第100話 反逆者(1)
最も、恐れていた声。
彼女だけには、知られてはいけなかった。
だがしかし、現実は変えられない。
この零領域に、執政官レーツェンの声が響き渡る。
「……一体、いつからだ?」
『ずっとですよ。そもそも、わたしがあなた達を信用しているとでも?』
スピーカー越しであろうか。
少なくともレーツェンは、クロバラとシェルドンを監視できる場所に居る様子。
敵対心をあらわにするクロバラに対して。
シェルドンは、まるで終わりといわんばかりに汗を流していた。
「デルタから、無害という情報が行ったんじゃないのか」
『だからですよ。わたしは、デルタのことを最も警戒しています。なにせ彼女は、他者の心を読める魔法少女ですから』
人の心が読める。
その能力自体は信用していても、デルタという人間に関しては違ったらしい。
『4人のグランドクロスの中で、最も裏切る可能性があるのは彼女です。だから、彼女が安心だと判断したあなたのことは、最初から怪しんでいた』
異国からやってきた魔法少女、クロバラというキャラクター。
それを受け入れるかのような彼女の仕草は、その全てが偽りであった。
『まぁ、まさか。裏切りだけでなく、プリシラの居場所という有益な情報までもたらしてくれるとは、嬉しい誤算でしたが』
「プリシラは、彼女はもう死んだんだ!」
シェルドンが声を荒げる。
「もういいじゃないか! 彼女のことは、そっと休ませてやってくれ」
『……なにか、誤解をしているようですね。そういえばさっきも、脳みそを取り出すとか、野蛮な考えを口にしていましたが』
「なら、プリシラの居場所なんて、君には必要ないだろう」
『ええ、ですが。わざわざ脳みそをほじくり出さなくても、死体から聞けることはあります。それに彼女は、まだ仕事を終えていない』
「くっ。だから、お前にだけは知られたくなかったんだ」
始めから分かっていたこと。
自分の目的を達成するためならば、レーツェンは手段を選ばない。
『話は全て聞いていました。プリシラの残した手紙。彼女の終の地に関する情報を渡しなさい』
「……断る」
『まぁ、その返答は分かっていました。ですのでこちらも、強硬手段に出させてもらいます』
すると、
クロバラとシェルドン、2人を狙うように。
零領域に、透明のガスのようなものが注入される。
「レーツェン、止めてくれ!」
『心配は不要です。これはただ、強力な睡眠ガスに過ぎません。お二人の命を奪うつもりは、こちらとしてもありませんので』
2人とも、咄嗟に口と鼻を塞ぐも。
当然、それで防げるようなものではない。
「ならば」
2人を覆うような形で、クロバラは花の魔力障壁を展開させる。
これならば、ガスは入り込めない。
だがしかし、
『無駄ですよ』
その言葉と共に、クロバラの魔力障壁が無力にも散ってしまう。
「なっ」
『アンチマジックフィールドです。外側から解除しない限り、魔法少女の力は無力化されます』
再び、クロバラは障壁を展開しようとするも、思うように魔力が動かせない。
『本来なら、仮面適合者の暴走を抑えるための設備ですが。こういう使い方も出来ましたね』
クロバラの魔法も発動できず、睡眠ガスは部屋中へと満ちていき。
まずはシェルドンが、地面へと崩れ落ちた。
これは、魔法少女にも効くように調整された、特注の睡眠ガスである。
そのため、誰であろうと問答無用で眠らせる。
そのはず、だったのだが。
「くっ」
充満するガスの中で。
クロバラは、倒れないように地面を踏みしめる。
普通なら、とっくに意識を失っているはずなのに。
まるで、耐えているかのように、クロバラは立ち続けていた。
『なぜ、魔法は使えないはず』
「……この程度。適応すれば、良いんだろう?」
レーツェンは知らない、クロバラが普通の魔法少女とは違うことを。
眼帯の下に隠された、青い十字の瞳。
その体に、獣を宿していることを。
◇
「ふぅ……」
確かに、吸った瞬間は、ふらつきを感じた。
だがしかし、クロバラは自分の体に必死に命令を送り、睡眠ガスへの抵抗力を身につけることに成功した。
魔獣の有する、優れた適応能力。
かつてMGVキラーで死にかけた時は、その致死性ゆえに間に合わなかったものの。今回は、あくまでも睡眠ガス。
そしてあの頃よりも、自分の肉体の持つポテンシャルは理解している。
だからクロバラは、ガスに耐え、立ち続けることが出来た。
「どうした? ガスの濃度が足りないんじゃないか?」
『……どうやらあなたは、普通の魔法少女とは違うようですね』
濃度どうこうの問題ではない。
彼女には睡眠ガスそのものが効かないのだと、レーツェンは悟る。
『ふむ。力ずくで奪おうにも、その場所を戦場にするわけにもいきません。どうしても、手紙を渡す気はありませんか?』
「ああ。こいつから頼まれた以上、手紙は絶対、誰にも渡さない」
『なるほど。やはりあなたは、侮れない敵ですね』
レーツェンが欲するのは、プリシラの墓の場所が記されているであろう手紙。
けれどもそれを持っているのは、一筋縄ではいかない魔法少女。
無理やり奪おうとして、零領域を戦場にするわけにもいかない。
ゆえにレーツェンは、別の手を考える。
『あなたには、仲間が居るようですね。』
「なに?」
『調べはついています。あなたの他に5人、この国に密入国していることを』
「……」
『あなたは人間味に溢れた存在です。もしも、お仲間が酷い拷問に遭うようなことになれば、きっと救おうとするはずです。それこそ、その手紙を手放してでも』
「レーツェンっ!」
『どのみち、そこからは出られませんので。どうか、わたしが戻ってくる頃には、心変わりしていることを期待します』
レーツェンを止めるべく、分厚い零領域の扉を壊そうとするものの。
その拳は、強固な魔力障壁によって阻まれる。
「くっ」
障壁を破る力は、今のクロバラには無かった。