第89話 帝国の裏側
ハイダ島。
魔獣から逃げ延びた生存者、魔法少女など。日本や北米といった枠組みを越えて、この島では大規模な開拓が行われていた。
この開拓の立役者である、アンラベル。
その中で唯一、イギリスへの潜入を行わなかったアイリの元に。
一羽の鳥が飛んでくる。
「これは、軍の暗号ですね」
あらゆる電波通信は、魔獣による妨害によって困難となっている。少なくとも、ハイダ島とイギリスの長距離通信は、このような手段を用いるしかなかった。
アイリには適切な知識があり、暗号文の解読をその場で行った。
「……なるほど」
記されていたのは、必要最低限の情報のみ。
ハイヴの存在と、潜入作戦の詳細な日時。
決行当日、イギリスからの撤退や戦闘の可能性もあるため、ホープによる援護を要請。
なには、ともあれ。
仲間たちが無事に上陸でき、作戦を遂行していることにアイリは安心する。
ハイヴなる、未知なる領域への潜入。非常に難易度の高い任務に思えるが、彼女たちならやってのけるだろう。
(信じていますよ、隊長)
作戦の決行まで、まだ猶予がある。
ホープの整備と、自身の鍛錬を出来るだけ。
離れていても、彼女も部隊の仲間なのだから。
◆
「はぁ……」
ハイダ島のアイリが、手紙を受け取っている頃。
アンラベルの隊長にして、この作戦に最も情熱を燃やしているはずのクロバラは。
なぜか、公園のブランコでたそがれていた。
例えるならそう、会社にリストラされ、行き場を失った父親のように。
その背中には、哀愁が漂っている。
理由は単純。
クロバラが、今回の作戦に参加できないからである。
英国ワルプルギスと、アンラベルのメンバー。それらが一丸となり、教会では潜入作戦のすり合わせが行われいてた。
レベッカとティファニーは、魔女として身分を偽り、リペア計画と呼ばれるものに参加する形でハイヴに潜入する。
残る年少メンバーは、出自を含めた全ての情報を一から捏造し、ボロが出ないようにしっかりと脳内に刷り込んだうえで、帝国軍の入隊試験に備える。
本来ならクロバラも、この年少組の作戦でハイヴに潜り込むはずだったのだが。
――でもクロバラちゃん、左目のあれはどうやって隠すの?
メイリンの何気ない一言により、クロバラの潜入計画は一瞬にして崩れ去った。
帝国の検査、ハイヴの検査は、アジアにおけるそれよりも厳重な可能性がある。
そもそも、クロバラが北京で試験に受かったのは、適性検査の結果をガラテアが改ざんしたからである。
また、クロバラの娘であるツバキの存在が、ここでも問題となった。
ツバキが普通に軍の一員としてデータベースに登録されている場合、当然ながらクロバラのそれと一致する部分が出てきてしまうだろう。
体内に存在する魔獣の因子と、娘のツバキの存在。
2つの大き過ぎるリスクを顧みて、クロバラの潜入計画は白紙となった。
魔女への偽装も、新兵への偽装も出来ない。
何とか代替案をひねり出そうとしたのだが。
結果として、クロバラは公園のブランコへと行き着いた。
職を失った父親、言い得て妙である。
「はぁ……」
これで、何度目のため息だろうか。
自身の家族に繋がるかも知れない作戦のため、どうしてもクロバラはハイヴの零領域へと潜入したかった。
他のメンバーでは気付けないことも、クロバラなら気づけるかも知れない。何より、もしも仮にプリシラが居たとしたら、もっとも円滑に会話を行えるのはクロバラ自身である。
だがしかし、ハイヴのセキュリティを突破するには、クロバラは最も向かない存在でもあった。
この自分の体を、今ほど恨めしく思ったことはない。
他のメンバーの邪魔にならないように。
ワルプルギスとの関係を、他の第三者に悟られないように。
行き着いた先が、このブランコであった。
軍の規定年齢に満たない、幼い少女たちが公園で遊んでいる。
それを見守っている魔法少女たちは、きっと軍隊か、他の何らかの職業についているのだろう。
「はぁ……」
ひたすら、虚無を満喫するクロバラであったが。
「――そんなにため息を吐くと、幸福が逃げるぞ?」
音もなく、現れたのは1人の魔法少女。
クロバラはその感覚を知っているため、ゆっくりと振り向いた。
「デルタ、だったな。今日は非番なのか?」
「そうだな。わたしはこの国にとって重要な戦力の1人だ。真面目に仕事をするのは、週末の夜だけだ」
オレンジのロングヘアが特徴的な、大人びた雰囲気の魔法少女。
グランドクロスの一角、デルタである。
プライベートなのか、白を基調としたシックなデザインのドレスに身を包んでいる。
「それにしても、ハイヴへの潜入か。ここへ来て僅かだというのに、お前たちは大胆なことを考える」
「……そうだったな。お前が居る限り、こちらの作戦は筒抜けか」
デルタは特殊な魔法少女であり、どんな些細な音も見逃さない。
心の中の声ですら、彼女には筒抜けであった。
「ふふっ、安心すると良い。お前たちの存在も、その計画も、わたしはどこにも伝えていない。決行当日には、そうだな。酒場で飲んだくれていた、という設定にしておこうか」
「わたしが言うのもなんだが、お前は本当に帝国軍の魔法少女なのか?」
「もちろん。ほら、バッジもある」
そう言って彼女が取り出したのは、薄汚れた1枚の硬貨。
どう見ても、バッジではない。
「まいったな、また失くしたらしい」
「お前がどういう奴なのか、少し分かった気がするよ」
能力は優秀だが、軍に対する忠誠心は低い。
