第88話 ハイヴ
ボードに貼り付けられた、1枚の大きな紙。地図、あるいは図面のように見えるそれに、アンラベルのメンバーは目を向ける。
そんな彼女たちに対して、シャルロッテが説明をする。
「これは、区画図です。ハイヴと呼ばれる、巨大な地下施設の」
ハイヴ、地下施設。まったく聞き覚えのない単語に、メンバーたちは困惑する。
「この国では、ありとあらゆる技術、魔法の研究が地下で行われています。そこに、例外はありません」
区画図を指し示しながら、シャルロッテは詳細を説明する。
「上層。比較的地上に近い施設では、重要度の低い、一般にも向けられた技術の開発が行われています」
区画図の上の部分を指し示す。
「次に中層。ここでは、より専門的な分野。いうなれば、軍事技術などの開発を行われています」
区画図の中心を指し示す。
「そして、下層。ここでは、わたし達では想像もつかないような最新技術、あるいは国家機密などを扱っています。当然ですが、下層に近づくにつれて、施設内のセキュリティは段違いに上がっていくでしょう」
これが、ハイヴ。
英国の地下に築き上げられた、巨大な研究施設。
「北京の緊急通路、俗に言う地下迷宮は知っていますね? あれも確かに広大でしたが、これはより地下深くへと続く構造になっており、1つの世界が広がっていると考えてください」
「これは、途方もない話だな」
ハイヴという存在を前にして、クロバラの口から思わず本音が出る。
元々、イギリスはアジアを中心とした他国を警戒して、主要な研究施設を地下へと建設した。どのような技術を開発し、どれだけの戦力を有しているのか、それを他国に知られないように。
そしてそれは、はからずも魔獣相手にも功を奏した。
正規軍にすら知られていなかった仮面の部隊、グランドクロス。そして、すでに実用段階へと達していた軍用魔導デバイス。それらの秘匿戦力を開放することにより、イギリスは魔獣による侵攻を跳ね除けた。
予兆なき奇襲、世界に大打撃を与えた一斉攻撃。魔獣は日本を中心としたアジアを警戒し、イギリスにはそれほど多くの戦力を割かなかった。
それに加えて、時間帯の問題もある。北京では、深夜に発生した奇襲であったが。ここイギリスでは、まだ夕方であった。つまり、国がまだ起きている時間帯に襲撃が発生した。
他国よりも軽視された襲撃、ハイヴに秘匿された戦力、夕方という時間帯。それらの要因が重なったことで、イギリス本土はほぼ無傷という大勝利を収めることが出来た。
その結果、意図せずイギリスは、この世界で唯一、魔獣と正面から戦うことの出来る国となった。
「さて、話をハイヴへと戻します。なぜ、わたしがここを重要視、プリシラに繋がる場所であると考えたのか」
重要なのは、そこである。
「先ほど説明した通り、すでにこの国では、軍用魔導デバイスが実戦投入されています。アジアでは、まだのはずでしたよね」
「そうだな。なにせ、ここに居るわたしたが、その試験運用を行う部隊だった」
魔導デバイス。
両国で、まったく同じ代物ではないだろうが。実戦投入という意味では、イギリスはアジアより先を行っていた。
「ここで、単純な話です。魔導デバイス、その基礎理論を構築したのは誰でしょう? 実用化にあたって、最も優れた人材は?」
「……プリシラ、ということになるな」
ようやく、話の全貌が見えてくる。
自分たちの目指すものが、どこに存在しているのかを。
◇
「つーかよぉ。こんだけデカい施設だと、ネズミ一匹見つけ出すのも難しくねぇか?」
広大なハイヴの区画図を前に、ティファニーがつぶやく。
「ご心配なく。すでに、おおよその目安はついています」
シャルロッテは、余裕の笑みを浮かべる。
「プリシラ。彼女ほどの科学者となれば、当然居るのは下層です。そして、下層の中でも、ハイヴにはトップシークレットとされている場所があります」
そう言って指し示すのは、区画図の一番下に存在する場所。
「ここは、零領域。ハイヴに勤務する他の技術者ですら、立ち入りを許されていない区画です」
