第97話 プリシラ(3)
MGウイルス。
魔獣の死骸を解剖している際に、偶然にもプリシラはそれを発見した。
地球上のどの生物とも合致しない、魔獣のみが持つ特異性。それを支えているのが、この未知なるウイルスであると。
魔獣は、このウイルスを他の植物に感染させることで、同じく魔獣へと変化させ、個体を増やしていく。
緑に溢れたこの地球という惑星は、魔獣にとって最高の繁殖地であった。
それが、ウイルスによるものだと気づくまで。何百年もの間、人類は魔獣という不明瞭なカテゴリーの存在と戦い続けるしかなかった。
植物を起源とする何か、花を主体とする何か、人類を憎む何か。分かっているのはそれだけで、その生命力の根底にあるものに気づかなかった。
ゆえに、多くの土地を失い、魔法少女という超常的存在の力に頼って。じわじわと、人類はその数を減らしていった。
それが、終わりのない戦争。
200年以上も続いた、人類にとっての地獄の時代。
だがしかし、プリシラがMGVの存在に気づいたことで、ようやく戦争は1つの終着点へと辿り着いた。
生物兵器、MGVキラー。MGウイルスのみを破壊する生物兵器であり、その他の生命体には何ら影響は与えない。
開発者であるプリシラ本人が、自らの身体で人体実験を行い、魔法少女にも無害であることが証明され。MGVキラーは、人類の切り札として戦場に投下された。
それが、最終作戦ラグナロク。
かつてのクロバラが命を賭してまで守った、最後の希望。
事実、当初は大成功だと思われた。
歴史の教科書にも、ラグナロクは戦争を終わらせた偉大なる作戦だと記録されている。
しかし、その輝かしい勝利の影で。
静かに、それでいて着実に、魔法少女たちの間でとある病が蔓延するようになっていた。
それが、ハート病である。
◆
信じがたい。受け入れがたい事実に、クロバラは頭を抱える。
自分を支えていた大きな何かが、崩れ去っていくような。
「落ち着け、クロガネ。君には何の罪もない。もちろん、開発者であるプリシラにもね。あれは誰にも気づきようのない、不幸な事故だったんだ」
シェルドンが、静かに慰めの言葉を送る。
だがそれでも、簡単に受け止められる事実ではない。
MGVキラー。自分たちの生み出した兵器によって、魔獣だけでなく、魔法少女たちの命まで奪ってしまった。
それでは、意味がない。
守りたかったものを、壊してしまう兵器など。
「多くの魔法少女が、ハート病、心不全によって亡くなったと聞いた。あの時代を戦った仲間の、ほぼ全てが、だぞ」
「……どのみち、キラーによる決定打が無ければ、人類はジリジリと生存域を減らすだけだった。それに、君たちが作らなくても、遅かれ早かれ誰かがウイルスの存在に気づき、同様の生物兵器を作っていたはずだ。そして同じように、これが繰り返された」
それが、歴史というもの。誰かがやらなくても、他の誰かが必ず同じようなことをする。
歴史に名前を残すのは、早いか遅いか、ただそれだけ。
クロバラやプリシラは、その宿命を背負わなければならない。
「それに、君たちだからこそ、ラグナロクを実現できたんだ」
「どういう意味だ?」
「あの時、君たちの研究所を魔獣が襲撃したのは、単なる偶然じゃなかったのさ」
シェルドンが語るのは、あの日の真相。
「魔獣たちは理解していたのさ。自分たちを滅ぼすような何かが、そこで生み出されたという事実にね。だから、本来ならあり得ないルートで魔獣たちは動き、研究所を襲った」
魔獣もその特殊なウイルスによって力を得ている存在である。
ゆえに、本能的にキラーの存在に気づいたのだろう。
「実は、研究所が襲われたのとほぼ同時に、空輸されていたキラーも魔獣による襲撃を受けていたんだ」
「なに」
「君はもちろん、死んじゃったから知らないだろうけどね。護衛の魔法少女が居なかったら、キラーは間違いなく破壊されていた」
護衛の魔法少女。
クロバラの記憶が確かなら、それはシャルロッテのことだろう。
「研究所が襲撃を受けた時、君は救援を求めることも出来たはずだ。それでも君は、キラーが少しでも確実に輸送されるよう、部隊に救援を求めなかった。そして、その選択をしたからこそ、キラーは無事に運ばれた。……君という、犠牲を払ってね」
MGVキラー。それを生み出したことが罪ならば。
