第92話 女王の守護者(2)
そこは、女王の暮らす居城。
神聖なる宮殿。
一度滅び、再び栄光を取り戻したこの国を象徴するかのように、白き壁はそびえ立つ。
その宮殿の一室。
慎ましくも、それでいて洗練された雰囲気の部屋。
クロバラは、そこに招かれていた。
テーブル越しに顔を合わせるのは、黒を体現したような女性。
真っ黒なロングヘアに、装飾の少ない黒いドレス。
魔法少女ではあるものの。外見年齢は、適齢期の限界に近い十代後半に見える。
「……」
ドリーと名乗る少女との、遊びと称した戦いを終えて。クロバラとデルタの前に現れたのが、この魔法少女であった。
クロバラは何も情報を知らなかったものの。デルタの態度から、軍、あるいは政府に関係する上役であると判断し、無計画な抵抗は行わなかった。
デルタがとっさに考えた嘘によって、クロバラは北京から逃れてきた単独の魔法少女とされ。アンラベルやワルプルギスとの関係を隠したまま、密入国者として扱われることに。
何かしら、尋問でもされるのかと、クロバラは覚悟をしたものの。
蓋を開けてみれば、このような立派な宮殿に招かれ。あまつさえ、食事を振る舞われていた。
「毒など入っていませんよ。わたしはただ、あなたと話がしたいのです」
黒の魔法少女。レーツェンは、物柔らかな姿勢で対応する。
「確かに、不法入国をしたのは罪ですが。あのデルタが安全と判断したのなら、わたしはあなたのことを信頼します。同じ魔法少女の仲間として、この歓迎を受け入れてくれませんか?」
「……そう、だな。わたしのような者に対して、これは不相応な対応だと思ってしまってな」
「まぁ、そうですね。普通なら、密入国者相手に、このような対応はしません。というより、わたしが動くことすらなかったでしょう」
レーツェンが動いたのも。
こうして、クロバラに対して手厚い歓迎をしているのにも、大きな理由が存在した。
「改めて自己紹介を。わたしはレーツェン。ヴィクトリア女王に仕える者であり、この国を統治する執政官の立場にあります」
「つまり、実質的な支配者というわけか」
「まぁ、否定はしません」
この、異様な帝国。
男が存在せず、仮面の魔法少女といった過剰なまでの戦力を有する、地上最大の国家。
そのトップに近い人間が、今は目の前に存在していた。
(……しかし、なんだ?)
レーツェンの顔を見て、クロバラは何かが引っかかる。
その顔に見覚えがあるような、記憶のどこかに存在しているような。
「失礼だが。あなたは大戦を経験した魔法少女か?」
「なぜ、そのようなことを?」
「いや。どこかで、会ったことがあるような気がしてな」
「なるほど」
何かを考えるように、レーツェンは指先を口元に持ってくる。
「つまりあなたも、あの大戦の生き残りですか?」
「まぁ、一応はそうなる。だがわたしは、軍の教育部門に身を置いていてな。ラグナロクには参加せず、病で死ぬことはなかった」
「そうですか。あの病では、多くの魔法少女を失いましたからね。つらい気持ちは、わたしも分かります」
「ではやはり、あなたも?」
「ええ、そうですね」
レーツェンは、過去について語る。
「わたしと陛下は、確かに大戦の時代を。いいえ、それよりも遥か昔から生き延びています」
「……まさか、イギリス本土の?」
「ええ、お察しの通り。およそ200年前、イギリスが魔獣に奪われた時より、わたしと陛下は共に生き延びてきました」
「驚いた。つまり陛下は、本当に王家の血を?」
「そうでなければ、イギリス帝国などとは名乗っていませんよ」
世界各地が、魔獣による侵攻を受け。あらゆる文明、それを継ぐ者が失われてきた。
歴史を語る者も、尊い血筋すらも失われて。人類の過去の栄光を知る者は、ほんの一握りとなった。
そんな時代で、わざわざ失われた土地に戻り、帝国の復活を掲げたのだから。
彼女たちはきっと、本物なのだろう。
「まさか、女王もまだ魔法少女なのか?」
「はい。今も、力を持っています」
「魔法少女が力を維持するには、戦場で戦い続けるか、よほどの訓練を継続するしかないはずだ」
「はい。わたしと陛下は、戦場には出ず、ずっと繰り返しの鍛錬で魔力を維持してきました」
「……100年以上も。それは、凄まじい努力だな」
「陛下の立場ゆえに、危険な戦場に出すわけにはいきませんでしたから」
表舞台には立たず、ずっと厳しい鍛錬のみで魔法少女の力を維持してきた。
クロバラとしても、そのような事例は他に聞いたことがなかった。
それらを聞いて、クロバラは何かを思い出す。
「……馬車の女」
「!」
そのつぶやきに、レーツェンは驚きをあらわに。
「昔、軍の訓練を見に来る馬車を、何度か見たことがある。その運転手が、あなたと似ていたような気が」
「なるほど。どうやらあなたは、本当に軍に所属していたようですね」
クロバラが生前、教官として活動していた頃。
何度も訓練を見学に来る、特徴的な馬車がいたことを思い出した。
「あの馬車に、女王陛下が乗っていたわけか」
「ええ、その通り。鍛錬を続けるにも、お手本が必要でしたから。腕の立つ男の教官がいると聞き、見学に行っていた時期があります」
「そう、か」
それならば、確実に話は一致する。
クロバラは確かに、レーツェンのことを目にしていた。
もっとも、今の見た目の違いから、レーツェン側は気づかないだろうが。
ある程度、相手の素性も分かったため。
厚意を無駄にするわけにはいかないと、クロバラは食事を口にすることに。
「それで。よろしければ、先程の戦闘について、話を伺いたいのですが」
「それは、もちろん」
ようやく、話は本題へと。
