第87話 シャルロッテ(2)
「これより目標、個体名パラサイトの殲滅を行います」
この時代に、この身体で目を覚まして。
少女、クロバラに浴びせられたのは、熾烈な洗礼であった。
何一つ状況が理解できないまま、左目に宿る異端のせいで、こうして魔獣として処理されようとされる。
まったく、たまったものではない。
「ちっ」
上空からの狙撃をギリギリで避けながら、クロバラは研究所から離れていく。
なるべく敵の視界から逃れようと、森の中へと逃げたのだが。どうやら完全にマークされているのか、振り切れそうにない。
なれない肉体ゆえに、転倒し、泥だらけになりながら。
それでも生きるために、ひたすら前へと突き進む。
「……」
そんな、必死な様子を見てか。
上空の魔法少女は、なんとも言えない表情でクロバラを射程に捉える。
「こちらシャドウ1。標的に攻撃の意思は無し。ただ、逃げ回っているように見えます。致死性の武器ではなく、捕獲に切り替えるべきでは?」
そう、上層部に確認を取るも。
どうやら、その提案は却下された様子。
彼女とて、魔法少女の1人である。
自分と変わらない存在を標的にするのは、精神的に気分の良いものではない。
「……クソッタレの科学者ども。お前たちの招いた結果だろうに」
悪態をつきながら、魔法少女はクロバラへの攻撃を続ける。
ここまで、わざと手を抜いてきたものの。
任務である以上、覚悟を決める時がやって来た。
魔力を開放し、本気で標的を狙い撃つ。
「ごめんね」
そう言って放たれたのは、鋭い魔力の弾丸。
これまでの攻撃が、まるで遊びに思えるほどの一撃である。
先程までの動きを見るに、避けられるはずがない。
だが、しかし。
「くっ」
クロバラは、それを紙一重で回避した。
「そんな……」
まさか避けられるとは。
本気の一撃が外れたことに、魔法少女は驚きを隠せない。
それは、避けた本人も同じであった。
消し飛ばされた着弾点を見ながら、クロバラは冷や汗をかく。
(なんだ、今の感覚。明らかに普通ではなかった)
静かに目覚めつつあったのは、左目に宿る魔獣の因子。
逃げるため、生き延びるために。この短期間で、クロバラの肉体はすでに変異を始めていた。
魔力への感知能力の増大。
少女の体では考えられないスピード。
荒れ地を踏破できる丈夫な足。
まさに、魔獣そのもの。
人間でも魔法少女でもない存在として、その肉体は変異していく。
変異は止まらない。
「……そんな、嘘でしょ」
クロバラを追っていた魔法少女は、思わず空中で止まってしまう。
彼女が今まで頼りにしていたのは、魔獣の反応を捉える小型のレーダー。
大戦時から改良を施された代物で、少なくとも数km圏内の魔獣を完璧に探知することが可能である。
だがしかし。
先程まで捉えていた反応を、すでにレーダーは見失っていた。
まだかろうじて、彼女自身の目では追えている。
白い少女が、森を駆けていく姿を。
しかしレーダーには、何も映っていない。
魔獣の能力に、人間の知性が加わった影響だろうか。
レーダーから逃れるべく、クロバラの肉体は一種のステルス能力を獲得しつつあった。
もはや機械では、彼女を魔獣と識別できないほどに。
「……」
白い影が、鬱蒼とした森の中へと消えていく。
すでにレーダーは当てにならず、肉眼で追うしか方法はない。
命令は、目標を排除すること。
それでも、彼女の本心は。
「――こちらシャドウ1。目標を、見失いました」
それを免罪符とするように。
静かに、銃口を下ろした。
◆
『市民の皆様。ただいま、軍より緊急事態宣言が発令されています。違法な活動を行う魔法少女がこの街に潜伏しており、その確保が完了するまで、市民の皆様は外出を控えてください。もしも、不審な魔法少女を見かけた場合は――』
研究所から遠く離れた夜の街、上海。
すでにこの街では、クロバラに対する厳戒態勢が敷かれていた。
(……随分と、しつこいな)
物陰で息を潜めながら、クロバラは周囲の様子をうかがう。
すでに、何らかの指令が軍より下っているのか。魔法少女を含めた軍隊が、すでに上海に溢れていた。
隠れるのなら街の中。そう思いここまでやって来たのだが、すでに逃げ場は存在しない。
何とか、隠れ家となる場所を見つけられないだろうか、と。
静かに、闇に紛れながら移動するクロバラであったが。
「ッ」
「なっ」
不運にも、市民と思われる存在と鉢合わせてしまう。
人気のない路地裏だからと、油断したのが間違いであった。
とは言え、相手は自分を捉えようとする軍人ではない。
現に、クロバラと鉢合わせたことで固まってしまっている。
叫ばれる前に、なるべく遠くへ。
そう思い、逃げようとするクロバラであったが。