クロバラは一度、死という形で罰を受けたことになる。
今があるのは、また別の戦いを行うため。
「……キラーの治療薬を作ったのは、プリシラか」
「もちろん。彼女も自分自身の手で、それにけじめをつけたのさ」
魔法少女を殺す病、ハート病。
その起源を生み出してしまった責任を取るため、プリシラは治療薬を開発した。
しかし、それは何よりも過酷な茨の道であった。
そもそも、なぜプリシラは開発段階で気づくことが出来なかったのか。
それは、効果の出る遅さであった。
「まぁ結論から言うと、魔法少女にもMGVが存在するんだ。だからこそ、キラーの効果を受けることになった」
「だが。魔獣と魔法少女に同じウイルスが存在するなんて、聞いたことがないぞ」
そもそも。それならば、開発段階でプリシラが真っ先に気づくはずである。
「……正確には、魔法少女の保有するのは、MGVの変異株なんだ」
「変異、株?」
「そう。これはあくまでも推論なんだけど。はるかな昔、魔獣や魔法少女が誕生したばかりの時代。おそらくその当時は、両者の体内にあるのは全く同じウイルスだったんだろう。けれども、魔獣と魔法少女、異なる宿主の中で生き続け、独自の変異を遂げた結果。今ではもう、似ても似つかないレベルにまで変異してしまったんだ」
それが、プリシラが気付けなかった理由。
元を辿れば同じでも、あまりにも形を変えてしまったため、同じウイルスだと気付けなかった。
そしてそれは、キラーの効力にも影響を与えることになる。
「魔法少女の力の源は心臓だ。魔力炉として進化した心臓が魔力を発生させ、魔法少女は超常的な力を発揮する」
「進化した心臓。つまり、魔法少女たちが心不全になったのは」
「そう。主に心臓付近に集まっているMGVが破壊され、魔力とともに、心臓そのものの機能まで低下していったんだ」
それが、ハート病の真実。
同じMGVでも、変異の影響でキラーの効果が出るのが遅くなり、それゆえに発見にも時間がかかってしまった。
「魔獣に対しては、ほぼ即死という速度で発動したキラーだったけど。魔法少女たちが死に至るまでは、半年から一年ほどの時間を有した。そしてプリシラが治療薬の開発に成功したのは、ラグナロクからほぼ一年後。つまり、治療薬が完成した頃には、ほぼ全ての患者が手遅れになっていた」
それだけでも、苦しい事実だが。
プリシラは、さらに大きな問題に直面していた。
「君も、分かるだろう。MGVキラーによる心機能の低下。それを最も早く受けていたのが、誰だったのか」
「……プリシラ、本人か」
そもそも、MGVキラーはプリシラが開発したもの。
ラグナロクで実戦投入されるよりもずっと早く、プリシラは自分自身の体で、キラーによる副作用がないかを確認していた。
(そういえば)
クロバラは、10年前のことを思い出す。
魔獣によって、研究所が襲撃を受けたあの日。
あの日の時点で、すでにプリシラは飛行に難を感じるほどの魔力低下を引き起こしていた。
単に加齢によるものだと、あの時は思い込んでいたものの。
すでに、プリシラはキラーの影響を受けていた。
「だが、プリシラが治療薬を完成させたのは、ラグナロクの一年後だろう? なぜ、そこまで生き延びることが」
「……機械式の、人工心臓だよ。彼女は自分自身に無茶な延命治療を施しながら、並行してキラーの治療薬を開発していたんだ。まったく、恐るべき執念だよ」
決して表沙汰にはならない、プリシラの記録。
ラグナロク後の一年を、彼女は文字通り、死ぬ気で戦い抜いた。
「とはいえ、そんな無茶をしたせいで、彼女の身体は限界を迎えていてね。魔力炉である心臓すら失ったものだから。当然、自分自身の魔力にも頼れない。……それでも。そんな中でも、彼女は一生懸命に生きたんだ」
だから、シェルドンはここに1人で残っている。
彼女の残したものを、少しでも多くやり遂げるために。
「死期を悟って、故郷へと帰った。そんなプリシラの決定を、僕は誇りに思う。彼女は1人の人間として、人生を最後まで歩むと決めたんだから」
「……そうか」
それが、プリシラという女性の最後。
この零領域にのみ残された、確かな軌跡。
「……そんなに、頑張ってくれたのか」
プリシラは、もう居ない。
その事実は、幾重にも折り重なって、クロバラの胸へと入っていった。