目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第95話 プリシラ(1)

第95話 プリシラ(1)





「プリシラが。この世に居ない、だと」




 大英帝国の地下深く。零領域へと辿り着いたクロバラを待ち受けていたのは、そんな無慈悲な真実であった。

 ここに残った唯一の科学者。シェルドンも、悲しみに満ちた表情でそれを語る。




「以前、仮面を着けたツバキと出会った。あの子が帝国に居る以上、プリシラもここに居ると踏んだんだが」


「ツバキちゃんと、会ったのかい? 今の彼女が、まともに会話できる状況とは思えないが」


「ああ。昔とは、とても面影が見られなかった。まるで、憎しみに心を奪われたような。一体、ツバキに何があったんだ?」




 その問いに、シェルドンは申し訳無さそうな表情をする。




「すまない。ツバキちゃんが、あんな状態になったのは、僕の責任なんだ」


「……どういうことだ」


「とある実験。女王陛下のためのプロジェクトに、ツバキちゃんが立候補してね。僕がそれを担当して、見事に失敗したんだ。それ以降彼女は、精神的に不安定になり、心は憎しみに囚われてしまっている」


「意味が、まるで分からない。なぜツバキが、そんな実験に参加したんだ? プリシラは何をしていた」


「色々と、複雑な事情があってね。……そもそも君は、いつ蘇ったんだい?」


「つい、最近だ。上海の研究施設で目を覚ました。調べてもらった情報によると、軍がプリシラの残したデータから実験を行い。偶発的に、わたしが生き返ることになった」


「そうか。君がもっと、早くここへ来ていれば。……いいや、それも言い訳か」




 時計の針は戻せない。

 起きてしまった出来事は、帳消しには出来ない。


 戦争が終わり、10年の月日が流れて。

 あまりにも多くのものが変わってしまった。















「およそ、8年前。プリシラはある仕事を受けて、この国へとやって来たんだ。もちろん、ツバキちゃんも一緒にね」




 落ち着いて話をするべく。

 クロバラとシェルドンは、積み重なった書類の束をどかして、そこに座り込んでいた。




「それは、女王関係の仕事か?」


「その通り。まぁ、それは後で説明するとして。君が気になるのはツバキちゃんのことだろう?」


「ああ」


「君が、覚えているかは知らないが。プリシラは君が死ぬ直前、君からツバキちゃんを託されて。それからずっと大切に育て続けていた」


「忘れるはずがない。死ぬ前の、最後の願いだったからな」




 娘のことを、最後まで願い続け。

 プリシラとツバキを逃がすために、かつてのクロバラはその命を燃やした。


 そしてその願いは、しっかりと果たされていたらしい。




「まぁ、君が頼まなくても、彼女はツバキちゃんを引き取っていただろう。なにせ、君たちの忘れ形見だからね」




 どのみち、ツバキのことは面倒を見ていた。

 プリシラは、そういう人間であった。




「ここからは、君の知らない話になる。実はツバキちゃんは、魔法少女になることを目指していたんだ」


「……そうか」


「君だったら、絶対に許しはしなかっただろうね。まぁ、それはプリシラも分かっていた。ツバキちゃんに対して、その道は諦めるように説得したが、所詮、人の心は変えられない」