零領域。
それは、この国の最深部。
「情報によると、ここに出入り可能なのは、仮面の魔法少女や、女王の側近など、わずか数人のみだとか。つまり、よほど重要な何かが、ここにあるはずです」
「つまり、国の心臓部。中枢に関わるような技術を、開発していると?」
「はい。そしてわたしの知る限り、そんなことを任される技術者は、プリシラだけでしょう。それにこれなら、彼女の姿がまったくもって確認できない理由にもなります」
ハイヴの最下層、地上から最も離れた研究施設。
地上でどれだけ情報を集めても、見つからないはずである。
「……確かに。今思い返してみれば、プリシラは地下が好きだった。なんというか、習性というべきだろうか。大事な物を、地下に埋める癖があった」
「……なるほど。それは、初耳です」
果たして、それは役に立つ情報であろうか。
メンバーたちは、聞かなかったことにした。
「零領域、とまでは流石に言わない。だが、ハイヴに合法的に潜り込むことは可能か?」
クロバラが、シャルロッテに尋ねる。
「そうですね。軍は今現在、さらなる戦力拡大を行っています。単に魔法少女の動員数を増やすだけでなく、すでに一線を退いた者たち、つまりは魔女さえも」
「そんな、無茶な」
「ええ。知っての通り、わたし達は現役時代とは比べ物にならないほどに魔力が退化しています。ですが、そこで登場するのが軍用魔導デバイスです。デバイスによって足りない魔力を補うことで、わたし達を再び戦力として活用しようと考えているのでしょう」
「……」
「軍いわく、リペア計画と呼んでいるそうです」
引退した魔法少女までもが、再び前線へと引き戻される。
あまりにも横暴な計画に、クロバラは怒りすら感じていた。
「教官のような、幼い見た目の人は無理ですが。そちらの2人のように、少々大人びた方なら。化粧等で年齢を誤魔化せば、ハイヴに入り込めるかも知れません」
2人というのは、ティファニーとレベッカのこと。
確かに彼女たちは、魔法少女の中では外見年齢が上の部類であった。
「はっ、残念だったな、ガキども」
「いや、ティファニーさん。わたし達これから、老け顔メイクをするんデスよ?」
「……ぬっ」
なぜなら、魔女として潜入するのだから。
今のままでは、2人はあまりにも若々しかった。
「そして、ハイヴに潜り込む道はもう1つあります。そしてこれは、見た目が幼いほどに有効となるでしょう」
「どういうことだ?」
ようやく自分も動けそうだと、クロバラは食い気味に尋ねる。
「正面から、門を叩くのです。つまり、軍への入隊試験を受けてもらいます」
軍への入隊試験。
まさかの作戦に、メンバーたちは驚きを隠せない。
「無理な話ではないでしょう。なにせあなた達は、アジアの魔法少女なのだから。向こうでは軍属でも、こちらにその情報は出回っていません。ゆえに、わたし達が必要な書類を用意すれば、あなた達はまっさらな少女として、軍の門を叩くことが可能になります」
奇しくもそれは、クロバラがやったのと同じ方法。
軍人を目指す魔法少女の卵として、正面から入隊試験を受ける。
「魔力強度の測定などもあるため、入隊試験はハイヴにて行われます。また、最近軍は強力な魔力の持ち主を探しているそうなので。運良く行けば、下層への足がかりになるかも知れません」
「強力な」
「魔力の、持ち主?」
自然と、メンバーたちの視線が、最年少であるメイリンの元へと集まる。
「……」
「確かに、ホープのステルスも起動できるくらい、メイリンの魔力は優れている。これは、きっと軍も見逃さない」
「ゼノビアちゃん!?」
自分は巨大な餌なのか、と。
メイリンはショックを受ける。
「外見から判断して、年少者は入隊試験を。残る2人は、我々ワルプルギスの魔女として、ハイヴに潜入してもらいます。……これが、わたしから提案できる、作戦の全てです」
ハイヴ。
巨大な要塞を前に、アンラベルの少女たちは選択を迫られる。