第94話 零領域(2)
レーツェンによって、ハイヴの最下層、零領域へと誘われ。
そこでクロバラを待ち受けていたのは、Dr.スミスと呼ばれる男。
グランドクロス。仮面への適合実験とやらを、なし崩し的に受けることになってしまい。
その男の元、機械へと繋がれるクロバラであったが。
「……」
「な、なんだい?」
クロバラにじーっと見つめられて、Dr.スミスは何とも言えない表情を。
すると、
「お前まさか、シェルドンか?」
「ッ」
そう呼ばれて、Dr.スミスは顔色を変える。
まるで、禁句を口にされたかのように。
「頼む、静かにしてくれ。レーツェンに話を聞かれたら、僕も殺されてしまう」
レーツェンに聞こえられないよう、静かな声で男はささやく。
その反応を受けて。
クロバラは、静かに微笑んだ。
「……なるほど。確かに、優秀な科学者と言ったらお前も居たか」
「いったい、何を言って」
「プリシラはどこだ? 彼女に用がある」
「くっ」
その男、シェルドンは慌てつつも、それをレーツェンに悟られないように振る舞う。
「君のことに関しては、非常に興味深いが。悪いが、来た理由が悪かった」
「なに?」
「仮面の適合実験を受けるんだろう? レーツェンが見ている手前、実験を誤魔化すのは不可能だ。」
シェルドンが焦る理由。
それは、適合実験の内容のせいであった。
「いいかい。今から君に、ヴィクトリア女王の膨大な魔力が照射される。それに、ある程度の耐性が示せれば、君はグランドクロスの資格を持つということだ。君の魔力強度は知らないが。もしも適合性を示してしまったら、僕は君に仮面を着けなければいけない」
「あー。具体的に、何がまずい?」
「仮面の適合者は、女王に逆らえなくなるんだ。つまり、レーツェンにも逆らえなくなる。君の目的がなにか知らないが、それは困るんじゃないか?」
「……」
「君の魔力強度が、予想よりも低いことを願おう」
女王の守護者、グランドクロス。
デルタの話では、仮面の力によってパワーアップする程度のニュアンスだったが。
このようなデメリットがあっては、とても受け入れられるものではない。
実験を止めようにも、止めることは出来ない。
クロバラはもちろん、このシェルドンという男にも。
レーツェンの監視下で、誤魔化すのは不可能であった。
(まずいな)
そもそも、プリシラを探してここまでやって来た。
無論、仮面の魔法少女になるつもりなど無い。
だがしかし、ここまで協力的な姿勢を示したうえで、もしも裏切りでもしたら。すぐさまに、レーツェンはクロバラを敵と認識するだろう。
クロバラの勘からして、レーツェンは相当に腕の立つ魔法少女である。無論、クロバラも負けるつもりはないが。この零領域、地下深くという環境で、彼女と戦うのは自殺行為である。
これはもしや、詰んだか?
そんな考えが、頭をよぎる中。
実験が開始される。
機械の上に寝かせられたまま、クロバラの眼前に真っ白な仮面が現れる。そしてその先には、何やら物騒な、ビーム照射器としか表現できない機械が。
その先端に、エネルギーが、膨大な魔力が集っていく。
明らかに、浴びて大丈夫な量の魔力ではない。
だがしかし、もう止められない。
「くっ」
瞬間、強烈な光が、仮面を、クロバラへと降り注いだ。
形のない魔力、掴むことの出来ない輝き。
けれどもそれは、確かに女王の魔力そのものであり。
クロバラは全身に、言葉にならないほどの圧力を浴びせられる。
(これが、女王の魔力)
機械越し、仮面越しとは言え、気を抜けば全てを持っていかれそうな。
確かにこれは、強い魔力、精神の持ち主でなければ耐えられないだろう。
これを耐え続けたら、グランドクロスとしての資格有りとして認められる。
だがしかし、そうなったら、クロバラは望まない立場を与えられてしまうことになる。
もはや、どうすることも出来ない。
クロバラが諦めかけた、その時。
眼帯の下、獣の力が唸る。
他者の魔力を拒絶する。他者の思想を拒絶する。
この獣が手を結んだのは、花の魔法少女のみ。
ゆえに、獣の力は女王の魔力に対して反発し。
激しい音とともに、仮面にヒビが入った。
異常を検知して、実験装置が停止する。
鳴り響くアラート音の中で、クロバラは重くため息を吐いた。
「一体、どういうことですか?」
レーツェンが、シェルドンの元へと詰め寄ってくる。
どうやら、このような形で実験が止まるのは、前例のないことだったらしい。
機械のエラーに対処しながら、シェルドンはレーツェンへの説明を考える。
「あー。どうやら彼女の魔力は、かなり個性が強いらしい。まぁ、言うなればこれは、陛下との相性の問題かな」
「つまり彼女は、仮面に適合できないと?」
「うん。魔力強度自体は、問題なさそうだけど。魔力そのものの相性が悪いなら、どうしようもない。彼女には、別の可能性を用意するべきだろう」
「……そう、ですか」
クロバラには、グランドクロスへの資格がない。
その事実に、レーツェンはひどく落ち込んでいる様子だった。
そんな彼女に対し、シェルドンは耳元で小さくささやく。
「今回は残念だったが、それほど焦る必要はないよ。暴走の兆候があったとはいえ、こちらからの数値は安定してる。今すぐに決壊するようなことは無いはずだ」