 娘たちが、新しい世代の子どもたちが、魔法少女にならなくてもいいように。

 そんな願いを込めて、クロバラはかつての人生を生きた。


 ゆえに、ツバキの選択は、心に突き刺さるようだった。




「でもね。幸か不幸か、ツバキちゃんはある障害にぶつかったんだ」


「なに?」




 それは、思いも寄らない話。




「ツバキちゃんはね、攻撃に関するありとあらゆる魔法が使えなかったんだ。正確に言うと、攻撃的な意思を頭に思い描いた瞬間、魔力の制御が出来なくなる症状、かな」


「聞いたことのない症状だな」


「ああ。僕もプリシラも、まるで理解が出来なくてね。色々と調べた結果。両親の遺した強い念が、娘を戦いの世界に入らせないようにしたんじゃないか、と。そう結論付けた」




 それは、つまり。

 父親であるクロガネと、母親であるローズ。


 その愛情と願いが、一種の呪いのように作用したということ。




「バカな。あり得るのか、そんなことが」


「魔法は、純然たる神秘だよ。本当の意味で、僕たち人間に解明することなんて出来ないんだ」




 ともあれ、それが真実。

 魔法少女を目指すツバキの心とは裏腹に、その身に宿る魔力は戦いの道を拒絶した。


 だがしかし、




「プリシラが消えたことで、歯車が大きく狂い始めてね」




 ツバキの育ての親である、プリシラ。

 彼女の消失は、周囲を取り巻く全てに影響を与えてしまった。




「彼女の消えた理由は、まぁ最後に話すとして。ツバキちゃんについての話を続けよう」




 あまりにも、多くの問題がありすぎて。

 説明をするシェルドンも、思わず頭を抱えてしまう。




「プリシラが抜けたことで、この零領域の責任者は僕になった。まぁ、そもそも僕とプリシラだけの研究室だったから、それも当然なんだけど。……大きな問題として、プリシラの進めていた事業、研究、それら全てを僕が引き継ぐことになったんだ。まったく、とんでもない内容ばっかだよ。でも、レーツェンは怖いし、僕としてもプリシラの思いを継ぎたいという気持ちがあったからね」




 かくして、この零領域という大きな場所を、シェルドン1人で動かすことになった。


 今となって、後悔することはない。

 ここの高度な研究を理解できる科学者は、他に居なかったのだから。




「とはいえ僕は、彼女ほど天才じゃなくてね。まぁ、得意分野の違いもあるんだけど。僕は彼女の研究を引き継ぐどころか、その思考レベルに追いつくことがやっとだった。実際、まともに実用化できたのは、国を繋ぐ魔力インフラや、一般向けの魔導デバイスの開発。それと、女王の仮面くらいかな。プリシラの目指していた領域に、僕はとても辿り着けなかった」




 プリシラが、この国で任されていた仕事。

 それは紛れもなく、彼女以外には不可能な仕事であった。




「プリシラの残した研究の1つに、反転魔法というものがあってね」


「反転魔法? 聞いたことのない名前だな」


「それもそうさ。これは、僕でも理解の出来ない領域だ」




 プリシラの残した難題。

 それでもシェルドンは、たった1人で挑むしかなかった。




「魔法とは、魔法少女の心を反映した力の結晶だ。それ故、一人ひとりに個人差があり、同じ魔法を使うものは誰一人として存在しない。言うなれば、個性=魔法、という感じかな」




 それは、魔法に対する基本的な考え方。

 クロバラも、その程度のことは理解しているつもりである。




「この理論から察するに。君の使う魔法は、射撃魔法かな?」


「いいや。残念だが、わたしの魔法は花だ」




 そう言って、クロバラは手のひらの上にきれいな半透明の花を咲かせる。

 とても鮮やかで、強い力が宿っていた。




「……まさか、君の心臓は」


「ああ。妻のものだ」




 その交友関係もあり、シェルドンは魔法を見ただけでクロバラの力の源を察した。




「驚いた。つまり君は、保管されていたローズくんの魔力炉を移植され、その姿に生き返ったのかい?」


「ああ」


「まったく、どんな奇跡が重なれば、そんな事が起こるのやら」


「わたしを蘇らせた科学者連中も、それを知らないまま実験したらしいからな。……とはいえ、この混迷の時代に、戻ってこれてよかった」


「そうだね。確かに、君ほどの人間が魔法少女として蘇ったのなら、これは紛れもない運命だと思えるよ」




 現にこうして、かつての友人であった2人が再会できたのだから。

 まだ世界も、捨てたものではない。




「それで。ツバキがああなった原因は?」


「……反転魔法。正確には、その起動実験の失敗が原因だ」




 懺悔するように、シェルドンは事の経緯を語る。




「さっきも言った通り、魔法はその使い手の心を反映したものだ。魔法少女の個性、最も秀でいている部分が、魔法という名の奇跡として形を成す。ならば、その逆もあり得るのではないかと、プリシラは考えたんだ」


