第90話 ドリー
「わたしはドリー、よろしくね!」
クロバラとデルタの、秘密の会合。デルタの魔法によって、2人の会話は誰にも聞かれず、邪魔すらされないはずであった。
だがしかし。
この少女は、唐突に2人の前へと現れた。
幼い少女。外見年齢は、クロバラと同じくらいだろうか。軍に所属するにはまだ若い、幼さが目立つ少女。
髪の色は茶髪で、服装もどこにでもいる普通の少女と変わらない。
ゆえにこそ、その異質さが目立ってしまう。
「悪いな、お嬢さん。わたし達は少し、込み入った話をしててだな」
クロバラは、とりあえずあしらおうとするものの。
「知ってるわ、聞いてたもの。この国の秘密を暴いて、みんなを自由にするんでしょ?」
「……おい、デルタ。お前の魔法で、わたし達の会話は大丈夫じゃなかったのか?」
そう言って、クロバラは彼女の方を見ると。
デルタは非常に驚いた様子。というより、臨戦態勢に近い雰囲気を纏っていた。
「お、おい。魔力が漏れてるぞ」
「……」
クロバラの言葉にも反応せず。
デルタは静かに、目の前のドリーと名乗る少女を見る。
(心の声が一切聞こえない。この距離で聞こえない人間なんて、初めてだぞ)
デルタの魔法は特別で、聞こうとしなくても、勝手に声や音が聞こえてくる。それが彼女にとっての常識であり、魔法に目覚めてからの日常であった。
相手がどれだけ強大な魔法少女でも、生まれたばかりの赤ん坊であっても。程度の差はあれど、必ず声が聞こえてくる。
だがしかし。
このドリーという少女だけは、例外であった。
「……いつから、そこに居たんだ?」
「ん? ずーっと前からかな。2人が内緒話、ブランコを独占したあたりから、わたしはここに居たよ」
「おいおい。それじゃ、ほぼ最初から会話を聞かれてたようなものだぞ」
そんなはずがないと、クロバラも判断する。
何も彼女たちは、目を瞑って会話をしていたわけではない。普通に前を向いて、時には顔を合わせて、そういった普通の会話をしていた。
目の前に見知らぬ少女が居たら、嫌でも気づくはずである。
「わたしね、内緒話とか、大事な秘密を守るのが得意なの。だから、2人の仲間に入れてほしいなって」
「……悪いが。さっきも言った通り、これは遊びじゃないんだ。ここで聞いたことは忘れて、また今度にしてくれないか?」
得体の知れない少女。これ以上、こちら側に近づかせるべきではない。
クロバラはそう考え、ドリーを遠ざけようとするものの。
その態度が、良くなかったのか。
「わたしを仲間外れにするの? そんなの、許さないんだから!」
ドリーは両手を合わせると、そこから溢れんばかりの魔力が発生。
世界が輝き出し。
まるで、全てが塗り替えられていくように。
周囲の風景が、まったく異なるものへと変貌していく。
「なっ」
クロバラもデルタも、その突然の魔法に驚きを隠せない。
何より、その魔力の強大さに。
それは世界を塗り替える魔法。
絵画を描くように。
筆で色を塗るように。
現代のイギリスとはまるで違う。
古風な街並みへと世界が変貌した。
「……これは、大昔のイギリスか?」
昔の写真、絵画などに触れる機会があったのか。クロバラはなんとなく、この風景を過去のイギリスと感じ取る。
デルタはただ、困惑している様子。
しかし、状況を正しく判断しているのは、デルタの方であった。
「どういう理屈だ? こんな魔法は、今まで見たことがない」
「落ち着け、これは全てハリボテだ」
「ハリボテ?」
「ああ。世界が変わったように、見せかけているだけ。耳を澄ませれば分かるが、周囲の様子は何一つ変わっていない。目に映っていないだけで、人や街は変わらずに存在している」
「そういう魔法、ということか」
状況を理解できれば、それほど慌てることではない。
言うなれば、幻覚を見せられているようなもの。規模は凄まじいが、幻覚ゆえに大した脅威ではない。
いつの間にか、術者であるドリーは建物の上に。
2人のことを見下ろしていた。
