第101話 反逆者(2)
激しい音が、何度も、何度も、鳴り響く。
力強く。それでいて、どこか焦っているような。
その音に急かされるように、倒れていた男、シェルドンは目を覚ました。
「……クロガネ?」
そう声をかけられて。
扉を殴り続けていた魔法少女、クロバラは振り返る。
すでにその右手は、自らの血で赤く染まっていた。
「シェルドン、ようやく起きたのか」
「そんなに経ってないだろう? あの睡眠ガスは、特殊な調合でね。効くのも早ければ、解けるのも早い。とはいえ、君は随分と早く起きたようだね」
「わたしは眠っていない。なんとか耐えられた」
「なんだって?」
まさかの回答に、シェルドンは一瞬理解が出来なかった。
いかに魔法少女と言えど、あのガスに抗えるものではない。
こいつになら良いだろうと。
クロバラは、左目の眼帯を外した。
「こいつが混じってるおかげで、色々と適応能力が高くてな。なんとか、眠らずに済んだ」
「そんな、まさか。魔獣の瞳、なのか?」
「左目だけじゃない。そもそも、わたしの身体には魔獣の因子が混ざってる。魔力炉、つまりは妻の心臓が、奇跡的に魔獣と適合してたんだ」
「……それは。何とも、凄まじい話だね」
かつてのクロバラの妻。ローズは花が好きという変わり者であった。
そのおかげか、今のこの身体は、魔法少女と魔獣のハイブリッドという特殊な状態になっている。
「とはいえ、今はそんな事はどうでもいい。この手紙を奪うために、レーツェンはわたしの仲間を人質にしようとしている。どうにかして、地上に戻らなくては」
プリシラの意思を守るために、この手紙を渡すわけにはいかない。だがそのために、仲間を危険に晒したくはない。
クロバラは何としても、地上に戻りたいのだが。
目の前の障壁に、阻まれていた。
「……アンチマジックフィールドなら、僕の方で解除できるだろう。でも、それでも脱出は不可能だ」
「なぜだ」
「その障壁は、女王の魔力で構築されてるんだよ。どんな魔法少女でも、この強大な魔力を打ち破るのは不可能だ」
「あぁ、くそ。ずいぶん硬いと思ったら、そういうことか」
魔獣の因子のおかげか。血に濡れた右の拳が、見る見るうちに癒えていく。
だが、障壁を破れないのであれば意味がない。
女王の魔力。シェルドンの話が確かなら、普通の魔法少女が束になっても敵わない魔力のはず。
たとえ、クロバラが自身の魔力で拳を強化しても、おそらく破ることは不可能であろう。
「くっ」
レーツェンの言った通り。ただ、ここで彼女が戻ってくるのを待つしか出来ないのか。
自身の無力さを恨むクロバラであったが。
そんな彼女の様子を見て、シェルドンは口を開く。
「本当に、本当に、ごく僅かだけど。可能性は有る」
「なに? なんだ、さっさと教えろ」
「でもこれは、とんでもないギャンブルだ。もしも失敗したら、障壁は破れないし、なにより君に危険が及ぶ」
「危険は承知だ。その可能性とやらを教えてくれ」
真っ直ぐな、クロバラの瞳。
魔獣の因子が混ざっているというのに。まるで、あの頃のままであった。
「……反転魔法だ。それしか、考えは浮かばない」
それが、シェルドンの導き出した答え。
「詳しく、聞かせてくれ」
「ああ」
何と言っても、今は非常事態。
シェルドンも手短に説明する。
「ローズくんの心臓で生きているのなら、君の魔法は防御寄りじゃないか?」
「その通りだ。花の障壁、花びらの盾、と言うべきか。その具現化が最も得意だ」
「なら、その性質が反転したらどうなる? 守るための花の魔法。それが真逆の色に染まれば、とてつもない攻撃的魔法に変化するはずだ。……ツバキちゃんが、そうなったようにね」
「なるほど」
ツバキの魔法は、クロバラも身を持って経験している。
全てを燃やし尽くす、地獄の業火。
あれほど破壊に特化した魔法を、クロバラは知らない。
「だが、その反転魔法とやらは未完成なんだろう?」
「ああ。反転するのは魔法だけじゃなくて、精神そのものだ。それを律することが出来なければ、心は闇に飲み込まれてしまう」
その代償は、未だに克服が出来ていない。
だからツバキは、まだ煉獄に染まっている。
「でも君なら、可能性は未知数だ。魔獣の因子を宿しながら、それでも人である君なら。反転魔法の作用にも、耐えられるかも知れない」
「……確かに、それはかなりのギャンブルだな」
力を得る代償として、心を失う。
言葉にすれば簡単だが、現にツバキは耐えることが出来なかった。
だがしかし、クロバラは自身の力を思い返す。
どんな攻撃も弾き返す、花の魔法。防御障壁などの展開は得意だが、攻撃に転用できるものは少ない。
魔導デバイスがあれば、射撃という得意な攻撃が可能だが。
素の状態なら、殴るくらいしかまともな攻撃手段が無い。
「やってくれ、シェルドン」
どれだけリスクが高かろうと、ここでレーツェンの好きにさせては、必ず取り返しがつかないことになる。
迷っている暇はなかった。
◆
まるで拘束されるかのように、クロバラは手術台の上に固定される。
単なる痛みならば、耐えられる自信はあるものの。これより行われるのは、心への施術。
クロバラとしても、未知なる領域であった。
「ツバキちゃんに、反転魔法を施して。その次に、父親である君とはね」
嘆くように、あるいは感慨深く。
シェルドンは機材の起動を行う。
「さっきの、仮面のやつみたいに、失敗する可能性は?」
「仮面適合実験が失敗したのは、君の魔獣の因子が女王の魔力を拒んだからだ。でも、これから行う施術は根本が違ってる。心が物を言うからね」
受け入れるのは、他人の魔力ではない。
自分自身を受け入れなければならない。
ゆえに、先程のような失敗は起こらないだろう。
「まぁとはいえ、君の力が暴走して、僕に危険が及ぶかも知れない」
「これもまた、ギャンブルか」
機械が作動し。
クロバラの眼前に、物騒な銃口のようなものが向けられる。
これより放たれるのは、心を反転させる光の波動。
「ふぅ」
クロバラは、深く息を吐き。
そのエネルギーを、正面から受け止めた。