「逆?」


「ああ。中国に伝わる古い思想で、陰と陽というものがる。どんな物事にも、光と影、裏と表のような概念が存在し、それは決して切り離すことが出来ないという思想だ」


「つまりプリシラは、魔法にもそれが当てはまると考えたのか?」


「ああ。魔法少女の持つ魔法、これを心の光とするならば。それに匹敵するほどの闇が、全ての魔法少女には眠っているはずだと」




 光と影。

 その考え方が正しければ、魔法少女にはまだ、力として使っていない領域があるということ。




「本来なら、決して表に出ない影の力。それを引き出すための技術を、プリシラは反転魔法と名付けた」


「……」




 確かに説明されれば、可能なのかも知れないと、クロバラは思う。

 だがそれ以上に、疑問が生じる。




「その反転魔法とやらを実現するには、魔法少女側にかなりの負担が生じるんじゃないか? なにせ、心の表と裏をひっくり返すんだろう?」


「そうだね」


「そんな危険な技術を、プリシラがわざわざ研究するとは思えない。確かに彼女は、かなり研究熱心なところがあったが。それでも、紛れもない善人だった」


「……その通り。でも、プリシラは研究を続けるしかなかった。それが、女王のため、ひいてはこの国のために必要な技術だったからね」




 それに必要な人材だったから、プリシラはこの国に招かれた。

 そして、プリシラもそれを了承し、研究を始めた。


 大きな事情が、そこにはあった。




「ここまで説明したら。なぜ、ツバキちゃんがあのような状態になったのかも、薄々分かってきたんじゃないか?」


「反転魔法。心の、裏と表をひっくり返す」


「そう。今のツバキちゃんは、全てが反転しているんだ。優しく、責任感の強かった性格は消え、残忍で暴力的な性格に。人を傷つけることの出来なかった魔法は、逆に全てを燃やし尽くす地獄の業火へと変貌した」




 それが、ツバキの変わってしまった真相。

 反転魔法の実験によって、その心と力は真逆のものへと変わってしまった。




「一度反転したものは、戻らないのか?」


「もちろん、僕も試したさ。でも彼女の変化は止められず、反転魔法は肉体に定着してしまった。今の技術じゃ、彼女をもとに戻す事はできない」




 シェルドンは、自らの無力さを嘆く。




「今のツバキちゃんが、一応は帝国の魔法少女として活動できているのは、女王の仮面のおかげだ」


「グランドクロスになったことで、制御できていると?」


「ああ。ツバキちゃんの魔力は強大だから、仮面への適合には成功した。そして、仮面の魔法少女は、女王陛下の命令に逆らうことが出来ない。……もしも、仮面による制御がなかったら。彼女は無差別に人を殺す、怪物になっていただろう」




 それが、反転魔法の代償。

 仮面によって縛り付けられることで、かろうじて人のままでいられている。




「最初は、あの仮面を壊したら、元の優しいツバキに戻るかとも思っていたが」


「そうだね。そんなことをしたら、誰も彼女を止められなくなる」




 ツバキを救う方法を求めて、ここまで来たというのに。

 告げられたのは、どうしようもない現実であった。








「教えてくれ、シェルドン。なぜ、こんな実験が必要だったんだ?」




 それが、そもそもの発端である。

 なぜ、プリシラはこのような仕事をせざるを得なかったのか。


 その原因は。





「ヴィクトリア女王は、認知症を患っているんだ。――そしてそれが、世界の破滅へと関係している」





 嘘偽り無く。

 シェルドンが抱えるのは、この国の大きな闇であった。






この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?