「ドリー! こんないたずらをしても、何の意味もないぞ。さっさと魔法を解除して、親のところに帰るんだな」
相も変わらず、突き放すようなクロバラの言葉に。
ドリーは、さらなる反発を。
「ふーんだ! そんなこと言うなら、これ、返してあげないよ?」
そう言って、ドリーが見せてきたのは。
クロバラが所持していた、小型通信機。
「なっ、いつの間に」
しっかりとポケットに入れていたはずだったが。
盗まれていたことに、クロバラは気づかなかった。
「おい、それは玩具じゃない。返してくれ」
「返してほしいなら、遊んでくれる?」
「……これは、厄介だな」
まるで、無邪気な子どものように。
しかし、やっていることは非常に高度なので、無視することも出来ない。
どうやって折り合いをつけるべきか、クロバラが悩んでいると。
「真面目に考えるな。ここは、わたしが対処してやろう」
デルタが、魔力を開放する。
「腐っても、帝国の魔法少女。こうも白昼堂々暴れられると、わたしも沽券に関わるからな」
軍人として、女王直属の精鋭として。
得体の知れない魔法少女を、これ以上野放しにするわけにはいかない。
デルタは瞬時に魔力の出力を上げると。
目にも留まらぬスピードで、ドリーのすぐ側まで。
盗まれた小型通信機を、奪い返そうとするものの。
「ざんねん!」
ドリーは飄々とした様子で、デルタの手からくぐり抜ける。
しかし、デルタもそれで終わるはずがなく。
少々、大人げないと自覚しつつも、ドリーの手に打撃を加えようとし。
それを、真正面から受け止められてしまう。
「なっ」
「な?」
確かに手加減はしたものの。速度に関しては、並の魔法少女では反応すら出来ないはず。
そんなデルタの打撃を、ドリーはやすやすと受け止めた。
その事実に、デルタの脳は、一瞬理解を拒絶する。
そんな彼女に対し、何を勘違いしたのか。
「あっ、分かった! 格闘ごっこがしたいんだ。いいよ、相手になってあげる!」
格闘ごっこ。ドリーは、この一連の動きをそう認識して。
何らかの、武術のような構えを取る。
「……あれは」
離れた場所からでも、クロバラはその動きに見覚えがあった。
「ほら、あなたも構えて。お互いに構えないと、攻撃しちゃダメなんだから」
「……いいだろう」
もはや理解不能。
しかし、デルタも腹をくくったのか。
格闘の構えを取り、ドリーと同じ土俵に上がる。
「よーし。ルイーゼ以外とやるのは初めてだから、ちょっと緊張しちゃう。そっちからで良いよ」
「分かった。怪我をしても、頼むから泣かないでくれよ」
腐ってもデルタは、帝国の正規の魔法少女である。
仮面の適合者として選ばれる前は、それなりに訓練を受けてきた。
デルタの全身に、強靭な魔力が満ちていく。
魔法少女の格闘戦は、魔力による肉体強化の度合いと、訓練によって培った技術によって勝敗を分ける。
デルタの持つ魔力は、間違いなく最上級。まともに相手になるのは、同格の魔法少女くらいなもの。
そのはず、だったのだが。
気がづけば、デルタは空を見上げていた。
(……いったい、なにが)
理解不能。
時系列の説明ができない。
顎を蹴られて、自分が吹き飛ばされている。
その現実を理解するのに、デルタはわずかに時間を要した。
「くっ」
空中で姿勢を立て直し、相手の方を向く。
ドリーはすでに蹴りの動作から戻っており、最初と同じ構えをしていた。
「舐め、るな」
もはや、格闘ごっこという単語すら忘れたのか。
デルタは本気で魔力を開放し。
目に見えない音波の波動が、ドリーへと襲いかかる。
しかし、それすらも。
魔力を応用した格闘術によって、ドリーは魔法すらもいなしていく。
幼い見た目とは裏腹に、その動きはまるで歴戦の達人のようであった。
「……冗談だろう」
予想外の展開に、デルタも冷静になる。
少なくとも、格闘術という一点においては、ドリーの実力はデルタのそれを遥かに凌駕していた。
下手に手を出すと、どうなるのか分からない。
(流石にここで、派手な魔法は使えんか)
デルタの本領は、潤沢な魔力による衝撃波攻撃である。