「ま、待ってください」
自分を呼び止めようとする、市民の声。本来なら、気にせずに走り去ろうとするのだが。
どこか、懐かしさを感じる声に、クロバラは足を止める。
「言葉は、通じますか? わたしは、あなたの敵ではありません」
ゆっくりと、ただ誠実に。その市民、女性は、クロバラに声をかける。
「すぐそこに、私の家がありますので。どうかそこで、お話をしませんか?」
その声に、クロバラは振り向いて。
お互いに、顔を見合わせて。
2人とも、驚いた。
なぜなら互いに。
見覚えのある顔だったのだから。
◇
女性に案内されて、クロバラは彼女の家へ。
自宅兼、普段はバーとして営業している店へとやってくる。
落ち着いた雰囲気で、どこか居心地がいい。
自然と、クロバラの警戒心も薄れていた。
「すみません。アルコール以外を切らしていまして。お茶は、飲めますか?」
「あぁ、ありがとう」
提供された飲み物を、一応、匂いだけ確認して。
走りっぱなしで喉も乾いていたので、クロバラは一気に飲み干してく。
そんな様子を、女性はまじまじと見つめていて。
一言、つぶやいた。
「失礼ですが。あなたは、ツバキという人と、関係はありますか?」
「……やはり。お前、シャルロッテか」
「なっ、どうしてわたしの名前を」
名前を呼ばれたことに、女性、シャルロッテは驚きを隠せない。
対する白い少女は、なんとも言えない表情で、成長した彼女の姿を見つめる。
「とても、信じられないかも知れんが」
左目に魔獣を宿した、白い髪の少女。
彼女が話すのは、自分という存在について。
かつて自分が、クロガネと呼ばれる人間であった過去。
――では、クロガネ教官。わたしも、これにて失礼します。
――局長だ。いい加減、教官はよせ。
それは、2人だけの記憶。
他の誰も、それを知る者は居ない。
――わたし、もしもこの戦争が終わったら、魔法少女を引退するつもりなんです。お酒を出す店、バーを経営するのが夢なので。
――そうか。魔法少女は退職金も多い、お前ならやっていけるだろう。
――ええ。お店が完成したら、ぜひ教官もお越しになってください。
――考えておく。
それが、最後の会話。
それが、今生の別れとなってしまった。
そのはず、だったのに。
いま目の前には、自身をクロガネと名乗る者が存在している。
「教官、なんですか?」
「ああ。こんな姿で、とても信じれられないだろうが――」
言葉を言い終わる前に。
シャルロッテは、その小さな身体を抱きしめていた。
その存在を、確かめるように。
「信じます。いいえ、信じさせてください」
魔法少女を引退して、時が経ち。
すっかりシャルロッテは、大人の女性へと成長していた。
けれども、思い出は色褪せない。
あの頃のように。
まだ少女であった時のように、シャルロッテは涙を流した。
◆
「まぁ。というわけで、わたしはシャルロッテに保護されたわけだ」
アンラベルのメンバーの前で、クロバラはシャルロッテとの関係を説明する。
先程まで、皆テンション高めに食事を楽しんでいたのだが。
いつしか、話に感化されてか、数名は涙ぐんでいた。
「クロバラという名を考えたのも、わたしです。今の教官に、ふさわしい名前かと思いまして」
「そうだな。今となっては、しっくりと来るよ」
研究所から逃げ延び、出会ったばかりの頃。
まだ、名もなき白い髪の少女であった。
けれども、クロバラという新しい名前を与えられて。
再び1人の人間として、この世に生を受けた。
「当然シャルロッテにも、プリシラやツバキについて尋ねたんだが。あいにく、情報は無くてな。アジアの筆頭魔女であるオクタビアなら、と。招待状と、北京への移動手段を用意してもらったんだ」
それが、すべての始まり。
クロバラが、北京へとやって来た理由。
結局のところ、オクタビアも2人に繋がる情報を有しておらず、クロバラは軍に接触することを決意したのだが。
「実はその間、シャルロッテはイギリスに渡っていたんだ」
それは、彼女自身が望んだこと。
恩師であるクロバラに報いるために。何か少しでも協力できないかと思い、シャルロッテは情報を探るべく、単身イギリスへと渡った。
「ある程度情報を集めたら、わたしも北京へ向かう予定だったのですが。あいにく、今はこのような状況ですので」
新たな魔獣による、世界規模の侵略作戦。
再び訪れた戦争によって、シャルロッテはイギリスに留まることになった。
ひたすら、クロバラの身を案じながら。
そして今日、2人は再会した。
「それで、なんだが。この国に来て、何か有益な情報は掴めたか?」
「はい。……1つ、確信に近いであろうものを」
そう言って。
シャルロッテは、1枚の巨大な地図のようなものを広げた。