「単刀直入に聞きます。あなたとデルタが戦っていたのは、一体何者ですか?」
やはりそれか、と。クロバラは納得する。
レーツェン。国を統治する執政官という立場の人間が、単なる魔法少女同士のトラブルで姿を現すはずがない。
デルタの様子からも、それは分かっていた。
動かざるを得ない理由が、あの瞬間に起きていたのだと。
「……わたしも、詳しいことは何も分からない。彼女は、ドリーとだけ名乗り、格闘ごっこや魔法の見せ合いと言って、こちらもそれに応じるしかなかった」
「なるほど。ドリー、ですか」
レーツェンの表情が曇る。
「彼女はイギリスの魔法少女だと言っていたが。軍や政府の関係者では?」
「いいえ。それならば、デルタが気づかないはずがないでしょう」
「……」
正体不明の魔法少女。
確かに、それが野放しになっているのは問題だが。
クロバラが気になっているのは、もっと別の部分。
そもそも、なぜレーツェンが動いたのか。
「わたしも長い事魔法少女を見てきたが、あのドリーという少女は異常だった」
「と、言いますと?」
「1つ目は、格闘能力。彼女の動きは明らかに、古い軍の格闘術を基本としている。今の魔法少女では、あまり見慣れない動きだ。つまり彼女は、相当古い魔法少女なのかも知れない」
「……」
「次に、魔法が多様すぎる」
「多様?」
「ああ。ほんの一瞬だが、ドリーは複数の魔法を同時に発動していた。まぁ、それだけなら別段おかしくはないんだが。その一つ一つが、まるで異なる魔法かのように違っていた。どれだけ器用な魔法少女でも、炎、氷、雷の嵐を同時に出現させるなんて不可能だ」
「……なるほど」
それらの情報を聞いて。
レーツェンは、頭を抱えるような仕草を。
「――やはり、限界が」
そう、小さくつぶやいた。
「あのドリーという少女が、やはり特別で?」
「なぜ」
「あなたほどの人物が、わざわざ表に出てくるとは。尋常ならざる事態、と思うのも不思議じゃない」
「……確かに。あなたの見た、そのドリーと名乗る少女は、この国の抱えるガンのようなものです」
「ガン? 魔法少女を腫瘍扱いとは、あまり穏やかじゃない」
「色々と事情があるのです。とても、あなたには言えないほどの」
「まぁ、確かに。わたしは不法入国をした、単なる部外者だからな」
互いに、そこはわきまえている。
こうして会談をしながらも、まだお互いに、何の関係性すら築いていないのだから。
「デルタから聞いた話だと。あなたは、遠い北京からやって来たとか」
「ああ」
「所属部隊は?」
「兵器開発部。とはいえ、この国の進み具合を見るに、どうやらアジアは無駄な開発をしていたらしい」
「当然です。この国には、優秀な科学者が存在するので」
優秀な科学者。
その言葉に、クロバラは反応する。
「魔獣の侵攻を受けた夜から。たった1人で逃げてきたんですか?」
「初めは数人のグループだった。だが、地下通路から北京を脱出して、最初の襲撃で仲間を全員失った」
「それは、つらい経験だったでしょう」
「ああ。まさか、魔獣の動きがあそこまでとは」
当然、すべて嘘の情報だが。
自分の境遇を印象付けるため、クロバラは具体的に語る。
どのようなルートで、何を考えて移動して。
何を食べ、何を殺し、このイギリスに来るに至ったのか。
「新種の魔獣は、ある種の戦術行動を取っています。その中で、単独で一ヶ月を生き延びるとは。どうやらあなたは、かなり優れた魔法少女のようですね」
「いいや、そんなことは」
「どのような魔法を得意とするのか、お聞かせください」
「主に、得意とするのは防御魔法だな。魔力障壁の強度では、右に出る者はいないと自負している」
正確には、花の魔法なのだが。
防御が得意なのも事実なので、クロバラはそう説明する。
「なるほど。防御を得意とし、一時的とは言え、デルタの追跡すらも振り切った」
「結局、見つかってしまったが」
「それは仕方のないことです。デルタはある種、特別な才能を持つ魔法少女なので。この国にいる以上、彼女から逃げることは不可能です」
デルタの特別な才能。
あらゆる音を感知し、対面では相手の思考すらも聞くことができる。
無論、クロバラはそれを知っているものの。
今は、何も知らないフリをする。
この国の地下に広がる、巨大な研究施設。その最深部に潜り込むために、余計な情報を漏らすわけにはいかない。
すると、そんなクロバラに対し。
「よろしければ。その力を、帝国のために使いませんか?」
レーツェンは、甘い勧誘の言葉を投げかける。
「……わたしのような不法入国者を、まさか軍に入れようと?」
「別におかしな話ではないでしょう。外から見たら、ここが異質なのは理解しています。ですが我々は、魔法少女という同じカテゴリーの仲間です。あなたの強い力も、捨て置くには惜しいものです」
不法入国という行為を、レーツェンはそれほど重く受け止めているわけではなかった。
それよりも重要なのは、クロバラの持つ魔力のこと。
「普通に、軍に配属するのもいいですが。……他に、もっと特別な役割を担えるとしたら、あなたはやってくれますか?」
「特別な役割とは」
軍人以外の可能性を、クロバラは知らない。
「デルタは、もう知っていますね? 彼女はあなたと同じく、強大な魔力の持ち主であり。同時に、グランドクロスという重要な役職にもついています」
「グランド、クロス」
もちろん、クロバラはそれを知っている。
そのうちの1人が、とても大切な存在なのだから。
「――女王を守護する、仮面の魔法少女。あなたも、その一員になりませんか?」
投げかけられたのは、思いも寄らない言葉であった。