だがしかし、ここは街中。周囲に被害の出るような魔法は使えない。
一旦、冷静になるためにも、デルタはクロバラのそばへと戻った。
「……何だ、あいつは」
「そう言われても、わたしが知るわけないだろう」
驚いているのは、クロバラも同じこと。
大規模な魔法だけでなく、デルタを圧倒する格闘技術まで。
ただの魔法少女と言うには、無理のある存在である。
「あの動きからして、確実に正規の訓練を受けた人間だな。それも、並外れた練度だ」
「あんな化け物がイギリスに居るなら、わたしが知らないはずがない。そっち側、アジアの魔法少女じゃないのか? ほら、噂の七星剣とやらが居るだろう」
「その可能性は、確かにあり得るが」
クロバラは、アイリ以外の七星剣メンバーを知らない。
ゆえに、可能性を否定することは出来ないが。
それは違うと、本能が訴えている。
アジアやイギリス、そういった枠組みの話ではない。何か根本的な部分で、他の魔法少女とは異なっている。
魔獣としての直感か、クロバラはそう考えた。
そんな、彼女たちの疑問に応えるように。
「わたしはこの国の魔法少女よ。アジアなんて、遠い国のことはわからないわ」
ドリーはそう主張する。
「らしいが。デルタ、お前は心が読めるんだろう?」
「……そう、なんだが。どういうわけか、あいつからはまるで声が聞こえない。心の声以前に、あの普通の声でさえ、何かかがおかしい」
「それは妙だな」
クロバラもデルタも、どこか、ドリーという少女の異常性に気づいてる。
だが、何がおかしいのかが分からない。
少なくとも目に見える分には、彼女は普通の少女なのだから。
すると、
「格闘ごっこは終わり? なら今度は、魔法の見せ合いっこにしましょ!」
魔法の見せ合いとは、どういう意味なのか。
2人が、それを口にするより前に。
ドリーは、現実へと反映させる。
莫大な魔力が、広げられた少女の両手より溢れ出し。
またもや、世界を塗り替えていく。
炎によって構築された、巨大な鳥。
雷を帯びた龍。
地上を見下ろす、氷の巨人。
天候を変えるほどの、圧倒的な竜巻。
これでもかと、ドリーは魔法を見せつける。
「くそ、あのガキ。街を吹き飛ばすつもりか?」
純粋な脅威として、デルタはドリーの魔法を認識するものの。
「……」
クロバラは、別の意味で驚きを抱いていた。
(まったく異なる魔法を、たった1人で? 魔法少女の構造的に、あり得るのか?)
炎、雷、氷、風。
それらを同時に、なおかつここまでの規模で発生させる。
その、異常な光景に。
クロバラは、1つの結論へと達する。
「まさか、あれは魔法少女なんかじゃ――」
それを、口にする前に。
何かを察知したように。
ドリーは周囲の風景を含めて、全ての魔法を解除した。
何事もなかったかのように。
「ざんねん。そっちの魔法も見てみたかったけど、どうやら時間切れみたい」
そう口にするドリーは、本当にただの少女のように見える。
「怖いのに怒られる前に、わたしは帰るね。また会いましょ!」
そう言って、ドリーは消えていった。
空気に溶けていくように。
彼女の存在を証明するものは、もうどこにもない。
「まったく、得体の知れない怪物だったな」
「……ああ」
ドリーという少女。
デルタは、単なる脅威として。
対してクロバラは、また別の印象を感じていた。
しかし、面倒事は、間の悪いことに重なるもので。
「……まずい」
それを察知して、デルタは冷や汗をかく。
「どうした?」
「今すぐお前を。いや、もう遅いか」
すでに、諦めたように。
ドリーが消えて間もなく。
また別の存在が、2人の前へと現れた。
今度は、しっかりと空を飛んで。
洗練された動作で、彼女は地面へと着地する。
派手さの少ない黒いドレスと。
身に纏った魔力から、相当な魔法少女であることが察せられる。
どこか鋭さを帯びた、その表情を前に。
デルタは小さく、ため息を吐いた。
「――状況の説明を、お願いできますね?」
考えようによっては、ドリーよりもたちが悪い。
最悪の魔法少女が、2人の前に現れた。