罵るも侮るもせず、直ぐに』

 戦場の片端に咲く一輪の花がごとく、笑みをほろこばせたのである。

 それで知れた。

 たったそれだけのことで、王子はおそろしい孤独の底からあっさりと救い上げられてしまったのだと。


 ヒルドナも実は同じ経験をしていた。

 見栄えばかりを気にして散財を繰り返す伯爵家の末子と生まれ、どこぞの老貴族に金で売りつけられるがためだけに育てられたあげく、典型的な没落の果てに放り出されて。

 そんな彼女の前へ現れた北端侯は、開口一番問うてきたものだ。

『このまま死ぬか生きるがため殺すか、好きに選べ』

 死にたくないというだけのことで殺すを選べば、侯は無骨を一筆書きで表したかのような面をほろこばせ、

『ぬしは今より北端の士よ』

 伸べられたものはやさしくもあたたかくもない手ではあれど、これまで選ぶことを許されなかった先を選ばせてもらえたばかりか、その選択を受け容れられたことにこの上なく救われたのだ。

 しかして幾度となく死にかけながら戦場で殺す術を学び、やがて己が殺すばかりでなく、率いた兵に殺させる術を覚えた彼女は3年前、侯爵家の一員となる。

 北端の青姫。

 いつしか彼女という存在を表す唯一無二のものとなった二つ名ばかりを携えて。


 ――王子は己を救った男に必死でなにかを返そうとしている。

 あのときの己と同じく、選んだのだ。

 誰もが嗤う“顔ばかり”でいることよりも、王者の友となることをこそ。


 おもしろい殿御だ。

 共感ばかりでなく、ヒルドナはセルファンにそうと感じている。

 どのみち身分やら爵位やらに縛られた者がめあわせられるとなれば、恋情で――というわけにはいかない。互いに諦め合い、慰め合ってやり過ごしていくのが夫婦の様というもの。

 なれどこの王子とならば、悪くないのではないか。やり過ごすよりも豊かな日々を送れるのではないか。

 そも、己は遠からず戦場で死ぬだろうし、彼にも一時の辛抱を強いるばかりで済む。互いに損のない縁談であろう。


 詮ない思いを掻き消すようにかぶりを振り、彼女は心を整え、提言した。

「やはり武具を遣われるべきかと存じます」

 拳打を得意とする王者へ拳で挑んだとて結果は知れている。

 せめて勝負のていを成したいなら、先んじて攻めを当てられる長物を持つべきなのだが、しかし。

「得意などなにひとつありはしないのだよ、脆弱な私には」

 情けないことを軽やかに言い切ってみせたセルファンは、ヒルドナの掌を不器用な拳打で弾いた後に言葉を継いだ。

「元より渡り合う心づもりはない。ただ張り合いたいのだ。武ならぬ心をもって」


 恐れながら、王者殿は心もまた並外れて強靱かと……言いかけて、彼女は唇を引き締めた。意外な強さばかりでなく、しなやかさすら感じさせる王子の意志を感じればこそに。

 とはいえ決闘で技ならぬ心をもって張り合いたいなど、理解できはしない。が、それでいいのだろうとも思う。男の友誼を女が解そうなど、おこがましい話だ。


 などと弁えているつもりではあるのだが。


 少しばかり腹立たしいのは、己が王子を男として見ようと思い始めているせいで。だからこそ彼女は、ぺしり。王子の頬へ掌を軽く押し当てた。

「御身を守られる御意識を。一打で伏されては意味も意義もありますまい」

「指導ありがたく思う。うむ、ヨシト氏に届かせねば意味も意義もない」

 頭を下げて彼女の掌から逃れ、体ごと振り込んでの右フックを打つ。

 あわやで肘を差し入れてブロックしたヒルドナは、王子の思わぬ力の強さに驚かされた。同時、このお方は本当に王者のことばかりを思われているのだ。気づいてしまってつい苛立って、慌てて取り繕う。

「今の一打は鋭くあられました。御身ごと振り込まれる打法は虚を突くにも有効かと。さ、忘れてしまわれぬ内に今一度」




 ……王子の“知人”として思考してきたヒルドナは心持ちを切り替え、エルドナの臣としての思考を開始する。

 これまでは心のどこかで、王子はなにかしらの意図を衆目へ示すがため、王者と形ばかりの決闘を演じる気なのだと思い込んでいた。

 だが、王子が本気で王者に挑みたいことが知れた今、臣下である己が笑顔で送り出せようものか。


 殿下は御自身を軽んじておられるが、我が国の旗印が一旒いちりゅうであらせられる。

 仰がれねばならぬ御旗が民の眼前で折れ、地に落ちるなどあってはならぬこと。ましてや臣たる辺境侯の戯れで!

 殿下。無粋を押し通しますこと、何卒お赦しいただきたく。

 王者殿。身勝手な事情でその名を汚すこと、何卒赦されよ。


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