「……その言葉、信じますよ」
「もちろん。なにかあったら、真っ先に死ぬのは僕だからね」
クロバラの適合実験は失敗に終わった。
色々と思うことがある様子だが。レーツェンは、渋々受け入れる。
ならば次に考えるべきは、クロバラをどうするか。
「仮面への適合が出来なかったとはいえ、彼女が優秀な魔法少女であることは確かです。零領域へ足を踏み入れたことも加味して、わたしの命令系統に直接組み込むことにしましょうか」
「あー、それに異論は無いんだが。よかったら、彼女の魔力を少し検査していっていいかな? 手詰まりの魔導デバイスの実験に、もしかしたら刺激を与えられるかも知れない」
「まぁ、いいでしょう。これより24時間、彼女、クロバラの零領域への滞在を認めます。……あなたも、それでよろしいですか?」
「ああ。研究に協力できるなら、もちろん」
クロバラも、それを承諾する。
「では、わたしは地上へと戻ります。明日、クロバラさんを迎えに来ますので、データ収集はそれまでに終えておくように」
「了解したよ」
そういって、レーツェンとシェルドンの会話も終わり。
重い扉をくぐって、レーツェンは零領域を後にした。
重い扉、それを見つめて。
僅かな沈黙が終わると。
「ふぅ〜 ようやく息が吸えるよ」
シェルドンは、先程までの疲れを全て吐き出すような、猛烈なため息をして。
だらしなく、その場へとしゃがみ込んだ。
「おーい、シェルドン。もういいか? とりあえず、さっさとこの拘束を解いてくれないか?」
「あぁ、うん。わかった」
もはや、監視者は存在しない。
ようやく2人は、本来の顔で接することができる。
クロバラを、実験装置から外しながら。シェルドンは彼女の顔を見つめて。
「君、本当はクロガネだろう?」
「おっ、どうしてそう思った?」
かつての名前、生前の名前を言い当てられて。それでも、クロバラはあまり驚いては居ない様子。
むしろ、呼ばれて嬉しいそうな顔をする。
「そうだね。まず第一に、僕の顔を見てシェルドンと言い当てたこと。その名前は大昔に捨てたからね。知っているのは、当時の軍関係者、それも親しい間柄の人物だけだ」
「なるほど」
「次に、君の顔だよ。左目の眼帯や、髪の毛の色なんかが違うせいで、ぱっと見は気づかなかったけど。昔のツバキちゃんによく似ている」
シェルドンは冷静に、目の前の少女の正体について考察する。
「僕の古い友人で、なおかつツバキちゃんと関連のある人物。それでもって、その憎たらしい喋り方。よって、考えられるのはクロガネしかいない」
「ふむ。当てたことに関しては、素直に称賛したいが。わたしの喋り方が、憎たらしいだと?」
「誤解しないでくれ。昔の君は、ほら。なんというか、威厳があっただろう? 伝説の兵士、鋼の肉体と意思を持つ男、みたいな。でも今の君は、可愛らしい少女にしか見えない」
「む」
「どういう理屈か知らないか、君はその姿で蘇った。記憶も態度も、あの頃のままでね」
「ふふっ、そうか。そういう反応をするのは、お前くらいなものか」
装置から外され、自由となり。
クロバラとシェルドンは、互いを懐かしむように力強く手を握った。
「いたた。小さくなっても、相変わらず力が強いね」
「そうか? 10年経って、お前が老けただけだろう」
「それもそうか」
この零領域で、クロバラとシェルドンは笑う。
かつての戦いを共に生き抜いた、兵士と科学者。
姿かたちは違えど、関係はあの頃のままであった。
「さて。死んだ友人との再会に、僕も大歓迎といきたいところだけど。ここに来たのには、理由があるんだろう?」
「ああ」
忘れてはいけない。
レーツェンとの交渉や、先程の実験。色々と危ない橋を渡ってきたのだから、そろそろ目的を果たさなければ。
「プリシラを探している。居るならここしか無いだろうと思って、なんとか潜り込んだが。どうやら当てが外れたらしい」
「……ふむ、なるほどね」
プリシラに会うため。その言葉に、シェルドンは納得しつつも、どうも難しい表情をして。
近くのデスクに置いてあった、電子タバコへと手を伸ばす。
「君も吸うかい?」
「いいや。流石にこの姿になって、タバコは吸わんよ」
「ははっ、それもそうか」
シェルドンは、静かに電子タバコを吸い。
深く、息を吐いた。
「昔は、吸ってなかっただろう」
「そうだね。どう考えても、デメリットしか無いタバコなんて、あり得ないって思ってたけど。ここ最近の苦労を紛らわすには、ちょうどよくてね。……君のことも、よく思い出すよ。君が来るたびに、僕の研究室はタバコ臭くなって、女子ウケも悪くなってた」
「悪かったな」
「いいんだよ。どのみち、僕は生涯女性とは縁がなくてね。最後に愛した女性。プリシラとも別れてしまった」
シェルドンは、遠い時代を思い出す。
「そのプリシラに会うために、わたしはこの国に、そしてこの地下深くまでやって来た。彼女はどこに居る?」
「……プリシラは、もう居ないよ」
その思いを、悲しみを背負うように。
再び、シェルドンは深くため息を吐く。
「この世のどこにも、ね」
それが、真実。
この零領域に秘匿された、たった1つの答え。