クロバラの記憶内にも、こういった性格の持ち主はそれなりに多く存在した。
「……お前は随分と、たくさんの魔法少女を知っているらしいな。明らかに、年齢とそぐわない。」
「わたしに関する秘密を知りたいのか? だったら、それなりに忍耐が必要だぞ?」
「あぁ、別にその必要はない。……クロガネ教官、だったか? まさかお前が、あのツバキの父親とは、とても信じられん事実だが」
「そこまで知っていたのか」
「言っただろう? わたしには全部筒抜けだ。お前たちは教会の地下で秘密裏に作戦を練っていたようだが、わたしからしてみれば、隣の部屋で密談しているくらいの感覚だ」
デルタは、本気になればイギリス全土の音を聞き分けられる存在である。
クロバラたちの計画など、すでに全貌を把握していた。
「あの夜は、見逃してくれたが。お前のことは、味方と考えてもいいのか?」
「ほぅ、随分と大胆だな。わたしを、帝国魔法少女、女王直属の精鋭と知っての発言か?」
「ああ。どうやらお前も、何かしらの変化を求めている気がしてな」
「……面白い」
クロバラの言葉に、何やら思うことがあったのか。
対等な立場で話をするべく、デルタは隣のブランコへと座った。
「わたし達の会話は、他の誰にも聞こえないようになっている。ここは、内緒話と洒落込もう」
「便利な魔法だな」
聞き分けるだけでなく、音そのものを操れるのか。
デルタの力の一端を垣間見る。
「この国を見て、正直どう思った?」
「そうだな。目に見える範囲では、国民全員が幸福そうで。戦時中にもかかわらず、栄えている国だと思ったよ」
「ふむ。目に見える範囲というのは、何か含みのある言い方だな」
「まぁ、そうとしか言いようがない。わたしが見ているのは、きっとこの国の表面だけなんだろう」
文明が栄え、何不自由のない国。
まさに、魔法少女にとっての楽園。
だがしかし、明らかな違和感がそこには存在する。
「この国に、男は存在しないのか?」
それが、大きな一つの疑問。
この国にやって来てから、ただの一度も、クロバラは男の存在を確認していない。
犬や猫など、愛玩動物ですらそれなりに目にしているというのに。
まるで、気味の悪い悪夢のように。
「……男は居るさ。わたし達の、足元にな」
静かに、デルタは告げる。
この国の裏の姿を。
「まさか、ハイヴ?」
「いいや、ハイヴとは別の地下施設だ。農業プラント、というべきかな。そこでは、農業を含めた一次産業に、全ての男たちが動員されている」
「彼らは、地上に出ることを許されていないのか?」
「少なくとも、今はそうだな」
「今は?」
「ああ。魔獣との戦争が始まる前は、男たちも地上での生活を許されていた。だが、戦争が始まると、政府は安全のためと、男どもを地下へと押し込めた」
それが、男を一度も見かけない理由。
「仮に、ここで戦闘が起こった場合。魔法少女なら、すぐさま飛行魔法で避難することが出来る。だがしかし、男はそうもいかない」
「なるほど」
「まだ幼い少女だろうと、退役した魔女であろうと、飛行魔法程度なら使える。戦闘による被害を最小限にするためには、男が居ないほうが都合がいいんだ」
今は戦争中だから。
危険だから、男は地下へと閉じ込められている。
理屈は理解できるが、それでもクロバラからしてみれば信じられない政策であった。
「アジアでは、考えられないやり方だな。まさか、ここまで男の立場が弱いとは」
「当然だ。この国では、トップである女王を始め、国政に関わるほぼ全ての者が魔法少女だ。きっと陛下の瞳には、魔法少女以外が見えていないんだろう」
女王直属の精鋭部隊、グランドクラス。
その一員だからこそ、デルタには見えているものがあるのだろう。
クロバラですら察し得ない、この国の歪さを。
「お前は、特殊な立場の魔法少女なんだろう? ハイヴの最下層、零領域に入ったことがあるんじゃないか?」
「……そうだな。あると言えば、あるが。残念ながら、お前の求める情報は持っていない。たった一度、仮面を授かる際に訪れただけだ」
「わたしを、零領域まで連れて行くことは可能か?」
「ふふっ。まったく、お前は遠慮というものを知らないのか? 腐っても帝国兵士であるわたしに、そんなことを尋ねるとは」
「そのつもりがあるから。お前はこうして、わたしに接触しているんだろう?」
「……やれやれ、お見通しか」
残念ながら、クロバラは見た目通りの魔法少女ではない。
他人のことを観察する確かな目を持っており、デルタに関しても、すでに人となりを掴み始めていた。
デルタは、1枚の紙切れをクロバラに渡す。
「決行当日、お前はそこへ来い。わたしが直接、ハイヴの下層まで連れて行こう」
「良いのか? もしもバレたら、立場が危うくなる、なんてレベルの話じゃないと思うが」
「構わない。わたしでは、どう足掻こうと女王には逆らえない。この国を変えられない。……だがお前たちなら、あるいは」
デルタには、デルタの目的がある。
それがたまたま、クロバラたちの目的と重なったに過ぎない。
「頼む。零領域を暴いてくれ。この国を歪めている何かが、きっとあの場所に――」
「――お姉ちゃんたち、内緒話?」
「ッ!?」
突如として聞こえた声に、デルタは戦慄する。
あり得ない。
この距離まで近づかれて、話しかけられるまで、存在に気づかないなど。
「ねぇ、わたしも混ぜてよ!」
現れたのは、1人の少女。
屈託のない笑みを浮かべた、幼い少女であった。